
















数年前、夢のように素晴らしいラウンジに行けたので、そこの写真を使いました。グラスホッパーがビックリアレンジで、飲めないくせに何度も舐めた。
ええと、新しい話を描き始めました。タイトルは「E13」シリーズになります。今回も音楽から題名とイメージを拝借しているのですが、今回どうしても曲名そのままを使うのは憚られまして…アレンジバージョンのタイトルの更に抜粋という、私にしかわからない仕様になっております。すんません。
というのも、キリジャを描き始めた当初から、キリコ先生に安直な死のイメージを持たせるのが苦手だったんですよ。今回選んだ曲名はダイレクトに死を感じさせるものでして…歌詞はまた違った解釈ができるので合格。
漫画の内容は上手く描ければ、私の中のドクター・キリコ像の具現化になるだろうし、これまで描いてきた彼のターニングポイントにできればいいです。長いこと抱いてきたキリコ先生の設定を吐き出す時が来たって感じです。大したことじゃないんですけど。
この話が、ウチのキリジャにとっても私にとっても、大きなブレイクスルーになるように気合い入れて描いていきます。よかったら、お付き合いください。


どっちも10分くらいで描いたバナー。対比が気に入っている。「虹の彼方に」は妄想の余地を広げられる話だったなあ。もっとこう書けばよかったと感じている部分が多いので、本筋に関係ない細かい部分を改訂するかも。勢いだけで書いているので推敲が止まらん。








唐突にエジプト神話。冥界の王オシリスは悪神セトに身体をバラバラにされたのを繋ぎ合わせて復活したそうなので、それってBJ先生だよねっと。メジェドキリコが可愛くて不気味でしょうがない(笑)






診断メーカーで遊んでみたよ



どうでもいいおまけ

【三人羽織】
娯楽の少ない教団では、新聞のクロスワードですら黄金並みの価値がある。本当は新聞すら「世俗の汚染された気を取り込む」とかでダメらしいんだけど、〈八枚〉様のキリコのところには必ず届く。
俺はそれを使って、教団の連中との間にコネクションを作ろうとしたのだが、キリコに止められた。なんでもキリコが読み終えた新聞は残さず後藤が回収し、その日のうちに賽の目にされるらしい。日本刀で。お前も同じ目に遭いたくなかったら止めておけってさ。別にポン刀は怖くないけど、新聞ひとつで面倒起こすのもあほらしい。後藤もハサミ使えよ。刀匠が泣くぞ。
で、クロスワードの載ったページを抜き取って、座敷に寝っ転がりながらやってるってわけ。
「えーと、『こ』から始まって『り』で終わる四文字の言葉ってなんだ?アイドルか?」
「知らん」
「使えねえなあ」
キリコは黙って経済欄読んでる。その横顔が癪にさわったので、座敷に胡坐をかくアイツの膝の上に座ってやった。
「こら、新聞が読めない」
「俺にはこっちの方が大事だ。ホラ、『ドラえもんの体重』って何キロなんだ」
「どんなクロスワードなんだよ…ああ、これならわかるぞ。『エコロケーション』だ」
「へえ、お前さん動物に詳しいのか。すごく意外。でもポケモンは無理だろうなあ」
「無理だなあ」
一緒になってやってると、耕太がぱたぱた足音立ててやってきた。最中せびりに来たな。
キリコの膝に入っている俺を見て固まった。違う違う。クロスワードやってるだけだから。
「耕太、お前ポケモン詳しいか」
「剣盾やってた」
「よくわからんが、ちょっと来い。クイズに答えて欲しいんだ」
クイズと聞いて、耕太はやる気だ。こいつもなんだかんだ暇なんだよなあ。お清めが済んだら放置だし。このくらいのガキなら外で駆けずり回っててもおかしくないのに。俺と額をくっつけ合ってクロスワードのマスを覗き込む。
「え、ルカリオって、もう古いのか!?」
「知ってるけど、新しいのはザシアンとかバドレックスとかいるよ。カイオーガは強いから好き」
「カイオーガはかろうじて知ってる!」
「……………」
俺がポケモンをかじってるのは、子どもの患者へのアプローチに必要だったからだ。以前オカルトに詳しいガキを相手にした時と同じように。
ポケモントークをやってたら、耕太は俺の足の間にはさまってきた。おお、そうだな。同じ方向からクロスワードを見た方がいいもんな。
「んー、水ポケモンなのー?」
「五文字。三文字目が『オ』あれ、カイオーガって水ポケモンじゃないのか」
「うん。タイプ水だよ」
「カイオーガでやってみるか。よーし、いいぞ耕太。次はな…」
「……………」
クロスワードは耕太と完成させた。耕太が出て行った後、キリコはぼやいた。二人羽織ってのは知ってたが、それの進化版があるとは知らなかった、だって。なんの話だ?

【最悪の出会いとは】
すっかり薄くなった背中の傷をなぞりながら、BJは俺が一番聞いてほしくなかったことを口にする。
「お前さん、どうしてあの団体の中で馴染んでたんだ」
「…馴染んではいない」
ウッソつけ!と背中をバチンとやられた。
「じゃあ、初めはどんなエンカウントしたんだよ。後藤には切りかかられてるんだろ?」
……………言いたくない。でも教えなきゃ教えないで、ずーっと聞くんだろうなあ。それは想像するだけで頭痛くなる…………言いたくない………
結局渋々俺が初めて教団の人間と接触した時の状況を話した。
BJの反応は、絶句、爆笑、過呼吸起こしかけ、嘔吐起こしかけ、腹筋と背筋の激痛、横隔膜の痙攣…とまあ、想定内の惨状だった。
もう二度と言いたくないので、キーワードだけ示しておく。
・教団の歓喜の叫び
・担ぐ
・剥ぐ
・温泉
・問答無用


【エピローグ没頁】
散々汗をかいて、ベッドの上でごろごろしてると、思い出したようにBJが口を開く。
「アフターケアで会った人でな、蛇に関する宗教観に詳しい人がいたんだよ。その人が言うにはな」
なんだよ、そのニヤニヤが止まらないって顔。
「蛇って精力の象徴でもあるんだってよ」
「……」
「あの三角の頭に長い胴だろ。もう見たまんまの形、男性のシンボル。だから精力の象徴なんだとさ」
言葉もなく天井を見上げる。
「お前さんが精力のシンボル!おかしすぎてヘソが茶ぁ沸かすぜ!カルトどもに変なあだ名付けられて崇められてるのも、最高に笑えたけど、これが一番ひでえ」
ゲラゲラ笑うBJは止まらない。俺が性に対してあまり執着しないのを知っているから。確かに年がら年中サカってるのは御免だし、少しのスキンシップで満足するから激しい欲求が溢れる性分でもない。でもなあ、最近は変わってきてるんだけど、知らないのか。
黙って彼の腰を抱き寄せた。当たっているものに気付いて笑いが止まる。
「前に言ったよな。戻れる気がしないって」
BJは口をパクパクさせている。あの時はぶっ飛んでたから覚えてないかも知れないな。だけど構うものか。事実なんだし。実際お前と付き合うには、いろいろと開き直らないとやっていけない。
「戻れないのはお前のせいなんだから、責任とまでは言わないが、最後まで付き合いなさいね」
BJの顔は赤いんだか青いんだか。俺はと言うと柄にも無く頬が熱い。誤魔化すように再び彼の体に押し入る。
「っあ、やめろ!二ラウンド目なんか聞いてねえ!」
「いちいち言うわけないだろ、そんなの。気分だし」
「も、もう、ああッ!さっきよりデカイの何でだよ、ん、ううっ」
「さあ、煽られたからじゃないか。人を枯れ木みたいに言いやがって。ちなみに知ってるか?」
息を乱して俺を見上げるBJに告げる。きっと悪役みたいに見えるんだろうなあ。
「蛇の交尾は長いってさ。数日間繋がってた例もあるらしいよ。やってみる?」
案の定、BJは悲鳴を上げた。
おかしいな。そんなに乱暴はしてないし、むしろとっても快くしてやってると思うんだけど。
「もう蛇はたくさんだ!お腹いっぱい!お代わりナーシ!」
「お前から振った話題だろうが、そら、よっと」
「ぐえっ」
※イチャイチャエンドにしてもあんまりにも軽いと没にした。

