My fair villainous lady③

第3章

昨晩、沙織とクルーズ船の中を見て回った帰り道、ひとりの女の子と出会った。

つやつやのミディアムボブをピンクベージュに染めた子。ふわふわのワンピースから伸びる手も脚も細くて、まるで妖精みたいだった。

モデルの仕事をしている時だって、ここまでスタイルのいい子に出会ったことはなかったから、気になって見つめてしまった。その子は俺の視線に気がついたのか、ひらひら手を振ってくれた。

ガツガツしてる奴みたいに見えたら嫌だな。それでもちょっと喋ってみてもいいかなって、さりげなく彼女に近付いた。

間近で彼女の目を見た瞬間、俺は全身にビリビリ”何か”が走った。こんな感覚、沙織と一緒の時も、他の子と一緒の時も感じたことがない。

大きな瞳はキラキラしてて、吸い込まれそう。長いまつ毛はエクステだろうけど、お化粧の上手な子はキライじゃない。だってちゃんとキレイになろうってがんばってる証拠だろう?ほんのり赤いリップはぷるんとしたゼリーみたい。

かわいい。こんなかわいい子、会ったことない…

「ね、ねえ…君の名前、教えてくれない?」

のどがカラカラだ。心臓がドキドキ止まらない。

「あたし、苺愛といいます」

「いちあ…さん」

「苺愛でいいです。アナタは?」

「高薄健斗。俺も健斗でいいよ」

「わかりました。よろしくです。け…健斗」

はにかむように俺を上目遣いで見て、ちょっと噛んじゃってるけど名前を呼んでくれた。それがたまらなくカワイイ。

「あたし一人でこのクルーズに来ることになっちゃって、知ってる人が誰もいないし、不安だったんです。もしよかったらクルーズの間仲良くしてくれますか?」

「もちろん。途中でツアーに参加するつもりなんだ。苺愛もどう?」

「うれしいっ!いいんですか?行きたいです!」

輝くような彼女の笑顔。俺が守らなきゃって思ったんだ。

わかった。

これ、運命だ。

罫線

「さっさと小切手書いてくれねえか」

鈴井から解放された後、俺は久遠寺彰を探しまくった。

冗談じゃねえ。「何か起きたとき、頼りにしてる」?!そんな台詞はセキュリティスタッフかお巡りさんに言え。キリコの仕事の尻ぬぐいなんか真っ平御免。明日のバミューダで俺は絶対に下船する。

つーわけで、やっと見つけた彰は7階ラウンジのデッキチェアにサングラスかけてのんびり座ってたから、非常にイラっと来て、ギリギリ睨みつけながら金の請求をした。

「早いところ金を払ってほしい」

「え…っと、何の話だ…?」

「ふざけんな!手術費だって言ってるだろうが!15億さっさと払えよ!」

「やめないか。周りの人が見ている」

おっとりがついにボケたのかと思いきや、急な塩対応。どうした、やっぱり会社の経営上手く行ってないのか。

彰は少しはだけたシャツのボタンを留めながら、いつものおっとり顔を取り戻した。

「手術費は払う。安心してくれ。ただここは海の上だろう?すぐに換金できるわけでもないし、焦らないでいいんじゃないかな」

焦るんだよ、こっちは!バッチバチに嫌な予感センサーが仕事してんだ。ケツまくって逃げる準備してんだよ!とはいえ、さっきの塩モードになられては話が進まない。

「じゃあせめて念書を書いてくれ。サインがあればいい」

「どうしてもかい?」

「どうしても」

「信用ないなあ」

乙女のようにいじいじとデッキチェアのブランケットを触るおっさんに、どう信用度を高めろというのだろうか。再び罵声が飛び出てきそうな口を噤んでいたら、目の前に可憐な花が一輪。

