My fair villainous lady⑧

第8章

いい気分!天気は良いし、ビーチはキレイだし、なによりあのお嬢様はいないし。

やっとわかったんだ。いくらしがみついてみても健斗は私を選んでるって。おっせーっつーの。健斗は出来のいいお嬢様にずっとコンプレックス?があったんだって。よく知らんけど。「そのままのあなたでいい」って言ったら秒で落ちた。

今日だって明け方まで離してくれないから、シャワーできなかったし。同じ年頃の男子って体力だけはあるから、何度もガッついて来られて、いい加減気持ちいい演技するの疲れる。気付けよって思うけど、健斗の一生懸命な顔見てたら許せた。イケメンなのはいいよね~

小網君はそういう意味では、マイナス点かな~でもアッチのサイズ一番大きいから、気持ちいい所に当たるし、皆の中では一番相性いいかも。でもあんまり顔が好みじゃないんだよねえ。セフレならいいかなあ。彼も変な悩みをもっててでかい図体のくせにウジウジしててムカついたから「あたしはあなたの味方だよ~」って思ってもないこと言ってみたら、その日のうちにベッドに入っちゃった。チョロすぎ。

もりもりは思ってた通りむっつり君で、ちょっと肌に触れさせてやったら、ぐいぐい来て笑いを堪えるのがきつかったあ。「あなたはもっと価値のある人」って昨日見た広告のキャッチコピー言ってみたら泣き出しちゃって、かなり引いた。彼の童貞奪っちゃったときとか思い出してもウケる。中に入れた途端に出ちゃうとか本当にあるんだって笑えた。あの時の真っ赤な顔、普段のインテリぶった顔と違って、めちゃめちゃおもしろかった。

るあくんは、いつも女の子みたいって言われるのが嫌なんだって。あたしの前で無理に男らしくしようとするから「すごい、すごい」って褒め続けてたら、やっと落ちた。手間かけさせやがって。でも、へこへこ必死に腰振ってる姿を見てると、ボセイホンノーみたいなのをくすぐられる?がんばれっがんばれって心の中で応援してる。全然気持ちよくないけど(笑)

「苺愛ー」

ほら、健斗があたしを呼んでる。お金持ちの、あたしの王子サマ。

ビーチを歩く水着姿のあたしは皆にどう見えてる?かわいい?当然だよね。

みんなに求められて、愛されてる私はさいこーにキラキラしてる。

もう、みんなまたエッチなこと考えてる顔。順番に相手してあげるから、それまでおあずけね。いい子にして待ってて。

罫線

夕暮れ、コーヒーバー「スター・ギター」

ここのスタッフに沙織を紹介した。エディはどストレートに「悪役令嬢が来たー!」と喜んでしまい、マリベルからどつかれていた。俺は沙織から聞いた、彼女がピンク頭の一団にされていた行為について全部話した。途中からクララもやって来て、知らないクルーも顔を出していた。それだけ彼らにとって【ピンクの美少女をいじめる黒髪の悪役令嬢と4人のナイト】は魅力的な話題なのだろう。

俺が話し終えると、クルーから沙織への質問コーナーが始まった。主にピンク頭が主張していたことと沙織の話した内容の乖離についてだったが、トラブルが起こった当時に同じ場所にいたクルーがどこかに必ずいて、状況のすり合わせをすれば沙織の主張が正しいと理解してくれた。集まって話を聞いてくれたクルーが沙織の状況を分かってくれたところで、彼らに提案する。

「今日、ここで話したことを船内に広めてくれないか?実は俺達は明日から反撃に出る。悪役令嬢がどんなふうにヒロインをやり込めるか、見てみたくないか?」

「見たい!どんなふうにするか、ヒントをちょうだい」

食いついてきたのはマリベルだ。

「まだ仕上げには程遠いが、毎日少しずつ変化を起こしていくつもりだ。それも楽しんでもらいたい」

「【黒い魔法使い】は出るの?」

「もちろん。【黒い魔法使いその2】もいる」

誰それ―っ?!と歓声が上がる。ほんっとうに暇なんだな。

「あのねジャック、この子ルームキーパーのアナよ」

「やあ、アナ」

クララから突然の紹介。英語が堪能な沙織はまだクルーと話してる。

「私、ずっと言いたかったことがあったの。あの、私の周りはピンクのヒロイン派が多くて言い出せなかったんだけど、あの子たちの夜の過ごし方が、その、ちょっと行き過ぎてて、あの、私頭に来てて!」

