彼女の可能性(1)【キリコ先生女体化】

【重要】ドクターキリコが女体化してます!苦手な方は見ないでください!

呼び鈴を鳴らした。

夏の盛り。俺は奴の家の勝手口に立っていた。

木陰が照りつける日差しを少しばかり遮ってくれるのが救いだ。

蝉が鳴く。

暑さに苛立ちを覚えながら、もう一度呼び鈴を鳴らす。

勝手口の新聞受けには3,4日分ほどの新聞や配達物がぎゅうぎゅうと詰め込まれて、床にまで散乱している。留守なのかもしれない。こんなことは間々あることなのだが、今回はただの留守とは思えなかった。

一段と蒸し暑さが増したような気がする。

俺は長く、強く3度目の呼び鈴を鳴らした。

3度目の呼び鈴から少し間をおいて、ロックの外される音がした。

扉をほんの15センチ程開けて白い影が見えた。

「いるのなら、とっとと出て来い。キリコ。」

苛立ちを隠さずに出てきた家の主に声をかけたが、異様な雰囲気にぎょっとした。

この暑さの中、頭から毛布をかぶり、鼻先だけを辛うじて出している。ずるずると引きずっている毛布からちらっと見えた腕は汗でびっしょりだ。

「何のつもりだ?熱中症にでもなりたいのか?」

「……先生には言われたくないね。」

俺のことはいいんだ。このコートは商売道具が詰まってるんだから。夏でも着るさ。でもお前は違うだろう。心なしか声が妙だ。少し甲高いような。風邪でのどをやられたか。

「キリコ、具合が悪いのか。特別サービスで診てやらんこともないぜ。」

冗談のつもりでけしかけたが、奴の雰囲気が更に重くなった。

「ああ。悪い。だから休んでいるんだ。帰ってくれ。」

キリコはむっとした後、しまったという口元をした。本当に病人みたいだ。そうとなれば話は別だ。

「その毛布を取れ。診てやる。本当に熱中症になっちまうぞ。」

無理やり閉めようとするドアの隙間にすばやく片足を挟む。

「いい。いやだ。大丈夫だから、帰ってくれ。」

半身を何とか乗り出して、毛布の端をつかむ。くそ、こいつ本気で閉めようとしてるな。

「馬鹿を言うな。病人を見過ごしたとあっちゃ目覚めが悪いじゃないか。」

「どこで野垂れ死のうが俺の勝手だろ。」

やはり声が変だ。

残りの半身を家の中へねじ込むのと、俺が毛布を剥ぎ取るのは同時。

悲鳴のようなものを聞いた後、俺が目にしたのは紛れも無く、一人の女性だった。

リビングに通され、冷たい烏龍茶を出された。

烏龍茶が入ったグラスは薄手で乳白色の筋がオーロラのように入っている。銀を混ぜて作ってあるのだと説明してくれたっけ。

よく知った部屋、よく知った家具。配置も何も変わっていないのに、どこか雰囲気が違った。

キリコは、キリコと思わしき女性は俺の前のソファにどっかと腰を下ろすと、茶を一気に飲み干し、2杯目をグラスに注いだ。

その手つきを見る。指は長く細い。つめの形は縦長の楕円だ。長そでのシャツを着ているため、腕の筋肉はよく確認できない。以前よりかなりほっそりしてしまった印象を受ける。勝手口での格闘で汗をしこたまかいたせいで、胸元のシャツの生地がぴったりとはりつき、嫌でも視界に入って主張をする。首元からなだらかなラインを描いて丸みを帯びる。疑う余地も無く、それは2つの乳房だ。

「おい。」

心臓が飛び上がる。目線を戻すと仏頂面とかちあった。

「珍しいのはわかるが、そう遠慮なく見るもんじゃねえよ。」

仏頂面はひどく居心地が悪そうだった。ソファにあったクッションを抱え、胸元を隠してしまう。

少しうつむく顔を見る。眼帯の位置も変わらず、長くて透き通る銀髪もそのままだ。頬のこけ方は、ちょっとだけ和らいだような、顔立ちは少しだけふっくらしているようにも見えた。以前に会ったことのある奴の妹を思い出した。

「おい。」

今度は明らかに怒気を含めてきた。

「こうなったらとことん話してやる。特別サービスなんだよな?」

すごむ奴の表情は以前と変わらない。

キリコの話をかいつまむとこうだ。

奴はまた例によってある国へ仕事で行った。そこで心臓に疾患のある依頼人を処置し、帰途に就こうというところで、依頼人の親族から礼にとその土地でも珍しいという果物をふるまわれた。断るわけにもいかず、果物くらいならとちょっとつまんだ程度だったらしい。ところが日本に着いてから様子がおかしくなった。(なんだか前にもあったぞ。こんなことが!)