「お父様、明日バミューダのタクシーツアーに行かないかって、健斗さんからお誘いを受けたんです。行ってきてもよろしいでしょうか…」

控えめに彰に声をかけたのは沙織だ。

「沙織…健斗君と二人きりは、さすがにまだ良いと言えないな」

「いいえ、健斗さんと同じ生徒会のお友達が一緒なんです。昨日健斗さんが船で知り合った女性もいらっしゃるそうで、新しいお友達が増えるかもしれません!」

「友達が増えるのは良いことだね。気をつけて行っておいで」

「はい。行ってまいります」

屈託のない笑顔を見せて、沙織は太陽のまぶしいプールサイドへ向かう。彼女の視線の先で手を振っているのは、きっと健斗だろう。

俺は令嬢と呼べる人間を数人知ってはいるけれど、沙織は群を抜いて別格。振る舞いから言葉遣いから、全部雲上人。本人は素でやってるから、嫌味なところがない。眉目秀麗、頭脳明晰な完全無欠の社長令嬢だ。世間知らずでお人好しなのも含めてだけど、俺が言うことじゃないな。

沙織の後姿を目で追っている僅かな隙に、彰は消えてしまっていた。

逃げられた。

コーヒーバー「スター・ギター」で一服。相変わらず空いてる。

ああやだ。なんもかんも嫌な方向に向かってる気がする。金はもらえない、タダ働きさせられる、そんな状況最悪以外の何物でもない。

「ジャック、疲れてる?」

エディがコーヒーを淹れてくれた。ココナッツクッキー付きで。

「嫌な予感がして、バタバタやってるだけさ。コーヒー、馳走になるぜ」

「予感ね。そういうのは口にしない方が良いって言うよね」

苦笑いのエディの横から、赤い大地の肌をした黒い瞳の女性が顔を出した。

「また私の話をするの?エディ、マネジメントを頼んだ覚えはないわよ」

「話の流れだよ。君があの話をまたしたいなら止めないさ。何度でも言いたいってわめいてたから、ちょこっと僕の脳細胞の隅っこに残ってたってだけ」

「…そう言いたくもなる私の気持ちは分かるでしょ。さっきは銀髪の紳士が尋ねて来たから答えただけ。お客様でも誰彼言うつもりはないの」

「詳しく聞こうじゃないか」

会話に割り込んだ俺の顔を見て戸惑う二人。そうだろうな。自分でもわかる。俺今すっげえイラついた顔してるって。

こういう場には潤滑剤が必要。

「腹減ったな。なんか片手で食えるもんある?えーと、そちらの女性」

「マリベルと言います。サンドイッチかピンチョスはいかがです?」

「いいな、ピンチョスを頼むよ。マリベル」

彼女の手に大盛りのチップ。眼を剥くマリベル。黒曜石の瞳が零れそう。やがて彼女はにっこりと極上の微笑を見せ、大きなヒップを揺らして厨房へ入っていく。その後姿を確認してから、エディにも小銭を握らせる。

「てめえ、いい性格してんな。気に入ったぜ。おもしろい話があったら教えてくれよ」

「ジャックはきっとアクティビティより、人と関わる方が性に合ってる気がしたから。期待に応えられてうれしいよ」

いたずらが成功したように笑うエディの頭を軽く小突いて、俺の驕りで二人分のコーヒーを淹れてくれるように頼んだ。

そうして幾らか出費をして俺が聞き出した話は、9割がた愚痴だった。

「つまり、マリベル、お前さんは死んだ平野の恋人だったってことでいいのか?」

「違うわ。向こうが勝手に恋人だって言ってるだけ。他のクルーにも粉かけてるの知ってるもの。恋人って言っておけば、彼には都合のいいことしかないし」

一度ディナーを一緒に食べただけで恋人認定されるなんて冗談じゃないとマリベルは鼻を鳴らす。だけど案外まんざらでもなさそう。

「ショーマは女を財布だと思ってる」

「ピアノと顔はいいけど、性格最悪」

「酒、ピアノ、酒の生活リズム」

「スパ担当のグアダルーペはショーマに460ドル取られて、図書ラウンジ司書のクララは700ドルあげた。私は890ドルも取られて、もうそれが戻ってこないなんて悪夢」

これでもかと悪口を聞かされたが、おかげで平野星満の人柄が分かってきた。あいつ、根っからのヒモだ。ピアノを弾きつつ女の金で酒飲んで、たまにやさしくしてやれば相手が転ぶコツを知ってる。実際マリベルは文句たれながら目が潤んでるし、同じような女は船の中にまだいるんだろう。

「あんな奴だったし、いつか船から突き飛ばされて死んじゃうんじゃないかって予感があったの。グアダルーペとそんな話、何度もしてたし。でも、でも、本当に死んじゃうとは思わないじゃない」