【エントランスでの仕返し】
〈六枚〉が詩人モードを炸裂させた晩、キリコは特別追及してくるそぶりはなかったから、てっきり忘れているものだと思っていたのだ。それからなんやかんやあったし、尚更覚えてるわけないって。
「野良猫君!」
「〈六枚〉!?」
鱗に関する資料が入ったUSBを警察へ提出した帰り、エントランスで〈六枚〉と鉢合わせた。聞けば、教団関係者の顔を確認するために、しばしば警察に呼び出されるそうだ。首実検か。もっといい方法あるだろうに。面倒だなあと二人してため息ついて、コーヒーおごってやることにした。
俺は〈六枚〉の実家の事も彼の爺ちゃんの肩書も知っていたので、事件が〈六枚〉の生活に与える影響については、もう心配はしていなかったのだけど本人はそうじゃなかった。
コーヒーショップのすみっこで、はらはら泣き出した時はこれじゃいかんと、外に連れ出した。近くの街路樹の陰で、彼の懺悔を聞くだけ聞いた。俺に心の治療はできない。今みたいに聞くしかできんが、それでよければいつでも呼べと言った。すると〈六枚〉は俺の肩に額をつけて、頷いて、また泣いた。めそめそすんなこんにゃろうとも今のこいつには言えんので、黙って胸を貸してやった。それだけのことだ。
〈四枚〉がまたタバコを始めた理由と〈六枚〉が泣く理由って、同じところにあるのだろうか。耕太には母ちゃんがいるし、母ちゃんには耕太がいる。お互いが絆創膏になって、生きている。彼らには絆創膏はいるのだろうか。そこまで考えて、俺の領分じゃないと切り替えた。
数日後、また〈六枚〉に会った。
「お前、いつになったら名前教えてくれるんだよ。呼びづらいったらありゃしねえ」
「いいんだよ。野良猫君、君には〈六枚〉って呼んで欲しいから」
「だーかーらー、俺が良くねえんだってば」
少し顔色が良かったからどつきあいをした。ちょっと笑っていたみたいだ。よし。
それからしばらく依頼が立て込んで、やっと時間が取れたから、キリコの家へ飯をたかりにいった。
キリコの家は真っ暗だったから、自宅に戻ってボンカレーを食った。
〈四枚〉の本名を知った。演歌歌手みたいだなって素直な感想を言ったら、G-SHOCK握った拳で殴りかかってきた。今は穴沢の舎弟が彼氏なんだと。大概にしとけよ。
耕太の母ちゃんの喉はとてもいい具合だ。夜も眠れているみたい。ポケモン剣盾をする約束をしていたので、耕太とちょろっとだけする。クッソ、俺もスイッチ買おう。
キリコの家はやっぱり真っ暗だった。まあ、こういう時もあるわな。
帰ろうとしたが、一応ドアノブに手をかけた。かちゃりと玄関のドアが開いた。
不用心だとか、いるんじゃないかとか、いろいろ思ったけど、一番感じたのは「待ってるな」って雰囲気。何か言いたいことでもあるのかね。靴を脱いで上がりこむ。
他人の家だが勝手知ったるなんとやらってやつで、暗がりの中でも簡単にリビングを歩き回れる。一階にいないな。鞄とコートを置いて、二階へ上がる。できるだけ足音をたてないように。
風が吹いてくるのを感じてテラスの方へ向かう。冬空のさっむいテラスで何やってんだか。
緊急を要する事態かも知れないのでと言い訳して、あいつの大事なものが並んでる部屋を突っ切った。この部屋に入るのすごく嫌がるんだよなあ。俺的には変な部族のお面とか絶対にいらんし、転売するほど金に困ってもないし心配しなくてもいいのに。
テラスのデッキチェアにキリコは座っていた。座るというよりは、背もたれを倒して寝てるというか。
なにやってんだか。薄着で風邪ひいちまうぞ。
「おい、寝るならあったかいところで寝ろよ」
「……」
キリコは起きているのに返事をしない。手を掴むと、びっくりするほど冷たかった。死体かと思うくらい。そのままズルズル家の中へ引っ張っていくこともできたのだけど、俺はキリコの手を握ったままデッキチェアの横に座った。吐く息が白く夜空に溶けていく。うーん、ケツが冷たい。
「…なんか、食うか…?」
やっとしゃべった。しまったな。晩飯食ってきた。
「いい。さっきラーメン食ってきた。ここ寒いし熱い茶が飲みたい」
「……」
また黙る。いいや、勝手に喋ろう。
「この前な〈六枚〉に会ったよ。元気かなって思ったけど、そうでもなくてな。生憎俺は心療内科じゃないし、話聞いて、ちょっとちょっかいかけてってくらいしかできなかったけど」
「……」
「相変わらず本名は教えてもらえない。俺はそこまでこだわってるわけじゃないが、あっちがそう思うってことは、何か後ろめたいものをずっと抱えているんじゃないかって」
「…だから、胸を貸したのか」
キリコは空を見つめたまま。胸を貸すって文字通りの姿勢になってたわけなんだけど、コイツ見てたのか?
「泣いてる〈六枚〉と俺を見たのか?」
「いや…それは知らない。俺が見たのは……」
口を噤むキリコ。
おい。今の構図、あの時の逆だぞ。
「お前さん、もしかして妬いてたりするの?」
ニヤニヤしながら聞いてやった。キリコは少しだけ身じろぎして、俺に握られていない手で顔を覆う。照れていたり、悪びれているふうでもない。ゆっくりと額にかかる髪をかき上げると、焦点が合わない視線を虚空に投げて、微かに呟いた。
「わからない」
枕を投げないだけ、こいつは俺よりよっぽどましだ。でもいつだって自分をないがしろにする方向へ進むのは頂けない。今だっていつからここにいたんだか。ちゃんと食ってるかも怪しい。
「俺はな、命にかかわる時以外、誰彼問わず触ったり、触らせたりはしない」
「知っている」
「今は命にかかわる事態になりそうだから、お前さんに触るぞ」
俺があの時感じた嫌悪感をキリコが感じなければいいのだけど。デッキチェアがぎしりと軋んだ。さすがに大人の男二人の体重を支えられそうにないので、キリコの上半身だけ抱きかかえた。
「低体温症になりそうだ。髪の芯まで冷えてる」
冷え切った固い頬を温める。何度も抱え直して、手のひらを冷たいキリコの体に当てていく。
「お前さんには胸なんか貸さねえぞ。これは医療行為!」
いっそのこと懐にこいつの手を突っ込もうかな。
「ああ、冷てえ。なにやったらこんなに冷えるんですかねえ」
「さあ…昨日の晩からここにいた」
「あほ!」
耳元で叫んでやった。
冷え切ったキリコを風呂に叩き込んで、台所に踏み込む。後で怒るんだろうけど、今は緊急事態。カップ麺ができるころには少しキリコは復活してた。でも出禁の台所に入ったことにも、前と保存場所を変えて隠してあったカップ麺を見つけ出したことにも、不平を言わないから…まだって具合かな。
俺は暖炉のつけ方を知らないので、ソファに座ったキリコに毛布をかぶせ、その横に座った。カップ麺は食わないらしい。もったいないな。じゃあ、と体内を温めるためにスープだけはキリコに飲ませ、後は俺が頂戴する。うっぷ。夕飯二回食ったことになるな。食った後に横になると牛になるとか言うけど、腹が膨れすぎて今は動けない。
隣に座るキリコの膝に頭をのせた。
キリコは動かない。俺も動かない。
「…お前といると調子が狂う」
そうですか。
「帰ってくれ」
やなこった。
「……」
ああもう。
「はっきりしねえな。いつもの余裕綽々な喋りはどうした。まだ寒いのか」
「寒い…ああ、寒いみたいだ」
むくっと俺は起き上がり、キリコの膝に乗った。視線が合わねえな。知るか。そのまま抱きついた。さっきもやったけど人間カイロだ。生意気にジャケットが冷たいとか言うので、ベストも一緒に脱いでやる。俺の方が寒いわ。キリコはそろそろと俺の背に腕を回す。
「俺だってお前さんといると、いっつも調子を乱されっぱなしだ。手のひらで転がされてる感があって、腹が立つことも多いし」
「そんなもの、全部壊していくのがお前じゃないか。想定外ばっかりだ」
「そうか?お前さんはそういうところでさえ読んでいる節あるぞ。ホント、嫌な奴」
「嫌な奴はお前だ。自分の内側がお前のせいで混乱して、いつものようにできない。こんな状態の自分だって本当はお前にひとつも見せたくない。今までは上手くやってきたんだ。なのにお前の事になると、どうしてか俺は俺を見失う」
キリコの顔を見ないように、もっと強く抱きついた。嫌がらせだ。ざまあみろ。
「それと〈六枚〉がどう関係するっていうんだよ」
キリコはまた沈黙。普段なら放っておくけど、今はダメだ。しがみついて離れない俺に業を煮やしたのか、キリコはうめくように口を開いた。
「似合ってるなって、思ったんだよ」
なんだそりゃ。俺と〈六枚〉がってことか?
「俺が見たのは警察の前で、小突き合ってるお前たちだ。胸を貸す云々は知らないけど、どうしてだろうな。目を背けてしまうくらい、似合ってたんだよ。多分…そうだな、年恰好が似ているせいかもな」
ううーん。最近年齢でいじってるからな。気にしてたのかなあ。そんなこと気にしないチタン合金の心臓のくせに。ぐりぐり頭をこすりつけてやる。
「あいつと俺は、生きている世界が違いすぎる。今はたまたま教団の件で繋がりがあるだけで、時が過ぎれば、完全に消えてなくなる縁だ。不安定になってる〈六枚〉もそこんとこはわきまえてると思うぜ」
「今は、か」
「〈六枚〉だけじゃなくて、耕太とか他の連中もそうさ。結んだ縁は暗闇の中に隠れて見えなくなるだろうよ。なんせ俺はモグリの黒い医者だ。一般人には追ってこられない場所に生きてる。お前さんも、そうだろ」
キリコのひたいにごちんと俺のをくっつける。
「大体お前さんとしか話せない話題が多いんだよ。テロリストからもらった金をキレイにする方法とか、誰と話せって言うんだよ!」
「違いない」
キリコと目が合う。
「そーゆー訳で、今の俺は話したいことでいっぱいだ。一般人に話せない情報を穴沢からも警察からもたんまり仕入れたからな。ちょっと信憑性のない話もあるから、お前さんの意見を聞きたい」
「わかった」と頷いたので、もう一回抱きついておいた。うん。体が温まって来てるな。よしよし。キリコの抱きしめ返した腕が予想より力強かったので、口から変な声が出た。それを聞いてあいつが少し笑っている気がした。
話していたら、キリコは「めまいがする」って言いだした。検温すると39.2度。ばっかやろう!あんな寒いテラスに丸二日いれば風邪くらいひくわ!一本注射打って、ベッドに放り込んだ。一旦帰ろうかとも思ったが、なんとなくいた方が良い気がして、ソファで毛布をかぶって寝た。
翌朝、キリコは黒いスーツで出かける準備をしている。仕事に行くのかと全身の毛を逆立てる俺に、キリコは「お前も一緒に行くんだ」ってさ。どこに?
到着した場所は警察署。また取り調べかよ。もう全部喋ったってば。小林の話を聞きたいらしい。またかよ。しかしここできちんと話しておかなければ、俺の苦労も水の泡。それはとてももったいない気がするので協力する。渋々別室に向かう俺とは違う方向へキリコは消えていく。
さくさく終わらせてエントランスへ出ていくと、また〈六枚〉と鉢合わせた。
「よくよく会うよな。お前さんとは」
「本当にね。これも何かの縁かな」
「やめとけ、やめとけ。俺なんかともう関わるんじゃねえぞ」
「ふふふ、野良猫君は相変わらずだ」
笑顔の〈六枚〉が何かに気付いたように、言葉を切り上げる。振り返るとキリコがいた。俺の横に立って〈六枚〉と話し出す。
「元気そうだな。体は大丈夫かい」
「ええ。鱗を取る手術の経過も順調で、後数回受診すれば済みそうです。警察に顔を出すのも、おそらく今日が最後になるでしょう」
「どういう意味…ッ」
〈六枚〉に問いかける俺の尻をキリコが掴んだ。そのまま何食わぬ顔で尻を揉む。
「気分転換、というのかな。しばらく祖父の持ち物の別荘で過ごすんだ。ハワイなら気分も晴れるだろうって」
「そいつは羨ましい」
ひとっつも心にないことをぬけぬけとキリコは抜かす。そしてずっと尻を揉んでいる。動きがだんだん怪しくなってきているんだが。当然俺は顔に出すなんてへまはしないけれども。
「俺にはまぶしすぎる場所だ。でも良かったな。楽しんで来いよ」
屈託なく笑って頷いた後、少し言いにくそうに〈六枚〉は俺達に囁いた。
「あのさ…君たちの後ろ、ガラス張りなんだよね。私からも反射で見えてるし、エントランスの向こうの人も、きっと」
ボッと俺の顔が燃え上がっているうちに、〈六枚〉はさっさと退散した。隣のキリコを見れば、全くの知らん顔。嘘つけ、嘘つけ!嘘をつけ!!!!!!てめえ、分かってやってたな!!!!!
「セ!ク!ハ!ラ!」
警察署のエントランスを出るや否や、俺はキリコに殴りかかり、何事かと飛び出してきた警官をまいて走り去る羽目になったのだった。
いかがでしたでしょうか……原作の「白葉さま」からのオマージュを含みつつ、勢いと思い付きで書いただけあって、もうちょっときちんと調べて書けよってとこが多かったですね!
特にミックスジュース温泉とか、白蛇信仰とか。深く考えないでください。私は考えてないです。
あと人名…後藤は完全に思い付きでした。じゃあやっぱり南雲さんも…って小ネタです。それから本田に川崎…バイクだな。
ひたっすら走って壊して暴れまくるBJ先生を書けたのが一番面白かった!湯治場での大立ち回りもさることながら、山の小屋に降り立って3人速攻で倒す彼が好きです。
対して珍しく真正面からの最短距離で自らの仕事を成そうとしたキリコ先生。ふたりのアプローチが全く違い、意外な方向に行ったものだと書いた自分が驚いています。どれだけ行き当たりばったりで書いてるんだか。キリコ先生に鱗が生えまくったのは、体質のせいです。どんな体質だよ(笑)
大師の性格が気に入ってます。彼女が饒舌なのは、久しぶりにまともに話ができる人間に会えて嬉しくなっちゃってるせいです。口調は教団の好みで教え込まれました。
エピローグがイチャイチャで終わるってのもどうかと思ったんですけど、落とし所が見つからなかった。今回キリコ先生元気ですね。
やっぱり私は漫画を描く視点でストーリーを組むので、文体も細かい描写を言語でするのが苦手だとわかりました。読みづらいかとは思いますが、テキストにした方がストーリーを膨らませやすい場合があり、試行錯誤しながら良いものが書けるように研鑽を積みたいです。
それから先日からバグが出まくりのワードプレス 。やらかしてくれます。エラーがでまくり…なんでバナーのサイズ変わっとるんや。
あんま大したことじゃないのですが、この話書いてて長年私が記憶していたものの名前が実は存在しないものだったことがわかったり、思い込みって怖いなあと実感しました。
「虹の彼方に」全体を通してのキーワードが『思い込み』でした。最後に私が思い込みをしていたというオチがついたのでした。
よわったよわった。
この後も少し、本編に入れきれなかったエピソードや、登場人物のラクガキをアップする予定です。裏の方にもとんでもないのが上がります。これはもう。土下座の勢い。やってみたかったとしか言えません。その結果、ウチのキリジャの仲が大変よくなりまして、自分の中で【キリジャ・完】の文字が浮かんだくらいです。ここが天国なのか?ついに自分で作った?
長いテキストでしたが、気持ちよく書きました。最後まで読んでくださってありがとう。少しでも楽しんでもらえたのなら、とてもうれしく思います。
※2021/12/11ちょっとだけ改訂
『名湯の湯治場、天然ガスで爆発』
『負傷者多数も死亡者なし』
『カルト教団一斉摘発』
そんな見出しが飽きた頃、やっぱりあいつは現れた。我が家のように押し入り、リビングで新聞を読む俺のところまでドカドカ足音を立てて。
ツートンカラーの長い前髪の隙間から無言で俺を睨んだかと思えば、新聞を奪ってざくっと棒状に掴み、それで俺を殴ってきた。あれだ、ハリセンでしばかれるやつ。スパーンといい音がした。
「少しスッキリしたぜ」
言い放つと問答無用で俺の衣服を剥ぎ出す。
「いきなり殴って裸にするとか、お前は追い剥ぎか」
「バーロー、服だけで済むと思ってんのか。最後の鱗を剥ぎにきたんでい」
ああ、それか。鎖骨の下に生えていた九枚目の鱗を見せる。そこにはもうほんの小さな虫刺され跡のようなものが残っていた。
「あの湯に浸からなくなったら、自然と崩れていったんだ。他のもそう。問題ないよ」
「いいや。まだ全部剥がれてねえはずだ」
…っち。野生の勘だな。野良医者め。
「一番初めのを見せてみろ。他の鱗より一番長い時間湯に浸かり続けた鱗だ。どの鱗よりしつこいに違いない。鱗は育つって言っただろ」
その通り。時間が経っても剥がれない鱗を正直持て余していたので、素直に診させることにした。が。
「痛い。お前麻酔打ったか?」
「打つ訳ねえだろ。俺の恨み思い知れ」
「馬鹿言うなよ。いつお前の恨み買ったっていうのさ。あんなに便宜を図ってやったのに」
「残念だ。二枚麻酔なしで鱗を切除することになった」
「もういい。もういい。やめろ。これは傷害罪に当たる」
「うるせえなあ。黙っとけよ」
それだけ言って、BJは本格的にメスを入れた。冗談じゃねえ。うつ伏せに馬乗りされて、背中に刃物だ。動けるはずがない。メスが鱗の芯を抉るのを脂汗かいて堪えた。実際にやられて分かったが、芯の固い中心部の下は木の根の如く皮下組織に食い込んでいたのだ。これを律儀なあいつは全部取っていく。情けないことに、あまりの痛みで意識が飛ぶかと思った。これをあの〈四枚〉って娘は耐えたのか。
最新の人工皮膚を貼るとかなんとか言って、あいつはテキパキと処置を終え、また暴風のように去っていった。本当に鱗にしか興味がなかったんだな。