「落ち着いて、アナ。俺には話してくれて大丈夫だよ」

ふうふうと一息ついて、アナは健斗の部屋や、その他の男子高生の部屋が、どんな有様なのか教えてくれた。

「シーツが汚れるのは構わないわ。そういうものですもの。でも、あの、毎回彼らの部屋のダストボックスを片付けるのは本当に嫌になるの…毎日よ…あの、スキンの口を縛るのってそんなに面倒?」

「あのピンクのヒロインが部屋に来た日はすぐにわかるわ。あの…えっと、シーツに彼女の毛が散らばってるし、部屋中、あの、ぐちゃぐちゃなんだもの」

「特に健斗の部屋の掃除が大変。ベッドだけじゃなくて、あの、ソファも壁も、すぐに拭かないとシミになるし消毒だって必要なの。男子高生だから、えっと、あの、性に対して興味があるのはわかるけれど、やりすぎよ」

マリベルがアナの声を遮る。

「ちょっと待って。それって、ピンクのヒロインは4人のナイト全員とベッドに入ってるって事?」

店内がしんと静まり返り、全員の視線が沙織に向いた。

沙織は黙って前を向いたままだった。

だけど、目じりから一粒の涙が落ちたのを見逃した者はいなかった。

「…あ、あの、私が言ったってことは、秘密にしてね。えっと、あの、船長にばれたら、叱られちゃう」

今更アナが自己弁護に走った。さっと飛び出た無表情のクララが回収してくれたので、俺は大きくため息をついて皆の方に向き直る。

「今日は俺達の話を聞いてくれてありがとう。貴重な仕事時間を奪ってしまったから、夕食を取り損ねた人もいるんじゃないかな。お詫びになるかどうかはわからないけれど、ここのドーナッツを奢るよ。なかなかうまかった」

そう言って、その場にいる人間にドル札を掴ませていく。「俺はやっぱりピンクのヒロインの顔が好みだ」とか言いつつ嬉しそうに金を持って行く人もいれば、それがなくても自分は悪役令嬢の味方だと言って去る人もいた。もちろん無言で金だけ持って行くやつがほとんどだったけど。すべてのクルーがいなくなった後、残されたエディが心配そうに問う。

「ジャック、大丈夫なの?」

「ああ、手の内はまるで明かしてない。問題ないさ」

「違うよ。悪役令嬢の方だよ」

振り向いて沙織の方へ近付くと、彼女はやっぱり真っ直ぐ前を向いたまま。目じりが真っ赤になって、まぶた一杯に涙がたまっていた。

「…健斗の事、こんな形で知りたくはなかったよな」

こくんと頷く沙織。ぽろぽろ涙の粒がこぼれだす。

「胸を貸そうか」

ふるふるとかぶりを振る。

「じゃあ、お前の涙が乾くまで、コーヒーでも飲んでるよ」

カウンターの奥へ消えるエディ。

静まり返ったコーヒーバーの店内、俺だけに聞こえる声で沙織は幼馴染への思いを告げた。

「家同士の結婚と割り切っていたはずですのに、婚約破棄をしようと心に決めておりましたのに、どうして涙が出るのでしょう」

「さあ、それだけ純粋に信じていたからじゃないかね」

「…ええ、そうです。わたくし、信じていました…」

「もう婚約者と名乗らなくていいぜ。裏切ったのはあっちだ」

俺の言葉に、沙織は返事をしなかった。

翌日、寄港したのはセント・トーマス。

美しいサンゴ礁が広がる、魅惑のクリスタルブルーの海。熱帯魚の色も鮮やかで、ここはシュノーケリングスポットとしても有名だ。

健斗たちは早々に水着を持ってビーチへ向かう。沙織はもう彼らに付いていくことはなかった。だが水着の準備はしている。

ぎゅっとバッグを握りしめて、沙織は船のタラップを降りた。

ビーチはフェンスで区切られて、料金を払った観光客以外は入れない。ここまでしないといけないものかと呆れる気持ちはあれど、これがビーチの治安を守ってくれていると思えば、納得するより他はない。ともあれビーチの中に入ってしまえば、フェンスは視界の外だ。

乾燥した晴天に照らされたエメラルドグリーンの海とどこまでも続く白い砂のコントラストがまばゆい。カリブ海の絶景を臨むビーチにずらりと並んだチェアに座って、観光客たちはめいめいに日光浴を楽しんだり、シュノーケリングをするために海へ向かっていく。