自己憐憫でいっぱいなマリベルを、エディは心底引いた眼で見ている。

「この話は、銀髪野郎に話したのか?」

俺が聞きたいのは、そこ。

「ええ、全部」

つまらんな。もう一押しほしい。

「マリベル、もう少し濃くて熱いコーヒーが飲みたい。俺のオーダーに応えられたら、そのコーヒーには5倍のチップを渡すけど、できるか?」

「…濃くて、熱いのね…他にオーダーは?お客様」

女豹を思わせる強い視線。いいね、お前さんもおもしろい。黒曜石の瞳をガッチリ捉えて、わざといやらしく笑う。

「身体的特徴…が知りたいかな」

カウンターのエスプレッソマシンがスチームを吹き出し、マリベルが真剣に俺のためのコーヒーを淹れている。作業をしながらマリベルは必死に答えを見つけようと考えているだろう。それだけチップはクルーにとって魅力なのだ。

エディと初日に話していて知ったのだが、彼らの月給は極めて低い。そのままの金額じゃ生活はとても成り立たないくらいに。だからクルー達は、お客のチップで生計を立てている。相場もまちまち、チップを渡す文化がない国のお客だっている。サービスが悪いだの言いがかりをつけられてチップがもらえない事だってある。もらえないリスクを限りなく少なくするように、常にベストな仕事を心がけているそうだ。

日本人でケチな俺はチップの重要性をイマイチわかってはいなかったが、働いているクルー達にとって、チップは死活問題だということはハッキリ理解した。

アッツアツの真っ黒なコーヒーが俺の前に出された。

ソーサーに手を添えて、マリベルは俺のオーダーに応える。

「ショーマは左でも右でも字が書けるわ。ピアニストだから当然だって言ってたけど」

弱い。俺はソーサーから手を離す。

「待って、待って。うなじ、そうよ、うなじにほくろがあるの。3つ並んだオリオンみたいにセクシーなほくろよ!」

「……お前さん、平野星満と1回ディナー食っただけなんだろう?」

マリベルはちっぽけなプライドと引き換えに、コーヒー5杯分のチップを手に入れた。

流麗なドレープの幕と大きなリボンで飾られたメインホール。

スカイブルーから紫、ピンクへとグラデーションを作る照明が、ドレスアップして集うゲストたちを染める。

クリスタルのシャンデリアが乱反射させた小さな光の粒たちは、きらりきらりとホール全体に散らばり、ワイングラスに留まったり、胸元の宝石を輝かせたり。

大きなガラス張りのエレベータータワーを背中に、船長の藤村が乾杯の声を上げた。

豪華客船「コンバーション」のウェルカムパーティの始まりだ。

俺はどうしても今夜中に久遠寺彰の言質が取りたくて、ドレスだのダークスーツの中だのに紛れて、彼を探している。もうひとつ豪華なタダ飯を食らうという重要な用事もあるけど。ビュッフェを回りながら会場をぐるりとしてみたが、どうしても見つからない。来ていないのか?

海老をもぐもぐしていたら、沙織を発見!彰は?側にいるはずだ。

彰の代わりに沙織の横にいたのは、ピンク色の髪をした少女だった。

なんだ…彰じゃないのか…

気分が曇った。どうしてピンクなんだ。あんな髪の色に染める意味あんのか。よく見りゃ他の連中も大概だった。ピンク頭の横にいる筋肉質の男は赤く毛を染めてるし、その前にいる小さい奴は藁半紙みたいな色の毛だ。眼鏡かけた奴は黒髪だけど、変な長さの前髪してるし…いけねえ、俺がそんなこと言えた立場じゃねえや。

沙織が言ってた「健斗と同じ生徒会のオトモダチ」ってのは、彼らの事みたいだ。

しばらくここで張ってたら彰が来るかもしれないな。待ち伏せがてらオトモダチグループを観察することにしよう。

グループの男3人は、フォーマルなパーティが初めてらしい。どぎまぎして緊張してる。貸衣装か知らないが、気慣れないスーツが尚更田舎くさく見えてしまう。沙織は彼らに話しかけたり、飲み物を勧めたり、場になじめるよう自然にエスコートしてる。さすが社長令嬢。堂々としてる。着ている服から違うもんな。今夜の沙織は真っ白な膝丈のドレスに淡い黄色のストールを着けてる。きちんとドレスを着こなして背筋を伸ばすさまは、もう女子高生には見えないくらい大人びて見えた。となりのピンク頭のドレスなんか眼に入らない。