その後も経過観察にBJが訪れ、診察と処置だけして帰って行く。


「これで最後だな」
俺の体の鱗を剥がした跡が、すっかり新しい皮膚に覆われているのを見て、BJはいきなりポケットを漁り小さな箱を取り出した。タバコだ。待ちかねたように包装のセロハンを取り、蓋を開け、愛おしそうにタバコを一本摘む。神聖な儀式のように火をつけると、深く煙を肺に入れ、目を瞑って動かない。
無言で一本吸い終わるとクソ真面目に言い放った。
「俺、禁煙無理だ」
いきなり何を言うかと思えば。
「禁煙しようとしてたのか」
「なんとなくな。鱗のアフターケアに飛び回ってたら、患者に女子どもが多くてタバコを吸うのをやめてたんだ。特に子どもはにおいに敏感だから。耕太なんかにおいで俺が診察前に食ってきた昼飯当てるんだぞ。最近は耕太の母ちゃんまで一緒になってくるから参るぜ」
リビングのソファにもたれて、二本目のタバコを存分に味わっている。
「アフターケアね。珍しい」
ふうと大きく煙を吐き出して、BJはテーブルの上にUSBを置いた。
「珍しいついでに今回の症例について、きちんと資料を作ってみた。これを警察に提出すれば、教団を追い詰める効果はあると思うぜ。〈六枚〉の実家も動くそうだし。あいつ本当に最後まで便利な男だったなあ。まだ名乗りたくないみたいだから、任せておくけど」
なんだろうな。〈六枚〉の話になるとモヤっとするのは。
ちょっと眉をしかめた俺などお構いなしに、ヤニをキメたBJは饒舌に語る。
「それにしても久しぶりのヤニは実に効く。〈四枚〉が診察する俺の前でタバコ吸いだしたから、思わず革靴でシバいちまって、すっげえケンカになったんだけど『禁煙がキツイ』って話したらチュッパチャプス一ダースくれた。パチ屋で勝ったんだってよ。それで〈四枚〉と話して分かったんだけどさ、俺らに禁煙は無理。〈四枚〉は三年以上禁煙してたんだから、卒煙すりゃいいのに戻ってる。これはもう、仕方ない」
あれ、そうすっとアイツ中学生からタバコ吸ってる計算になるなとか言いながら二本目を吸い終えて、彼は満足そうに襟を緩め足を投げ出した。
「コート、脱いだら」
「ああ、そうしようか。ひとまずやることはやったし、しばらくラクにしたい」
ばさばさと重苦しい装備を解き、BJはそのままソファに寝転がる。ああ、憎たらしい。そんな俺に気づいた彼は大きく腕を広げる。白い歯を見せて笑うなよ。余計に腹が立つだろ。
「やっとお前さんを構ってやれるぜ。どうした?来ないのか?」
このまま彼の腕の中に収まるのは非常に不本意だ。
しかし長らくほったらかしにされた体が、抵抗する選択のキャンセルボタンを押し続けてる。俺の意地と欲求は、結局争うのを辞めて、そのままBJのつぎはぎにかぶりついた。