ピンク頭たちは今日も喧しい。彼らのそばにチェアを購入した観光客がつぎつぎと場所を変えていくのに、きっと気がつきもしないのだろう。気付いたところで何もしないと思うけれど。

「今日の水着…どうかな、ちょっと大胆…だったかな」

ピンク頭はヒョウ柄のモノキニビキニを着ている。

「おう!似合ってるぜ、苺愛!」

「も~コアミーったら~いきなり水着プレゼントされても困っちゃうよ~」

「でも着てくれたじゃん。すっげかわいいって」

「ねえねえ、僕の送ったピアスは着けてくれた?」

「あれは~かわいすぎて、ビーチで落としたらショックだし、夜に着けるね」

「そ、そっか…」

「がっかりしないで~大事に使いたいだけなの!るあくんが買ってくれたものだから!」

あそこまで露骨に貢いでますアピールをして恥ずかしくないものだろうか。俺が俺がで一人の女にマーキング合戦だ。頭正常か?

「BJ、顔に出てる。手を動かせ」

「おう。つくづく娑婆には理解の及ばんものがあると思ってな」

ピンク頭から程よく離れたヤシの木陰に、俺達はチェアを購入した。同時にサイドテーブルと、ドリンクを3つ。

俺はいつものコートを剥がれ、半袖の開襟シャツを着させられている。せめてと抵抗したので色は黒。だけどボタンは全開。ハーフパンツと相まって、体中に走る縫合痕の4割は見せていることになる。

いつもは脱ぐなって言うくせに…とキリコを見ると「時と場合による」とのこと。じゃあ俺だって時と場合によるわ。

そのキリコは、なんと上半身裸でいる。肌を焼く気まんまんじゃねーか。

「俺も初めはシャツを着るつもりだったんだよ。だけどまあ、この天気だ。絶対に日焼けして半袖の跡が残るって想像したら、もういいかなって」

「昼過ぎには日焼けで背中が真っ赤になって、夜は痛くて眠れない方に300ドル」

「お、じゃあ、結局我慢できなくなって開襟シャツ脱いで海に入る方に300ドル」

バカな話をやってたら、後ろにようやく人の気配がした。

「おせえぞ、沙織。ドリンクの氷が溶けちまう」

あうあうと沙織の目はまわりそうな勢いだ。

「待ってくださいまし…あの、どこを見たらいいのか…こ、困ります…」

俺とキリコは顔を見合わせる。

「沙織さん、俺みたいなおじさんの体だ。大根だと思いなさい」

にっこりと笑い、沙織の緊張をほぐそうとするキリコ。だけど俺は沙織の気持ちがちょっとわかる。キリコの体は皮下脂肪が少ない。つまりは筋繊維がバッキバキに見えるってことで、大胸筋から腹筋、腹斜筋にかけての陰影がえげつない。深窓のお嬢さんに、これを意識するなと言うのは無理があろう。

「隣のツギハギは座布団だとでも思って」

俺も人の事言えなかったわ。

「そうだぞ、沙織。これはただ遊びに来ているわけじゃねーんだ」

「そ、そうでしたわね。これも『戦い』でしたわね」

そう。ピンク頭の一団に挑む戦いのはじまり。沙織はここから反旗を翻すのだ。

意を決した沙織はそろそろと陽の下に姿を表した。

つややかな黒髪を頭のてっぺんでお団子にしている顔はあどけなく、緊張のせいか頬が赤い。真っ白のビーチガウンが陽光に映え、その下には黒のギンガムチェックのワンピース水着。ジュートヒールのサンダルで、カリブ海の砂浜に降り立つ沙織の肌は、何より透きとおり輝いて見えた。

「あの…どこか、おかしいでしょうか…」

キリコは俺の頭に一発チョップを入れた。

「良く似合っているよ。この男は君があまりに可憐なので、言葉を失っているのさ。ほら、気の利いたことでも言いなさい。言えないだろうけど」

あーとかうーとか言ってる間に、キリコはさっさと沙織を3つ並んだチェアの真ん中に座らせた。彼女にドリンクを勧め、日焼け止めは塗ったか、虫刺されは平気かと聞くキリコの姿は完全に親戚のおっさんだった。

俺は俺で準備した小道具を身に着ける。ハイブランドのサングラスに、同じく24金のぶっといネックレス。趣味の悪いきんきらの腕時計。これらはレンタルだ。それなりに金はかかったけど、買うよりははるかに安い。ガキどもが金かけて貢ぎ合っているもんだから、ヘタクソなものは準備できなかったのだ。くそ。