主な症状は頭痛、吐き気、腹痛、胸痛。自分の体を調べてみてもどうも原因がわからない。グマの時のように感染症でもない。肝臓の値も白血球の数も何もかも正常値。吐き気はするのに大変に食欲は旺盛で、3食欠かさないばかりか、奴にしては有り得ない間食の習慣までできたそうだ。更に症状は進行し、夜は骨がきしんで眠れず、じわじわと身長が縮みだした。出来る限りの治療を試みたが、原因不明では対処療法しかない。筋肉が見る間に解け、代わりに体全体がふっくらとしてきたとき、エストロゲンが異常に高い数値を出していることに気付いた。この症状は現在も進行中……

つまり、症状は悪化の一途、病魔は完全にキリコの体を変容させつつあるということだ。

これは一刻の猶予も許されない。

「キリコ、脱げ!」

コートから聴診器を出すとすばやく装着する。

症状だけ聞いても実際に診てみないとわからない。あーとかうーとか抗議の声が聞こえたが、かまわずシャツをめくり上げ心音を聞く。後から思えばここで喚かなかった奴に感謝。ノイズは聞こえない。脈を取る。乳房を触診すると、奴は大袈裟に痛がった。そんなに強く触ったかなあ。乳がんの専門家ではないけれど、マンモグラフィ撮って見るか。

「BJ、そっちはいいから!」

手術用の手袋を付け出した俺を見て、キリコが大きな声を出す。馬鹿なことを言う奴だ。内臓の変化を診ないでどうするって言うんだ。半ば強引にスウェットのズボンを剥いで、下着を取り去る。ソファに横倒しにして脚を開く。思ったより抵抗しなかったな。外性器はやはり予想したとおりだ。何もなくなってしまった下腹部から内部へ確認する。女性器を形成するものが診たところ揃ってしまっているのを確かめたとき、あまりにもキリコが静かなのに初めて気がついた。

顔を上げると、耳まで真っ赤にして、うつむくキリコがいた。

「珍しいね。きみが病人以外の人を連れてくるなんて。」

手塚がからりと言ってのける。にらみつけたくなるのを堪えて、カルテを受け取る。

正常、陰性、そんな文字ばかりが並んでいる。この俺があそこまで調べたんだ。こんなにも異常が見つかってほしいと願いながら検査したことは今まであっただろうか。

CTで撮った脳には、脳梁と下垂体、その他に女性としての特徴が表れていた。もちろん手塚はこれを異常だとは思ってもいない。

キリコは家を出て手塚医院に着いても、俺と一言も話さなかった。目も合わせない。

何だってんだ。そりゃちょっとは手荒だったさ。でもそんなに嫌だったら、大声出すなりはね除けるなりすればいいじゃないか。相変わらず無言のキリコを視界の隅に置いて、悶々と医院の廊下の長いすに座っていた。

「桐子さん?でいいのかしら。どうぞ。」

温厚そうでいて芯が強そうな、肝っ玉母ちゃんという風体の女医がキリコを呼んだ。

彼女はキリコの名前をそのまま日本人の女性の名前だと思ったようだ。

「ちょうどよかったよ。今日は大学病院から産婦人科の先生が往診に来てくれる日だったんだ。」

本当は俺が診たかったんだ。俺がくまなく調べて原因を突き止めてやりたい。でもキリコはここだけは固辞した。さっきのことが尾をひいてるのか。くそ。

イライラを隠すために手塚の話に乗る。

「道理で、待合室に女性が多いわけだ。」

「やっぱり同じ性別のほうが相談しやすいのかねえ。気持ちはわかるよ。僕、こないだ痔になってね。」

「何だ。藪から棒に。」

はにかんだ表情で手塚は続ける。

「そのときにかかった肛門科の医者がさ、これまたすんごい美人なの。すらーっとしてさ、女優さんみたい。そんな人に僕の、僕のオシリを見られるなんて……処置してる間もう恥ずかしくて恥ずかしくて。あんな思いしたことなかったよ。」