雨だれの音が弱まって、光がほんのりとさしてくる。
やがて朧に大きな虹がかかる。
物理的に説明ができる気象だが、どうしてかいつも不思議に見える。
近付けど距離は縮まず、根元を探そうにも見つからない。空虚な存在そのもの。なのに虹を見つければ、人は自然と心が浮き立つ。ラッキーとか、きれいだななんて和んだり。
虹に向かって空に手を伸ばした幼い日を思い出す。きっと虹を掴みたかった人間はたくさんいる。虹の向こうに何かがあるはずと、希望を抱いた人間も。
力尽くで握った虹が本物なんかじゃないことに、きっと誰もが気付いていただろうに。
ぼんやりしていた俺に気が付いたのだろうか。隣で眠っていた白黒が身じろぎする。
ブルー・バードの羽とは程遠いツギハギの腕を伸ばすので、そのまま引っ張られてやる。
冷たい雨と一緒に寒波が押し寄せてるみたいだけど、こいつの肌に触れていると熱くてたまらない。冬眠するなんて選択肢はないな。
あの事件以来どこか自分に貼りついている気がしていた鱗の感覚が、今度こそ剥がれていくのを感じる。
俺もアフターケアの一部に入っていたのかな。だとすれば実に生意気な発想だ。まあ、まともに聞いても答えないのはわかってるから、こっちで勝手にやるけどね。
彼の熱い掌が背に回る。きっとこれから爪を立てるに違いない。そのくらいの痛みならレモン・ドロップのように溶けてなくなるさ。何の問題もないと、絡めた指を一層強く握る。
やわらかい日差しが窓から満ちる。一瞬の晴れ間。
カーテンのない窓から、ゆっくりと淡い虹が彼方へと消えていった。
※2021/12/11改訂
むかしむかし、とは言ってもそんなに大昔ではない、むかし
白いへびのかみさまを おまつりしている人たちがいました
みんながいっしょうけんめい おいのりをして おきてをきちんと守るので
白いへびのかみさまは ごほうびに 白い毛皮をくれました
みんなはたいそうよろこび 白い毛皮をたいせつにしていたのですが
どんどん汚れて さいごは黒くなってしまいました
これではいけないと 大師さまをはじめとする人々が
山でとってきた とくべつな薬草を
海であつめた きれいな泡を
土からほりだした 宝石を
ぜんぶあつめて釜にいれ かみさまの湯を つくりました
そこに白い毛皮を入れると なんと にじいろにかがやきだしたのです
毛皮はにじいろのへびのうろこに おおわれて ひかっていました
白いへびのかみさまは おどろいて 自分も湯に入ります
すると かみさまも にじいろのうろこに かわったではありませんか
へびのかみさまは とてもよろこんで みんなにしゅくふくをくれました
みんなが けんこうで たのしく おなかをすかせず 生きていけるように
これからもおきてをまもり ただしく すこやかに おいのりしましょうね
(ある教団の児童向け教本より)


突如BJの背後で爆風が起きる。その勢いのままに転がると、顔を真っ赤にして見下ろす本田と目が合った。
「ここはッ!私が準備した舞台ですッ!」
「そうか。じゃあ、邪魔をしないように俺のしたいことをしていいかい」
「何です、それはッ!」
「お前さん、教団の本当の姿を知っていると言ったな。俺も多少は知っている。だからここに鱗が生えた人間がいると判断した。あれは疾病だ。治すことができる!俺はそんな人々を治療しに来た」
再び起こる爆発。吹き飛ばされたBJは岩にぶつかり、崩れ落ちた。観客からは悲鳴が上がる。爆発音の衝撃が引かぬうち、短躯な身体に燃え立つ憤怒を激らせながらぶんぶんと体ごと首を振り、本田はヒステリックに叫んだ。
「そんなものはどうでもいいんだ!私は友達を救いたい。あなたの事情は知らない!わかるもんか、たったひとりの友達を失う気持ちなど。なんだそんなもんかって、あなたも思うんだろう!」
「いいや。思わないよ」
袖のちぎれたコートを引きずってBJは立ち上がる。
彼の顔の半分を覆う、色が異なる皮膚をさわると、本田に向かって駆け出す。虚を突かれて爆薬をセットする間もなかった本田の立つ岩に飛び乗って、彼の眼前にその褐色の皮膚を指さした。
「ここは俺の友達の皮膚だ。大事な友達の皮膚だよ」
「…友達の」
本田は目を見張る。大きな縫合痕を境にして色が違う。確かにそこから他人の皮膚だと言われても信じざるを得ない。
「そう。俺もその友達に会いたくて、世界中探したよ。だけど結局会えなかった。手紙はもらえたけどね。だから、きっとお前さんの気持ちに近いものを俺も知ってるよ。正直、俺の友達は死んだと思う。この皮膚だけが、彼と過ごした日々の証さ。これがあれば、俺は友達の事を忘れない」
オメガの腕時計の針が震えながら進んでいくのを本田は見ているだろうか。
「お前さんの言った通り、ここはあんたの舞台だったな。邪魔して悪かった。最後まで好きにやるべきだ。ただ病人を治療する時間は俺にくれ。俺もここに来るまでに、いろいろと準備があったもんでな、無駄にはしたくないんだ」
BJの言葉は今の本田の耳には届いてはいない。本田は思考の中に沈んでいる。皮膚が友達の証だなんて、そんなことあるのだろうか。私たちにはそんな証はあっただろうか。思えば一度も考えたこともなかった。本田の胸の内に友と過ごした記憶の欠片が色を纏って蘇る。
「あ…」
やっと本田は腕に着けた時計を見た。

その直前、噴気孔から水蒸気が途絶えた。湯治場の変化に気付くものなどいない。山の小屋から先程まで供給されていた湯が止まったのだ。もともとの湯量はあったとは言え、急激な水量の低下によって地下の湯の流れが弱まる。地下に溜まった湯は地熱で温められ、有毒なガスを発生させつつあった。


パチン
管をひとつ切る。
パチン
「世が世なら…人はお前を〈神殺し〉と呼ぶかもしれんの」
パチン
「ご勘弁を。この件で沢山のあだ名をつけられましたが、一番堪えますね」
「ふふふ、〈七枚〉〈八枚〉〈十〉の方、白の君…」
「ああ、その白のという奴も御免です。社の連中のセンスは良くありませんね」
「仕方あるまい。あの中だけが世界なのだから」
パチン
「そのお体で、よくこれだけの点滴を交換できましたね」
カガシロ様と呼ばれる男の体には無数の点滴の管が付けられていた。どれもこれも彼の延命のために施されたものだ。入るものがあれば出る物もある。人工肛門から出た暗緑色をした液がパックに溜まっていた。これも彼女が交換するのだろう。
喉を診れば酸素を送り込むチューブが刺さっている。そのチューブにさえ虹色の鱗が付着して、岩の一部と化していた。この男は余程鱗が生える体の条件を強く持っていたに違いない。
「カガシロ様は教団のご神体である故、次代の神となる私しか触れられぬ。勤めは果たすものよ。それに、お世話をしておると思い出すのだ。まだカガシロ様がお話ができたころの事を…おもしろい話をたくさんしてくれた。研究が何とかと言うのは私には難しすぎたが、小枝チョコレートを新商品と言い張るのには参ったなあ」
パチン
「お話ができぬようになり、カガシロ様の鱗は一層増えた。教団の者は鱗しか見ておらぬ」
後部のバッテリーを抜く。
「カガシロ様の最後のお言葉が忘れられぬ」
「…処置を終了しました。見届けてくださいますか」
虹色の結晶に閉じ込められた男の顔は、相変わらず眠っているかのよう。いつからそのままだったのだろう。床には流れるままになった点滴の跡が無数に伸びている。
大師と呼ばれる女は、重い体を引きずって男の顔にそっと触れた。結晶化した鱗に阻まれて直にはさわれない。しかし、彼女はやさしく撫で続ける。
「ご苦労様でございました……」
彼女には流す涙がない。涙がもう、出ないのだ。
「貴女はどうなさいます」
二人の銀の髪が向かい合う。片方は不自然なほど鮮やかな虹色に染まった銀。もう一方は底の見えない盲目の黒を隠す銀。虹色の銀は黒の銀に問う。
「あの火花の男は私が生きられると思っていたようじゃ。そなたはどう思う」
黒の銀は暫し押し黙り、はっきりと口にした。
「助かる見込みは、ありませんね」
それを聞くと虹の銀は、固く縛った糸がほどけるように、ふうわりとした笑みを浮かべた。
「では、私からの依頼を受けてくれるな。謝礼は…」
黒の銀は人差し指を口元に立てた。
「先程、私はカガシロ様のお姿を見て取り乱し、みっともない様を晒してしまいました。今回はそれを忘れていただく…ということで、手打ちにはできませんでしょうか」
しばし後、あっははは、軽快な笑い声が暗い洞窟に散っていく。
「もうあの世へ行くモノに手打ちも何もなかろうが。よいよい。そなたがよいなら、それでよい」
虹色の銀の笑顔は無邪気な子どものように見えた。黒の銀はそれを見て眉ひとつ動かさず、ジュラルミンのケースの中からいくつかの薬瓶を取り出し、手慣れた様子でシリンジを構える。
「貴女の体は半分鉱物です。薬がどのように効くのかわかりません。何度か薬を変えるかもしれませんが良いですか」
「よいよい」
虹色の鱗の隙間に注射針が刺さっていく。
「あの方はな、いつも私に自慢するのよ。大事な友達がいると。たった一人の友達だと。私にも友達くらいおると言い返しておった」
遠くを見つめるように暗闇に視線を送る女は、やはりおかしそうに笑っている。
二本目の注射。
脈拍が弱くなっていく。
女の唇が幼い日の輝きを零す。
「会えるかな…小林君……」