さて仕掛けはできた。後はいつ引っかかるか待つだけだ。

真昼の太陽が照りつける中、ピンク頭の一団は海に入っていった。水の掛け合いなんかして、きゃあきゃあ言ってる。それだけならかわいらしいと笑えるんだが。ピンク頭のボディタッチがうざったらしいことこの上ない。水がかかったと、隣の男に胸を押し付け、水をかけるふりをして男の腕に飛び込む。……あ、一人こっち見た。

「食いつくかな?」

「まだまだ」

ピンク頭の一団を見て、ちょっと暗くなってる沙織。声をかけると無防備に顔を上げた。その口にドリンクについていたサクランボを入れてやる。

はわわ…と頭から湯気が出そうになっている沙織と、向こうで額に手を当てるキリコ。なんだ?俺、なんかやったか?

結果、いきなり本命が釣れた。

「何をしている?!」

海から走ってきたのだろう。体中に水滴をつけて、息を切らせた健斗が俺達の前に立っていた。

「…誰?」

これも想定のうち。

「さあ…沙織、知り合いなのか?」

上半身を起こすと、金のネックレスがじゃらりと音を立てる。必然的に健斗の目は俺の胸元に走る大きな縫合痕へ。

「何見てんだよ」

サングラス越しに睨むと、健斗は後退る。しかし沙織が目の前にいる。後ろではピンク頭の一団が様子を窺っている。しっぽを巻くに巻けなくなった健斗は喚くしかなかった。

「さ、沙織は俺の婚約者だ!」

「だから?」

キリコの声が冷たく響く。

「俺と言う婚約者がありながら、こんな二人も男と一緒にいるなんて、ふ、ふしだらにも程があるぞ!」

勇敢な健斗。ああ、勇敢だ。沙織に向かって『ふしだら』だと、お前が言うのか。耐えきれなくなって、台本にはないが大声で笑ってしまった。

笑われた健斗は大いに自尊心を傷つけられたらしい。乱暴に沙織の手を掴んだ。

「来い!」

「痛…っ」

沙織の悲鳴に反応したのはキリコだ。ゆっくりと立ち上がると、健斗を完全に見下ろす形になる。強靭な肉体に隻眼の眼光。勇敢な健斗は白いビーチに尻もちをついた。何も言えずに、口をぱくぱくさせている。そんな健斗から興味を失ったようにキリコはおもむろに口を開く。

「沙織さん、海へ行こう。波打ち際に貝が落ちているかもしれない」

「ああ、それがいい。魚も見られるかもな」

「……はい!」

台本通りに俺達は海へ向かう。

健斗だけ残して。

「どういうつもりだ、沙織!」

午後の図書ラウンジで過ごしていた俺達の所へ、健斗がひどい剣幕でやって来た。

「お静かに」

カウンターにいるクララが無表情で注意する。いささか勢いをそがれた健斗だが、諦めはしなかった。小声で沙織に言い募る。

「いつも俺達と一緒にいたじゃないか。どうして来なくなったんだ」

「来なくてよいと毎回言われておりましたので、その通りにいたしました。それが、なにか?」

沙織は手にした英字文学から視線を外さない。

「じゃあ、俺が来いって言ったら、来るんだな!今すぐ俺と一緒に来い!」

「お断りいたします。わたくし、読書の途中ですの」

「なっ…な…!」

おそらく沙織から反発されるのが初めての健斗は、真っ赤な顔でしどろもどろになった。そこへ視線を送ってやる。俺の視線をキャッチした健斗は、更に顔を赤くする。ばっと音がするくらいの勢いで振り向けば、キリコも同じように健斗を見ている。

「おま、お前たちは、沙織の何なんだ!」

無視。

「説明しろ、沙織!」

「ああもう、やかましくて本が読めませんわ。あの方々は船内でひとりきりの私が安全に過ごせるように、一緒にいてくださる善意の方です。健斗さん達のような関係ではありませんから、ご心配なく」

それきり沙織は一言も発さず、読書に没頭した。

健斗はクララに図書ラウンジを追い出されるまで、ずっと何か沙織に言い続けていたが、同じことを繰り返しているだけだった。

「なぜ、自分といっしょにいないのだ」と。

台本通り黒いスーツとコートはしばらく封印。めったに着ることがないアイボリーのジャケットを着ると妙に笑えて、同じくライトグレーのジャケットを着たキリコと、しばらくお互いの姿を見て爆笑し合った。