手塚は当時のことを思い出したのか、身をくねらせて頭から湯気を出している。

そんなもんなのか。俺は自分が切ってる間は患者の顔がどうだの、他の部位がどうだの考えたことは無かった。だから当然患者も俺のことなんか気にもしてないと思っていた。

キリコが出てきた。ぼうっとどこを見るでもなく伏目がちに女医の後を付いてくる。もともと色白のほうだけど、いつもより顔色が無くて廊下の空気に解けてしまいそうに見える。

「BJ先生。よろしいかしら。」

肝っ玉母ちゃんがキリコをわが娘のように慈しむ目で見た後、俺に向き直った。おい、キリコ変なこと言ったんじゃないだろうな。するとキリコがここにきて初めて口を開いた。

「山路先生。私も一応医者の端くれなんです。一緒にお話を聞かせていただくわけには行きませんか。」

「桐子さん、確かに先生がお連れになってきたのがわかりますわ。」

山路女医は数枚の白黒のエコー写真とカラーの写真を出して説明を始めた。

キリコが子宮の検診を受けられる体であるか、いくつか問診をしたそうだ。そこで性交渉の有無について訪ねるとキリコは答えられなかった。それはそうだ。今の体では勝手が違う。男だったときの経験で答えてもよいものか迷うだろう。しかしこれは重要な質問なのだ。処女では受診を拒否される検診だってある。

山路女医は慎重に診察を進めるにつれ、不思議な点が見つかってきたと言う。

キリコには処女膜が無かった。しかしこれは性交渉のときでなくても破れることなんかざらにある。異常とは捉えられなかった。山路女医は子宮の内部を診る事にした。すると驚くべきことに、子宮の内壁は初潮を迎える前の状態、思春期の性徴を迎える前の状態だったと言うのだ。キリコの実年齢とはかけ離れている様子に驚きを隠せないまま、俺が依頼したマンモグラフィについて説明をし、現在気になっていることはないかとキリコに聞いたところ胸の痛みを訴えたため診察をした。そこでもやはり乳腺が未発達で、これから更に発達して行くための痛みだという結論に達した。

つまりキリコはまだ女性としては未発達の状態、完全な女に変化している途中だということだ。

これは俺にとっては朗報だった。まだ機会はある。そう確信してキリコの表情を見ると、ひとつもうれしそうな顔をしていなかった。

山路女医は最後に付け加えた。

「不思議な症例ですけれど、別にどこかが悪いと言うわけではないようです。例えばがんに侵されているとか、筋腫があるとか、そういったことは一切無いのです。時がたてば桐子さん、きっとあなたの体は大人の女性として落ち着きますよ。もちろんそれまでは定期的な検診をお勧めします。」

キリコはそれもひとつもうれしくなさそうに、ただ神妙に聞いていた。

俺はその表情を見ると、キリコはもともと男だったんだと大声で言いたくなったが、ここで言うことに何の意味があるのかと思い直し、大きく咳払いをした。

手塚医院からキリコ邸へ車を飛ばして帰ってきたが、キリコは相変わらずだった。

何か深く考え込んでいるようにも見えた。

ひとりで落ち着きたいと言うキリコにゆっくり休むように伝えると、ようやく頬を少し緩ませてくれたので俺はそのまま家へ帰ることにした。

夕暮れがフロントガラスに映る。

西の空が真っ赤に焼け落ちて、雲は渦を巻いていた。

赤信号で止まると、ふいにさっきのキリコの微笑が脳裏をかすめる。

やわらかくて、穏やかで、どこか……あろうことか死の床にあった母の顔と重なった。

俺は信号が青になるのと同時にUターンをし、アクセルを床にべったり着くくらいに踏みつけた。

キリコ邸は真っ暗だった。

勝手口には鍵がかかっている。呼び鈴を押して待つ時間も惜しい。台所のほうに回ると、換気のためか窓が少し開いていた。小さな窓をこじ開け体をねじ込む。鍋やフライパンが落ちる音がしたが構うものか。1階にはいない。直感でわかる。いるとしたら2階のあの部屋だ。もつれる足で階段を登り、乱暴にドアを開ける。夕日が差し込む部屋。あいつが気に入っているものの数々。それらをみんな飛び越えて、テラスのベンチに座っているあいつを見つけた。俺の気配に気付いて急いで処置しようとしている。注射器の針が光った。