もう動くことはない二つの虹色の塊を、黒の銀は暫し見守り、やがて仕事道具の片付けを始めた。


「BJ!鱗の生えた人、みんな一番大きいバラックに集めたよ!」
耕太はBJからバラックにいる湯治客の中で、鱗が生えている者を集める役目を任されていた。湯治場を駆け回るうちに、バラックにつけられた白い紙が鱗が生えた人間のいる目印だと気がつくのに時間は要さなかった。皮肉にも教団がつけた印によって、予想よりもうんと早く行動ができたのはある意味幸運だったと言える。
役目を果たし、バラックの戸を開けて叫ぶ耕太の視線の先に、湯治場の隅を動く人影があった。
長い黒髪を振り乱して、行く手を遮る黄色い岩を登っている。教団の白い着物は乱れ、何度も転んだと思しき袴には血が滲んでいる。
耕太の全身が震える。ぶわりとこみ上げる涙をこらえ、代わりに自分が出せる精一杯の声を張り上げた。
「お母さん!」
耳に届いた声を頼りに、息子の姿を四方に探す南雲の強い意志を持った眼差し。
「お母さん!」
叫び続ける耕太を見つけて、南雲は手を伸ばした。声にならない口の動きが、息子の名前を形にする。足場の悪い斜面を倒れ込むように進み、まだ熱い噴気孔を避けながら、じりじりと耕太がいるバラックへ近付いてくる。しかし崩れた岩に阻まれ、南雲は斜面から滑り落ちてしまう。
〈六枚〉の静止を振り切り、バラックから耕太は飛び出した。
「お母さん!お母さん!お母さん‼」
岩を飛び越え、小石を弾き、少年は会いたくて会いたくてたまらなかった母親のもとへ駆ける。
渾身の力を込めて南雲は削れる指先で岩を掴み、斜面を滑り落ちる体を止めた。砂煙の中に息子の姿を見つけ、赤い指先の手を伸ばす。もう少しで届く。もう少し。

「川崎君…」
項垂れた本田の手から、するりと爆薬が落ちた。かつん、かつんと音を立てて岩の下へ落ちていく。目視できたのはそこまでだった。

青白い炎が火柱となってはじけ飛ぶ。
噴気孔から一斉に吹き出す紫の火花。
桃色の薄い炎の幕が湯治場の斜面をせりあがった。
大音響が空気を引き裂き、荒れ狂う熱風に誰もが絶叫した。
爆薬の火が、溜まったガスに引火したのだ。
「逃げろ!」
「熱い!熱いいっ!」
「中の人は、どうなったの!?」
粉塵を噴き上げ空に突き立つ煙の柱。
黒い煙と白い蒸気につつまれて、湯治場の様子は伺えない。見守る人々は、ただ惨状を想像するだけ。誰一人動けず、固唾を飲んで煙の中を見つめていた。
折しも強い風が煙を払う。
視界に現れた景色を見た人々に緊張が走る。
湯治場の真ん中は真っ黒に焼け焦げて、そこにいたはずの人影はない。真っ二つに割れた岩が爆発の凄まじさを語っている。
いくつか吹き飛んでしまっているバラックは、壁の残骸が散らばり、屋根は潰れて、元の形を留めていない。中には炎上しているものもある。湯治場の所々から、燃える木の看板が細い煙を幾筋も上げていた。
爆発の振動が収まり、黒い煙が薄れた途端、悲鳴と共にバラックから大勢の湯治客が逃げ出す。
皆我先に外へ逃げようと斜面を登る。
動けるものはいい。しかし火傷を負った者、怪我を負った者が残されている。
皆が大混乱に陥る中、真っ先に動き出したのは義侠の心が沸きたったヤクザ達である。
「救急車呼べ!消防車もだ!」
「穴沢さんに連絡しろ!生きてる奴を探せエ!」
「こっちに逃げて来い!そっちの道より安全だ!」
「ザッケンナコラー!そっち行くな、まだ燃えてる!」
威勢よく次々に焼け焦げた湯治場へ飛び込んでいく。
戸惑う商業組合長にヤクザ者がにやりと笑う。
「ここは大事な金蔓だ。無くなっちゃ困る」
「そんなこと言って、貸しを作りたいだけでしょうが」
「うるっせえな!カッコつけて悪いかよ!オラッ動けやゴラァ!スッゾコラー!」
観客たちも我に返る。
町の面々は家に取って返し、なけなしの救急箱やシーツを持ち出してきた。
「で、で、でも、お医者さんはどこにいるんです。かなしろ診療所の先生は、その…」
町の人間は初めて小林がいない事実を現実のものとして捉えた。

湯治場のすり鉢の底、爆心地。
岩の影に動くものがある。岩の裂け目から、黒い塊が這い出して来た。
本田を肩に担いだBJだ。煤と砂埃にまみれてはいるが、彼はまだ動けるようだ。しかし本田はぐったりと体を預けたまま身動き一つしない。息を切らせてBJは炎の影響が少ないところを探して歩く。
「俺をかばう奴があるかい。湯治場の人間全部殺そうってしてたくせによ」
「……君が、もし、川崎君なら…私は、こうするだろうなって、ことを、しただけだ…」
爆発の炎から本田はBJの盾になった。上半身をひどく火傷した状態で、やっと喋っている。
「お前さんも治療するからな」
比較的安全な平たい岩の上に本田を寝かせ、状況を把握する。爆風に飛び散ったバラックが三棟。燃えているバラックが二棟。今は鱗より火傷や怪我を負った人間の治療が先だ。他にもいないか、すばやく哨戒する。
BJの視界の端、赤褐色の岩の近くで白い布が揺れている。あれは教団の着物の色だ。嫌な汗が一気に噴き出しBJは走る。砂埃を上げて駆け寄ると、岩陰に倒れている子どもの足を発見した。
「耕太!」
仰向けに倒れた耕太は手足に大火傷を負っていた。しかし息がある。意識もある。耕太はうわ言に母を呼ぶ。BJがいる斜面の五メートルほど下に、煤けた女が横たわっていた。必死に伸ばした手を親子はまだ掴めていない。不発弾に飛び散った自分の過去がBJに襲い掛かる。
そこへBJの事情など知らない者が来たのは、今の状況では却って良かった。クロコダイルの革靴で岩を避けながらやって来たヤクザの兄貴分がBJに声をかける。
「アンタ、医者か。俺は穴沢ってんだ。火傷や怪我をした人間は、壊れていないバラックに運んでる。救急車が来るまで時間がかかるらしい。それまで様子を診てやってくれ」
「それは依頼か?」
BJは顔を上げない。彼の頭の中はまだ真っ赤のまま。燃える砂浜、ちぎれた身体、四肢を失った母の姿。それを捨てた父の背中。次々に襲いくるフラッシュバックの中、燃え上がりそうな怒りを堪えている。
不穏な様子を感じた穴沢は、彼の背中を片目を眇めて見つめる。
「俺はモグリの医者だ。依頼がなければ仕事は受けない。俺が治療するのは俺が助けると決めた者だけだ」
怒りは、脳の外で燃やせ。
「何言ってんだ!?医者はケガ人や病人を治すもんだろう!?」
「ボランティアじゃねえって言ってるんだ。後で治療費請求するが、それでいいか」
怒りは、腕で、指で燃やせ。
「クソっ!足元見やがって!構わねえ、新聞記者まで居やがるんだ。ここまで来てやめられるかよ。その代わり、絶対に皆治療してみせろ!」
「よし。わかった」
BJはとびきり獰猛に、しかして精錬な笑みをたたえると動き出す。
その顔を見て思わず後退る穴沢は、もう彼の視界にはない。

「重度のけが人は、そこの開けた場所に連れて来い!軽症者はバラックへ!」
湯治場の一角に、酷い火傷の男女が布団に横たわった状態で、ぐるりと円を描いて並べられる。総勢15名。その中には耕太とその母親も入っている。円の中心にいるのはBJ。治療の準備を始めているのを見て、穴沢がヤクザ者特有のドスの効いた声で叫ぶ。
「何しようってんだ!まさかこれだけの人数、いっぺんに診るとか言わねえよな!」
「その通り。時間がねえ。後でな」
「バカなこと言うんじゃねえ!無理だ!重傷者ほど、こんな場所から避難させるのが先だろうが。きちんとした方法とれよ!」
血管が切れそうな勢いで正論を述べるヤクザの横に涼し気な声が響く。
「無駄だよ。『きちんと』の意味が分からないんだから」
ふわりと円の中に着地したのは〈六枚〉だ。
「野良猫君、実はね、私は医学部の学生だったんだ。5年生で教団に拉致されたから、そこまでの知識しかないけど、簡単なお手伝いはしたいな」
「つくづく便利な男だな、お前は!」
BJは手を動かしながら話し続ける。
「お前もボランティアってわけじゃねえんだろ」
「ああ、そんな素敵なものじゃない。これは私の勝手だよ。助けることで、私も救われるかもしれないっていう、思い込みさ」
〈四枚〉を逃がした時の涙。あんなふうに泣いたことは一度もなかった。教団に来て三枚目の鱗を手にしてから、涙を流すことなど忘れてしまっていた。
「泣くと、すっきりするものなんだねえ」
「耕太の気持ちがわかるか。さあ!無駄口はここまでだ!ついて来いよ〈六枚〉!」