さあ、沙織。早く彰を召喚してくれ。お前にかかってるんだ。俺がタダ働きの憂き目にあうが否かは、お前に___________

健斗が遅れてグループにやって来た。その時だ。

ピンク頭が沙織の背中を押したのだ。

床に倒れ込む沙織。手にしていたグラスが割れる。

男どもはぼんやりしていて動かない。あのアマ、死角でやりやがった。

ぽたぽたと血が滴るのを見て、駆け寄った。

「手を見せな。ガラスで切ったんだろう」

「……は」

ショックで受け答えもままならない沙織を、なかば無理矢理立たせて診る。薬指はパックリ切れていた。縫うほどではなかったのが幸いか。清潔な布で圧迫止血させている間、俺は一応聞いてみることにした。

「おい、そこのピンク色の頭したお嬢ちゃん。あんただよ」

ピンク頭は無表情。その後ろで健斗を含めた男どもが突っ立ってる。

「あんた、どうしてこの子の背中を押したんだ。怪我までさせるのはやりすぎだと思うぜ」

俺の指摘を最後まで聞かず、ピンク頭は火がついたように喚きだした。

「ひ、ひどい!あたし、そんなことしてません!どうしてそんなひどいこと言うんですか?!あたしたち今日初めて友達になったのに、わざとケンカさせたいんですか?!」

涙まで流してヒステリックに「ひどい」と繰り返す。いや、被害者はお前じゃないからな。論点のすり替え180度は男どもに刺さったらしく、ピンク頭に寄り添うようにして俺を睨んでくる。へえ、ひよっこどもにメンチ切られんのか。おもしれえ。

「沙織!来い!」

健斗が俺の背中をすり抜けて、沙織の手を取り人混みの向こうへ駆けていく。あーあ。患者がいなけりゃ医者は用なし。ガキどもはまだ俺を睨んでいるが、落とし前を着けさせることさえできん奴に関わる時間があほくさい。

そのままパーティ会場を出てしまったのだが、しまったな。もっとメシ食っとくべきだった。

「よお、ヒーロー。カッコよかったぜ」

プールサイドデッキでタバコを吸っていると、キリコがやって来た。

「だろ?どうせいい物笑いの種ができたとか思ってるくせに、よく言うぜ」

「意外とハマってた。今度白いコートでやってみたらどう?今度こそ『ごめんなさい、私がやりました』って言うかもよ?」

言うわけねえよ。あの手のガキが。

「まあね、言ったところで、そのころのお前には手遅れだって予想しかつかないな。お前多分、今の手加減が限界なんじゃないの。小僧どもを裏街道の連中と同じように扱ってやるなよ」

キリコは半分呆れながら、俺にチキンレッグが乗った皿を勧める。わかってると言う代わりに、チキンレッグを鷲掴みにして齧り付いた。

「ガキの世界はガキなりに地獄なのさ。あいつらで何とかすればいい。手術費の取りたてさえうまくいけば、俺はすぐにこの船を降りるぜ。関わってる時間なんかないね」

デッキの欄干に背を預けチキンを頬張る俺の横で、キリコは真っ黒の海原を見つめたまま。

「俺はアレサンドロの事を、はっきりさせてから船を降りるよ」

黙りこくった時間が過ぎる。

波音、船のエンジン音、遠くに聞こえる陽気な音楽。

しょうがねえから聞いてみた。

「お前さん、かなり怒ってたりする?」

キリコの銀髪が強い海風に乱される。夜闇の中で、そこだけ白く燃えてるみたいだった。

「…くくっ」

一度漏れ出た声は止まらない。キリコは海に向かって、大きく笑い声を立てた。

滅多にない音量で笑った。それこそトラックにはねられた母子の訃報を聞いたときみたいに。

ひとしきり笑って、キリコは海を見つめたまま。

「怒ってる。すごく怒ってるよ。困ったな」

ひとっつも困っていない、覚悟が決まりきった人間の語調で言ったのだった。

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