黒い衣装を着るのは沙織だと決めている。

ディナーの席では魚群が釣れた。

おっと、ちなみに今日のディナーは

・季節の野菜のテリーヌ

・サラダ(クレソン、ラディッシュ、リーフレタス、アスパラガス)

・コンク・フリッター

・ゴート・チーズのニョッキ

・ジャーク・チキン/カジキマグロのステーキ

・ナッツケーキ

そのジャーク・チキンを味わっている途中で、健斗が取り巻きを引き連れて俺達のテーブルにやって来たのだ。

「恥知らずな女だ。どこの誰ともわからない男と食事をとるなんて、見損なったよ」

「あら、どこの誰ともわからない女性と親しくされている皆様にご注意いただくなんて…思ってもみませんでした」

沙織は音を立てずにカトラリーを使う。

「苺愛の事を悪く言うな!」

急に発せられた怒号にメイン・ダイニングがさっと静まり返った。すぐにざわめきを取り戻すが、またあいつらかと肩をすくめる人間は少なくなかった。

口の中のジャーク・チキンをすっかり咀嚼して味わった後、俺はさも今初めて気がついたように、のんびりと疑問を投げかける。

「若年だからと黙っていたが、君たちはいったい誰だ?」

「俺は、沙織の婚約者だ」

「それは聞いた。あとの3人は?」

「俺の高校の生徒会のメンバー、同級生だ」

「へえ、沙織。彼らとは友達なのかい?」

「いいえ。初めはお友達になれるかもと思っていたのですが、皆さん、私とは関わりたくないと」

「なるほど。では婚約者殿と無関係の御三人、改めて訊くが、何か用か?」

すこうし圧を込めて言ってやる。ガキどもは面白いくらい縮み上がった。

「おい、あんまりかわいがるな。怖がってる」

くつくつとキリコは笑う。

「ああ、まさかこれくらいでビビるとは思ってなかった」

わかりきったことをわざわざ口にして笑うと、ガキどもの連携は崩れ出した。赤い頭はいきり立つが、眼鏡とちびは及び腰だ。ああ、めんどくせえ。だからガキの相手は嫌なんだ。

「てめえらこそ、誰なんだよ!」

暴言を吐く赤い髪をじっと見つめる。

「それは、誰に言っている」

「てめえだよ!」

「人間の言語を話せるようになってから来るんだな」

側にいたクルーに合図すると、健斗を含めた4人はダイニングから追い出された。

だが、執念深い赤髪は俺達が夕食を済ませて、ダイニングから出てくるのを待っていた。

3人してエレベーターホールへ向かう途中、視界の端に赤い髪が見えて、まだ一日が終わらないのを知る。

お構いなしに、ずんずんとホールを突っ切って歩く。

「待てよ、コラァ!」

待つ謂れなどない。アホかな。無視して行くと、向こうの知的レベルも下がっていくようだ。背中から聞き捨てならない言葉が聞こえた。

「ははァ、沙織。お前、健斗に相手にされないからって、他の男と一緒にいるのを見せつけたいんだろう。でもな、そんな気味の悪ィ眼帯のおっさん連れてても、逆効果だっての!ぎゃはははは!」

思考より体が動く。

拳が振るわれるのをコマ送りになる視界で捉えていた。

だが俺の体の前に差し出された強い腕で押しとどめられる。

それがキリコの腕だと認識するのに数秒。

この腕がもう少し遅れていたら、間違いなくあのガキの前歯を全部折っていただろう。やっちまうところだった。ばれないように小さくため息をついて感情を落ち着ける。

俺の代わりに前に立ったのは沙織。

「小網さん、今のはいけません。ミスター・ロッキー・ロードに謝罪を」

「はあ?俺が?冗談だろ、そんな」

「それ以上の醜い言葉はお止しになって。その方の人柄もよく知らないのに、失礼な事を口にするのは、いけません。幼稚舎の子どもでも解かることですわ。さあ、謝罪を」

赤髪は怒りに燃えた。つーか、俺の方が怒ってんだ、このクソガキ!