BJのメスが光る。見る間に壊死した皮膚を切り取っていく。すさまじい勢いで縫合される傷口。
ヤクザが手配した冷却用のパックとともに医療物品と人工皮膚が届く。物資の補充によってギアが上がり、治療の速度が上昇していく。BJの指先の正確さを誰も目で追うことができない。
「次!」
流れる汗をぬぐって耕太と母親の前に立つ。さっきと同じように幼いころの自分と重なり、憎しみに塗りつぶされそうになる。しかし耕太の鳩尾に光る鱗がBJを引き戻す。
バチン!と自分の頬を叩き、メスを握り直した。まだら模様の皮膚になるが、自分の時より進歩した人工皮膚だ。きれいに治るに違いない。
「次!」
列挫創、刺創、切創、擦過傷
「次!」
Ⅰ度、Ⅱ度、Ⅱ度、Ⅲ度
次にBJの前に横たわるのは本田であった。
爆心地にいたにも拘わらず、彼の火傷と怪我は状況を鑑みれば比較的軽症で済んだ。本来なら炭のように燃え尽きていてもおかしくない。BJを抱えた瞬間、爆風に飛ばされて、岩の隙間に入り込んだ事が幸いしたのだ。しかし上半身が爛れ、意識がなく重篤なのは変わらない。すっかり上がった息を整え、黙々とBJは切除と縫合を繰り返す。
「本田さんよ、あんたは友達を探してここまで来たんだ。会わないといけないんだろ。だったら踏ん張れ」
意識を失った本田に語り掛け、最後の縫合の糸を切った。
やっと救急車が到着し、怪我人を担架で運び出した。ほとんど処置されていることに一様に救急隊員は驚くが、BJの耳にはその感嘆の声など入らない。
「次ィ!!!」
十五人全ての治療を終え、バラックへ駆けだすBJの姿を見送る穴沢は思わず呟く。
「奇跡だ…」
続く〈六枚〉は否定する。
「そんなものはありはしない。いつだって人間の意志と欲望で、世界は動くのだからね。あの人の中には『治したい』って欲望が渦を巻いているのさ。そばで見ていてよくわかった」
灰に汚れた着物の胸元から見えるのは虹色の鱗。正体を聞かれる前に〈六枚〉はBJの後を追った。
BJ達が怪我人が集められたバラックに到着すると、まもなく救急隊員もやってきた。ここは彼らに任せ、BJは本命へと向かう。
この湯治場に存在する、鱗の名残に。

目指すは湯治場の西の崖。
大きな黄色い岩の裏。ここにバラックとは違う、木造の平家が建っている。
外から隠すように置かれた岩の陰から、茶色く錆びた扉が現れた。まるで牢獄だと扉に触れてみれば、容易く開くではないか。固く施錠されているものとばかり思っていたのに。開く扉に当たって、BJの足元に転がってきたものがある。南京錠だ。
やはりここに鱗に関わる人々が閉じ込められていた可能性がある。進むと平屋の全体が見えた。平屋の木製の壁は温泉の蒸気のせいで、すっかり鼠色に変色している。奇妙なのは窓がひとつもないことだ。既存の窓を塞いでいるわけではない。初めから作られていないのだ。この平屋は用途を決めて建てられている。
確信を込めて平家の木戸を開ければ、こちらも施錠されていない。教団が鱗のできた人間を放置しておくはずがないのに。
ひょっとしたら法被の連中がいるかもしれないと身構えて、中に入った途端、酷いにおいにBJは顔をしかめる。温泉の硫黄の臭いとともに、何かが発酵しているような酸い臭い。しかし構っている場合ではない。土足で上がる。
窓がないので中は暗い。手探りで当てた廊下の壁にスイッチがあったのでつけてみる。天井の電球が灯った。まだライフラインが生きているということは、人がいる証拠でもある。気を引き締めるようにBJは後ろに続く〈六枚〉に目くばせして、足を踏み出した。
明かりが照らすのは、なんともノスタルジックな昭和の雰囲気が漂う室内だ。台所部分に貼られたクロスが色あせて物語る。なぜか台所と廊下の境に鉄格子がはまっていたが、理由は分からない。
やがてたどり着いた平屋の中心の大部屋、そこには室内にもかかわらず12畳ほどの土間が広がっていた。これも畳などひく予定がないと言わんばかりに、最初から設計されていたように見える。土間に設置されていたのは格子状に区切られた木製の大きな浴槽。所々朽ちて黒ずみ、結晶化した温泉成分が浴槽のふちに溜まっている。湯は抜かれていたが、浴槽の隅にまだ水分が残っている具合からして、最近まで使用されていた形跡がある。
部屋の角の小上がりには辛うじて畳が敷かれ、薄汚れた布団が隅に積まれていた。それ以外に置かれているものはなく、ただ眠るためだけに存在する場所のようだった。
理解しがたい空間だが、ここで誰かが生活していたのは間違いない。BJはもう疑念を抱かなかった。キリコが話した鱗を生やした人間を選別する場所がここだったのだ。
かなしろ診療所から鱗が増える適性があると見込まれた人々が送られた場所。
だが、耳を澄ませど平屋の中はしんと静まり返り、人の気配を全く感じない。
鱗が二枚になるまで、ここで強制的に生活させられた人々は今、どこへ。
「〈十〉の方が現れたから、ここにいる人間は不要だと判断されたのかもね」
沈痛な面持ちの〈六枚〉が下を向く。彼もここにいたことがあるのだ。
「…あの時のカガイに、連れて行かれたか」
床に小さな靴が片方残されていた。
小林が見つけたものは、きっとここにあったのだろう。どんな様子かは予想しかできないが、その末路を今のBJは知っている。
もう誰もいないとなれば、次に切り替えるしかない。しばし黙祷して、BJは平屋を後にした。

BJと〈六枚〉は耕太が集めてくれた人々がいる大きなバラックに入った。皆一様に不安そうな目をBJ達に向けてくる。老若男女問わず予想以上に鱗の生えた人々が湯治場に存在していた。その数30人弱。かなしろ診療所の機能が失われているうちに、教団の条件に合わない本来はじかれるべき人間が、そのまま放置されていたためだ。
その中に、ひときわ肌が白い娘がいた。
腕には楕円形の虹色の鱗が一枚。脛にも一枚。
BJは有無を言わさず鱗を切除する。穴沢から薬品類を調達したので、鞄の中は万全の状態だ。麻酔のおかげで痛みもなく取れた虹色に光る鱗を、娘は不思議そうに眺める。
「きれいね」
「見た目だけはな」
娘が手のひらに乗せて愛でていた鱗を掴むと、BJは次の患者に向き直る。
また一つ、また一つとBJは鱗を切る。二度と生えないように芯をえぐり取る。
〈六枚〉はそれを全て見ていく。
自分に生えたイチョウ型の鱗と似た形のものを見て、自分に初めて鱗が生えた日の事が思い出された。
肌が弱いと心配して、この湯治場へ連れてきてくれた祖父。生えてきた虹色の鱗を見て、きっといいことがあるんじゃないかなんて笑っていた。その時は自分自身おもしろい物が身体にできたものだと、一緒になって笑った。何も知らずに。
教団に拉致されてからは、ひたすら祖父を恨んだ。同じ虹蛇と鱗を巡って争い憎しみあった。蹴落としてきた者の顔。鱗が生えなくなる事を恐れる日々。それらが鱗が切られるたびに自分の体の外側から、内側へと落ちていく感覚になる。
「おい、手え動かせ〈六枚〉、消毒くらいできるだろうが」
そう。私は〈六枚〉。まだ本名を明かすには遠い。耕太と私は違いすぎる。いつか、名乗れる日は来るだろうか。時間がかかっても、その日を迎えたい。
〈六枚〉に芽生えた、明日を生きる意味であった。


日が傾くころ、湯治場にはまだ救急車のランプが瞬いていた。
ようやく駆け付けた警察もいる。町や観光客から連絡があったのも事実だが、その前に〈四枚〉が警察に保護されていたことから、一気に明るみになった。
BJはついに現れた友引警部にたっぷりと絞られ、道路わきの古い電話ボックスに背中を預けて座っていた。人垣がばらけたころ、ヤクザの兄貴分、穴沢が彼のもとへ歩み寄る。
「これであんたのカタがつくのかい」
血と土埃にまみれた顔でBJは前を見たまま。
「さあな…俺は警察を信用してないし、教団にまで捜査の手が伸びるかどうか。顔を知った警部には全部話したけど、多分、難しいだろう」
「警部じゃなあ…」
「そうだ、約束の治療費なんだが」
今、その話をするのかと怪訝な穴沢に、BJは何でもない事のように告げた。
「教団をこの町から締め出すってことでどうだい」
「何だって?」
「俺の想像なんだが、あんたら教団の弱みを握ってる。まあ、俺もいっぱい知ってるけどさ。だから教団の作った温泉の仕組みに出資して、もっと大掛かりにしたんだろ。そして仕組みの維持にかかる物資を教団に売りつけて儲けてた。町の持ち物である湯治場の入湯料は、直にあんたらの財布には入らないからな。」
パトカーが一台、二人の前を通り過ぎる。何を話しているのか知りもしない。
「教団サイドは町から入湯料をネコババしてたんだろうさ。本田の話だと、町長ですら教団に頭が上がらなかったみたいだし。教団側はミックスジュース温泉のおかげで、自分たちに都合のいい環境ができるは、金は入るは、大満足だったろうよ」
BJは目を擦り、欠伸交じりに続ける。
「今回の件で賀名代温泉のステータスは大きく下がるだろう。一旦仕切り直して新しい温泉を作ってみてもいいんじゃねえの。このままの状態が続いてたら、間違いなく金属中毒で死人が出てたと思うぜ。鱗見ただろ。潮時だ。もうこの町に教団は無くてもいいんだよ。つーか、教団を追い出せば、この町の連中皆喜ぶんじゃねえ?そしたら、今度はあんたらが町と入湯料の分け前を……」
急に黙り込んだBJを穴沢は慌てて覗き込む。さっきまで火を噴くエンジンの如く切りまくって縫いまくっていたのだ。死んだのではないかと長いツートンカラーの前髪を上げると、そこにはぐっすりと眠るBJの寝顔があった。
意外と幼い顔立ちだなと前髪を下げ、穴沢はまだ始末のつかない湯治場を遠く見据えた。


湯治場の騒ぎが落ち着き、初雪が観測される頃。
容態の落ち着いた本田に、川崎の遺体が見つかったと知らせが入る。
遺体の状態など仔細は明かされなかったが、本田はそれでいいと静かにうなずいた。

そもそも本田が教団に目を付けたのは、川崎が行方不明になった時、賀名代温泉に立ち寄ったことが始まりだった。
偶然町の古道具屋で見つけた時計が、本田の止まっていた時間を動かし始める。高級時計なのに格安で、何気なく手にとり、時計盤の裏を見て悲鳴を上げた。そこに彫られていたのはヒュギエイアの文様。盃に巻き付く蛇、薬学のシンボル。自分の研究分野にピッタリだろうと、わざわざオメガの時計の文字盤の裏に彫り、得意げに川崎が見せてきたものと同じだった。こんなもの世の中に2つとしてありはしない。行方が知れなかった川崎は、確かにここにいたに違いないと本田は確信した。
それから腕時計の出所を探れば、すぐに教団に結び付いた。しかしまともに行っても相手などしてもらえない。ならば教団の姿を洗い出すことで、川崎の行方がつかめるような気がした。
本田が奔走する間に長い月日が流れ、周囲の人間は川崎の存在を忘れた。川崎の身内ですら、本田に捜索を続けるのを辞めるよう心配して言ってくる。あまりに強い意志で親友を探す彼を見て、執着が過ぎると顔をしかめる者もいた。あらぬ噂を立てられた時期もあった。
冷たい視線を浴びながら、それでも彼は探し続けた。探し続けなくては生きられなかったのだ。
それだけ彼らの友情は朴直で真摯だった。彼らしかわからない。ひょっとしたら本田にしか分からなかったのかもしれない。川崎が見つからない焦燥、友情への抱いてはいけない疑惑、それらを振り払うために、彼は自分たちの友情が不滅であると思い込んだ。
そうして本田は精神的にも追い詰められ、とうとう命を賭した決心をして、賀名代温泉へ降り立った。

窓の外には雪がちらつき始める。
小さな雪のかけらは冷たい風に吹かれて、あっという間に飛んでいく。
それを見ると、彼がいつも着ていた安物のダッフルコートを思い出す。
普段感情を表に出さない彼が、本田の前だけではよく笑い、よく怒った。自分も同じだった。
腕時計を見せて来た時の彼の屈託のない得意げな笑顔。
それが忘れられない。
「ねえ、身に着けるものにヒュギエイアのマークなんて、些かナルシシズムを拗らせているんじゃないかな。実はずっと思ってたんだ。だってあまりに幼稚じゃないか」
もし彼に言ったなら、きっとすっかりへそを曲げたに違いない。
ああ、楽しかったなあ。
あの頃は本当に楽しかった。
溢れて止まらぬ涙で枕を湿らす本田の元には、動かなくなったオメガの腕時計が、寄り添うように置かれていた。
※2021/12/11改訂
いくつかの儀式を経て、俺は装束を身にまとう。
白木の案に載せられたのは俺が指定した衣服。
控えている教団の人間は内心穏やかではないだろうが、知らぬ顔をしている。何せここは奥の院の最深部。一握りの限られた者しか入れないこの神殿は、彼らにとって最上に神聖な場なのだから、取り乱すわけにはいかない。俺が着ている白い着物の襟に手をかけると皆が首を垂れて蹲る。
黒のスーツ、ジュラルミンのケース。
本来の姿を俺は取り戻す。
白い法被を着た連中は掟とやらで顔を上げることを許されない。きっと俺の黒い革靴が見えているだろうに。
南雲の案内で、神殿の更に奥へ続く白木の扉へ向かう。
清らかに整えられた祭壇の白い掛布を踏み、最上段に鎮座する鏡を押しやり、その向こうの扉へと手をかける。
開きかけた扉を影にして、下がろうとする南雲を捕まえ耳打ちした。
「逃げなさい。耕太に七枚目が生えたと知らせがあった。今のうちに逃げないと、あの子も助からない」
ここに来てずっと感情のない機械のように振る舞っていた彼女は、耕太の名を耳にしてみるみるうちに青ざめた。もう俺の存在は眼中にない。不安定な情緒をかき集めるように袴の裾を絡げ、南雲は長い廊下を必死に駆けていった。
それを見送る俺に、扉の向こうの人物が声をかける。
「意外と温情があるのじゃな」
ふ、と口角を歪めた。
「そのようなものではありません。ただのエゴイズムですよ。そのせいで何度も酷い目に遭いましたが、こういうものは耐えると自分に帰ってきますからね」
行先には漆黒の闇しかない扉をくぐる。
「我らを目にしても、同じことが言えるかのう」
「わかりました。初めて会う依頼人の方に失礼のないようにいたしますよ」
敢えて軽い口調にすると、くすくす笑う声が響く。
踏み入れた扉の先には、湿った洞窟が続いている。事前に指示された通り、内側から扉を閉め、外から開けられないように細工をした。どのくらい時間が稼げるかわからないが、これに関しては教団の掟とやらの拘束力の強さを願うばかりだ。
灯をつけることは禁止されたので手探りで進むしかない。しかしどう言う訳か前方がぼんやりと光っている。その他は足元すら見えない暗闇だというのに。
光が漏れる先から大師の声が響く。
「少し、昔話をしよう。そのまま聞け」
言葉の通り、洞窟の中を進みながら耳を傾けた。
「私はこの町に生まれ、虹蛇の資格を持って社に入った。しかしな、鱗が増えず滝から落とされた」
何のこともない様子で告げられたが、些か驚いた。彼女はあの歌垣を生き延びたのか。それだけではなく滝からも助かっただと?どうやって。
「滝の奥にな、洞窟があったのだ。信じられまい?なんとか命拾いはしたが、行きどまりの洞窟でな。いずれ命が尽きるのは必定であった。それでも生き延びようとする人の性根の浅ましさよ。私は岩に生えた苔を舐め、泥を啜った。しゃぶっていれば味がするかと石ころを口に入れたこともあったな。そんな日々が…どれだけ続いたか覚えておらぬ。朝か夕かもわからなくなっていた。やせ細り、動けなくなったころ、偶然天井が崩れてきおったのよ」
洞窟の角を曲がると、つきあたりに虹色の光が満ちている。
「私を救い出したのは、皮肉にもこの教団の者どもであった。小娘一人の顔を覚えておる者もおるまいて。私を見るなり、皆が地にこうべをつけて震えておった。そこで初めて自分の体を見たのよ」
虹色の全身を晒す大師が岩壁にもたれている。人の領域を超えた面立ちで、ふふ、と笑う。
「それが今の私じゃ。理屈は知らぬ。神の思し召しかどうかも知らぬ。この姿になった私は…」
そっと慈しむように、彼女は同じように虹色に輝く岩をなでた。
「ずっとカガシロ様のお世話を任されておる」

俺は、何を見ている?
大師がさわっている物体は何だ。
片目しかないから、正しく認知できないのだろうか。
混乱する頭を整理しようと、思わず下を向いてしまった。
「ふふふ、死神の化身もかたなしじゃのう」
大師の声に震えそうになったが、地面の妙なくぼみが視界に入って、気が逸れた。
これは、足跡か?しかも、革靴の。まさか。
「先程おもしろい男が来てな、こうのたまうのよ。『二人とも鱗を取る手術を受ける気はあるか』とな。『二人』と言うたのよ。一目見ただけのくせに。神は柱で数えるのだと教える気にもならなんだ」
ああ、来たのか。
「白と黒の苛烈な火花のような男であった。私が首を振ると、静かに目を閉じて行ってしまったよ」
大師はそれはおかしそうに笑った。同時にひどく寂しそうでもあった。
彼女の背後には崩れたような穴が空いている。
俺の胸中には激しい衝動が湧き上がっていた。これは不要なもの。ずっと昔に捨てたもの。だからあいつに対して憤る必要などない。俺がしてきたことは、何一つ間違っていない。
「お主も存外に暑苦しいのう」
「みっともない所をお見せしました。あれに関してはどうも」
「よいよい。カガシロ様も喜んでおられよう。最後に賑やかであったと」
気を取り直して、やっと会えた依頼人の前に立つ。
淡く発光する虹色の鱗が幾重にも重なり、岩のように結晶化した中、目を閉じて眠っている男の顔があった。


麓の湯治場に、賀名代温泉を根城にするヤクザ者が集まりだした。
それぞれの手になじんだ獲物を手にした者達、懐に忍ばせた飛び道具をいつだそうか機会をうかがっている者もいる。温泉街の組合長なども引っ張り出されていた。
一方カメラを持った地元の新聞記者も来ている。こちらはガラの悪い連中から遠く離れたところに陣取っていた。
観光客も野次馬根性丸出しで、デバイス片手に忙しくSNSの送信をしている。
彼らが見つめる先には、すり鉢状の湯治場の中心部に立つ本田の姿があった。一体何が始まろうというのか。固唾を飲んで見守る人々の視線を一身に受けて、本田の大演説が始まる。
「まず初めにッ!私のリュックサックの中には、TNTに勝るとも劣らぬ威力の爆薬が入っていると申し上げておきます!こちらのバラックにいる湯治客の方々は、私の人質になって貰いますッ!」
突拍子もない発言に観衆はざわめく。爆薬、人質。およそ耳にすることがない単語を理解しがたい様子でいる。そこまでして何をこの男は訴えたいのだろう。これから何をするのだろう。あるのかどうかも分からない爆薬に対する恐怖よりも好奇心が勝つ雰囲気が満ちる。
目を輝かせる観光客に苛立ち、バカにしているのかと若い鉄砲玉が本田を威圧する。
「ザッケンナコラー!」
ヤクザの声に動じる素振りも見せず、缶ジュースでも開けるかのように本田は爆薬と思しき小さなパックのつまみを捻り、思い切り遠くに放り投げた。時を移さず、炸裂音と共に炎が瞬間的に広がる。細く鋭い恐怖の声が、初めて周囲の人間から上がった。
「これはほんの些細な花火のようなものです。リュックサックの中身はこうはいきません!」
これが花火だというのなら、リュックサック本体はどうなるのだろう。
「ガスだ…温泉から出るガスに引火するんだ…」
ひきつった表情の商業組合長をヤクザの男が押さえつける。そんな話は聞いてないだの知らないだの言い合う連中をよそに、本田は拡声器でも持ってきたかと錯覚するほど大きな声で話し出す。湯治場のすり鉢状の地形が、スタジアムのような効果を生むのだ。
本田の語る内容は30年前まで遡る。