「相手にされないから見せつける。そのような発想はありませんでした。わたくしの行動は全て健斗さんのためにしているわけではないからです。でも小網さん、あなたは健斗さんのために尽くされる方でしたね。だから先程恥をかいた健斗さんの代わりにここにいる」

「な…なにを…」

「まあ、失礼を。わたくしったら、そのことに全く気がつかず通り過ぎてしまうところでした!小網さんが後ろから声をかけて下さらなければ。ええ、ええ」

赤髪は沙織の言葉を全く理解できていない。目を白黒させて、自分の状況を図りかねている。沙織はおっとりと言葉を続ける。

「先程のダイニングで起こした騒動を、健斗さんの代わりに謝罪して下さるために、私たちを待っていてくださったのですね」

「は、はあ?どうして俺が…っ」

「健斗さんも幸せなお方です。こんなに思ってくれるお友達がいらっしゃるなんて、ねえ」

いつの間にか俺達の周りには、遠巻きに人垣ができている。赤髪は逃げられない。沙織は畳みかける。

「真心こめた謝罪でしたら、受け取りますわ。もちろん、ミスター・ロッキー・ロードの分も」

ざわざわとどよめく周囲の人間の視線が赤髪の小僧に突き刺さる。興味、嫌悪、愉悦。

赤髪はだらだらと冷汗をかいている。ここで無理矢理人垣を破って脱出すれば、健斗の恥を上塗りにする形になる。逃げ帰ったと仲間に責められるのは確実だ。かと言って、自分が頭を下げさせられる事態は想定していなかった。どうして俺が、そればかりが頭で回っているんだろう。思考の袋小路。

やがて耐えきれなくなって、赤髪は唯一自分に残された道を選んだ。

赤髪は震えながら頭を下げる。

「ごめんなさい、が聞こえません」

『♪』が語尾に付きそうな口調で沙織は責める手を休めない。

蚊の鳴くような声で赤髪が「ごめんなさい」というと、沙織は「よくできました」と笑った。

その日、コーヒーバーの床をモップ掛けしていたエディは仲間のクルーから話を聞き、モップを放り投げて喝采した。

「本物の、本物の悪役令嬢の誕生だー!」

ブラック・ジャック先生、ドクター・キリコ。わたくしの悪の先生方。

お二人は用心深く、わたくしを部屋の前まで送って下さった。おやすみなさいの挨拶をすると、ブラック・ジャック先生は口の端を持ち上げて。

「お疲れさん。明日はもっとハードだ。よく休みな」

そう言って、静かにドアを閉めました。

先生の言う通り、まだまだ台本には続きがあります。お父様が安心できるまで、引き返すことなど有り得ません。ですが…わかっては、いるのです。

「沙織さん、おかえりなさい。ディナーはおいしかった?」

ベッドルームに入って、お母様の姿を見ると、わたくしの心は悲鳴を上げそうになります。

「はい。コンクのフリットが、とても美味しかったです。お母様もダイニングへ、今度一緒に参りましょう?」

「え、ええ…そうね。でもルームサービスも悪くないのよ」

お母様は、まるで避難するようにわたくしの部屋へやって来ました。何かに怯えるように、何かから逃げるように。いつも温和な、怒ると怖いですけれど、取り乱すことなどほとんどないお母様のあんな表情は初めて見ました。

今なら、その理由がわかります。あの男は、お父様ではない。

お母様もそれを感じ取ったのだと思います。滅多にお部屋から出ずに、人とあまり会わないようにして過ごしています。高薄のおじ様には、体の具合が悪いとお話ししました。その時のおじ様の表情は、非常にがっかりされていたのを覚えています。

お父様に化けたあの男は、お父様の部屋に陣取ってはいるようですが、高薄のおじ様を避けるように意図的に部屋を空けることもあるようです。その時はどこにいるのか掴めません。これまでは家族ごっこのようにわたくしに接触してくることがありましたが、それもあの男は疲れたのでしょう。お母様もあの男のせいで身の危険にさらされている。高薄のおじ様には、このようなことを知られるわけには参りません。

健斗さんの事も…

「なにか考え事かしら?難しい顔をして」

お母様がわたくしのほおをそっと撫でます。

ふいに胸の内から澱が溜まるように、黒いものが降り積もりました。

ひとひら、ひとひらと。

ごめんなさい。

この口は今日たくさんの酷いことを言いました。

ごめんなさい。

この眼は今日何人もの人を睨みつけました。

ごめんなさい。

この耳は心無い言葉を聞き続けました。

わたくしは悪い娘です。もう戻らないのです。

「まあ、もう18になったと言うのに甘えたいの?仕方がない沙織さん」

やさしい手がわたくしの肩を撫でてくれます。泣きそうになるのを堪えるわたくしを今だけ許してください。

明日からは台本の通り悪役令嬢の顔に戻りますから。

この時間があれば、わたくしは戦えます。

どうか許してください。

1