30年前、記録的な豪雨により、この地域は大きな水害に見舞われた。山が崩れ、多くの家や人が流され、田畑は使い物にならなくなった。しかしそれ以上に深刻だったのは、地元の経済を支えてきた賀名代温泉の湯量が激減してしまった状況だった。
皆が悲嘆にくれる中、ある宗教団体が訪れる。
白い蛇を祭神とする小さな講の人々は、ここで会ったのも何かの縁と、水害に遭った人々の復興支援を願い出る。幾許かの訝しむ気持ちはあれど、緊急事態故に人手が足りない。今だけと町の人々は教団の手を借りることにした。やがてその中で教団に入信する住民が現れ、町の混乱の中、教団は温泉街の神社に間借りをする形になった。
復興の目途が立ったころ、温泉街の町長が「助けてくれた礼がしたい。何かできることはないか」と裏口から伝えてきた。教団の幹部はなかなか良い返事をしなかったが、ついに欲しいものがあると口を開いた。「白い生き物」が欲しいというのである。なんだ、そんなものか。ペットでも飼い与えるような気軽さで、白色レグホンを一羽寄与した。しかし教団の幹部は違うと首を振る。「全部」白いものが良いと言うのだ。
首を傾げる町長は、丁度となりの畑で罠にかかった狸を思い出す。毛が真っ白で目が赤かった。ああいう奇妙なものがいいのかと、檻に入った狸を教団に渡した。その時の教団の喜びようは、表現のしようもないほどだったらしい。
教団は温泉のためにと、賀名代温泉の総湯の前で祈祷を行った。
間もなく温泉の湯量が戻る。
祈祷のおかげかもしれないと町の人々は感謝した。
ここまでは人の善意であり、偶然である。
だがこの後ぷつりと教団の姿は町から消える。神社の中に引きこもり、外部に出なくなった。
湯量が戻ったことで温泉も湯治場も復活し、客足も増加の一途。幸先が良いと見込んだ町長は温泉街の規模を広げることにした。いくつも新しい温泉宿ができ、飲食店も増えた。町全体が活気づいたと思っていた矢先である。客が離れだしたのだ。
慌てて調べると、温泉の泉質が著しく落ちている。普通の湯と大差ない、温泉とも呼べない代物。
町に閑古鳥が鳴いても、借金は無くならない。日々取り立てに来るヤクザ者に町長は怯えるしかなかった。不景気と治安の悪化。町全体を暗い雰囲気が覆っていた。
そんな暗雲をものともせず、再び白い蛇を祭る教団は賀名代温泉の総湯の前に祭壇を作り、大規模な祈祷を行う。このころにはすでに〈カガシロ様〉を祭っていたとされる。祭壇の上には犬くらいの大きさをした、くすんだ鱗のようなものが生えた木乃伊があった。
奇跡はもたらされる。
湯の色が変わったのだ。
神経痛に効くとされていた以前の泉質とは異なるが、皮膚病によくきくと評判になり、瞬く間に以前にもまして客が来るようになった。町の人間は諸手を上げて教団に入信していく。皮膚病に効く湯が沸いたのは、脱皮をして再生する蛇の神を祭っているからだと神話めいて語られた。この時、やはり教団は「白い生き物」を欲しがったと言う。
新しい湯で温泉街が賑わうようになって間もなく、町の人間に異変が起きる。
『虹色の鱗』が生える者が現れた。
この町では日常的に温泉の湯を使う。湯と鱗との因果関係に考えが及ぶはずもなく、病気か何かかと騒ぐうちに、鱗が生えた者は忽然と姿を消した。
当然、周囲の人間は必死に探す。しかし行方不明者を探していた男が町の川に浮かんでいた。驚く人々の前に教団の一行がやってくる。「主祭神カガシロ様のご意向」だと言うのだ。
教団曰く「鱗が生えるのは、カガシロ様に気に入られたからであり、光栄なこと」として、川に浮かんだ男は「カガシロ様の怒りに触れた」ため死んだのだと説いた。
教団に入信しているものは受け入れるしかない。反発したものは家にヤクザ者が押しかけ、半死半生の状態にまで追い詰められた。酷い者はやはり川に浮いた。見せしめである。それが続けば警察に知らせるものはいなくなった。地元の派出所に駐在する警官ですら教団の信者なのだから。そもそも証拠と呼べるものがないのだ。『虹色の鱗』の存在は実際に見た者にしか分からない。
『カガシロ様』は温泉の恵みを与えるが恐ろしい神でもあると、町の人間はその名を口にしなくなった。もし教団に逆らって、また温泉の湯がおかしくなれば、今度こそ町は終わりだ。
怯える町に教団から金がばらまかれる。金と言っても毎年買わされる高額な札を無料で配布すると言ったレベルのものだが、明らかに口止め料だ。ほとんどが教団の信者である町は、黙って『カガシロ様』を崇め、畏れた。
高度成長期のさなか、観光客の間で変な噂が立つのも芳しくないと、行政側の判断があったのも事実だ。
賀名代温泉の湯はこんこんと湧く。
また一人、また一人と町人に鱗が生える。生えた者が出た家は必死に隠そうとする。だが狭い町ではすぐに異変に気付かれる。教団に告発すれば、祝福と称した礼金が出た。町の人々は互いに監視し合い、探り合い、偽物の笑顔を貼り付けて一層隣近所との関係を密接にしていく。閉鎖的な息苦しいコミュニティ。
そのガス抜きのために作られたのが「かなしろ診療所」である。
教団側はもう鱗が増える者の条件を掴んでいた。『肌が白いこと』これに当てはまらない人間はいらない。わずかな数ではあるが湯治の客に鱗が生え始めたこともあり、町の人間を含め、かなしろ診療所で篩にかけるシステムを作った。条件に合わない湯治客には「よくあること」で済ませ、町の人間には「助かった」と安堵の気持ちを与えた。
ここから地獄へ落ちる人間もいる。
だが、誰一人目を向けることはない。
賀名代温泉の湯は今日も湧く。
湯治場としての知名度は鰻登り。
黙っていれば町は潤う。生活ができる。

それから10年がたち、温泉街近くの山道で故障した一台の車が発見される。
マツダ・コスモスポーツ。その助手席にはページをちぎった形跡のある地図が残されていた。

「私は!人を探しに来たんだッ」
本田は吠える。
「その車に乗っていたのは、私の友達だッ!私の、一番の、大切な友達なんだ!」
唯一この場にいない教団関係者を探すように、その場でぐるりと一周する。彼の腕に着けられたオメガの時計盤がチカリと光る。興奮した自分を冷ますように大きく深呼吸して、本田は良く通る声で告げた。
「カガシロ様なるものを祭る教団、彼らに友達の川崎良治君は攫われました。彼の開放を要求します。湯治客の皆さんには申し訳ないが、この要求が叶わない時は、ここを爆破します」
集まった人間には本田の意図が全く分からない。唐突すぎる。なぜ教団が川崎某を攫う必要があるというのか。そもそもどうして脅迫する場に湯治場を選んだのか。
「私は長い時間をかけて調べました。教団の本当の姿を知っています。だから川崎君が今も生きていると確信しているのです。『カガシロ様』は生きていることが必要不可欠ですから」
本田の眼鏡の奥が歪む。
「出て来いッ!カルト教団ども!さもなくば湯治場を爆破する!」

そこへ雷鳴の如く走る叫び。
「そいつは困るぜ。こっちが先約でい!」

湯治場の鉱物が覆う黄色い大地を真っすぐに突っ切って駆ける黒い影。
温泉街の者たちがどよめく。悲鳴を上げる者さえいる。
「おい!知ってるのか!あいつは何だ!?」
ヤクザ者に掴みかかられ、しどろもどろに商業組合会長は、その名前を口にする。
「ブラック・ジャック、モ…モグリの医者です!」

堆積した赤、黄色の粉塵を上げて、ブラック・ジャックは岩の上に立つ本田の前に到着した。
「誰だっ!邪魔をするのかっ!」
再び激高した本田は、リュックサックを開けようとする。しかし、あったはずの場所にない!
振り向くとリュックサックを持って走る少年の姿。そしてそれを追いかけて掴む青年。
「でかした、耕太!アイス買ってやるからな!」
「正気か君は!子どもに爆薬の詰まったリュックサックを盗ませるなんて!ああもう、私によこしなさい!」
「わはは、そのためのお前だ〈六枚〉。そっちは頼んだぞ」
どうせ爆薬なんか偽物だろうと踏んでいたBJの横で、次々と野太い野郎の声が慌てふためき交差する。湯治場の上部にいたヤクザが耕太からリュックサックを受け取り、中を検めたのだ。
「これガチなやつだ!」
「ヤバイヤバイヤバイって!!!どこのテロリストから買ったんだよ!」
あら?首を傾げるBJに四方八方から罵声が飛ぶ。
「もし爆発してたらどうすんだ!」
「しかもこんな小さい子に盗ませて!」
「アイスで済ますな!」
石でも投げられそうな勢いだ。
BJは土埃に汚れた黒いコートを翻して、負けじと声を張り上げる。
「うるっせえ!!爆弾が怖い奴は家に帰りやがれ!俺はそんなもんには用がねえんだよ。俺は治療をしに来た!」
何のことを言っているのか、先程からずっと置いてきぼりを食らっている観客たちには分からない。
理解している耕太と〈六枚〉は走り出している。
「患者はどこだ!!!」