俺はこのときほど、復讐に我を忘れるまで朝に夕にダーツの練習をしていた青春時代があってよかったと思ったことは無い。

俺の投げたメスは注射器をキリコの手から落とし、粉々にした。

しつこくビンの中に残っている毒薬を口にしようとするキリコの頬を張り、怒鳴りつけた。

「命をなんだと思ってやがる!おまえさんはまだ助かるッ!!」

「死ぬときくらい好きにさせろ!俺はもう俺じゃない!」

金切声に近い腹の底からの叫び。確かにこれは俺の知っているキリコの声ではなかった。

夕日に照らされ逆光になっているキリコの表情はよく見えない。ただあいつの片目からとめどなく涙が零れ落ちているのがわかった。

俺はこんな風に涙を流すあいつも見たことがなかった。

「……くそ!」

がつんと音を立ててベンチがきしんだ。

「くそ!くそ!」

やり場のない感情をそこらじゅうのものにぶつけている。

コンクリートの壁を繰り返し殴り続け、こぶしから血が吹き出した。

「キリコ、やめろ。」

後ろから羽交い絞めにすると、奴の体は驚くほど小さくて軽かった。

「離せよ。お前に何がわかるっていうんだ!わかるわけないよな!」

ばたばたと暴れ続けるキリコを思い切り抱きしめた。鳩を抱いているみたいだった。

これがあのキリコなのか。

死神の化身。いつも俺の前に立ちふさがって、大きな体で威圧してきた男。それでいて飄々と影のように掴みどころのなかった男。

「本当にやめろよ、BJ。今この瞬間にも俺はお前にずたずたにされてる気分だ。」

キリコは喚き続ける。だけど俺は離さない。

「俺ならきっとお前さんを元の体に戻すことができる。」

確信を込めて告げる。そう。俺が元に戻してやる。

元の憎たらしくて、強情で、自信にあふれたお前に。

男と女は全く違う。体の仕組みそのもの、内臓の大きさ、筋肉の質、量etc……

現在のいわゆる性転換手術は性器を変えることに重点が置かれている。ホルモン剤の投与と併せて性別を変える。だが俺は性器だけに留まらない。脳機能、身体能力においても完全に性別を変化させる。

俺は性転換の手術を依頼されたことはある。どら息子の代わりに娘を跡継ぎにしたい馬鹿親父が依頼主だった。だが結局俺は性転換の手術をしなかった。

性同一障害、いわゆるオカマと呼ばれる人たちの手術はしたことがある。彼らは本気で女性になりたがっていた。一種独特ではあるが、彼らもとい彼女らの熱意には感服する。

しかし実際の手術で、女から男にというケースには未だ出会っていなかった。

一瞬、今はどこかの海にいる、船上の人を思い出した。

俺はキリコを男性に戻す手術プランを必死で考えた。

恐ろしく時間のかかる全身手術。いくつもパターンを考え、シュミレートしては、また考えを繰り返した。

果物か、その土地特有の病原体か。どうして病にかかったかは最早問題ではなかった。それを突き止めている時間は無い。

いい加減頭も倦んだころ、キリコが俺のノートパソコンを後ろから覗いているのがわかった。

「すごいな、先生。俺はサイボーグになっちまいそうだ。」

冗談を言えるくらいに今朝のキリコは落ち着いていた。

昨日打ちつけた拳の包帯は痛々しかったが。

俺は昨日、そのままキリコの家に泊まった。一人にするとまた何をしでかすかわかったものじゃなかったからだ。

夕暮れのテラスで取り乱すキリコを抱きしめて、額に頬に唇を落とした。いつか俺が落ち込んだときに一度だけしてもらったのと同じように。

ひとしきり慟哭して、キリコは眠ってしまった。

驚くことにキリコは朝まで目覚めず、10時間しっかり睡眠を取った。

おそらくすさまじい勢いで新陳代謝活動が起こっているのだ。新しい臓器が体内に発生し、もとあった器官が分解され消失する状態。人間の体に起こる不思議を思うが、キリコの体調は頭痛も腹痛も続いていると言う。疲労も尋常ではないはずだ。

起きてからは、けろっとした様子で朝食を作り出した。だが普段の朝食は白飯と味噌汁があれば合格点の俺からすれば、豪華絢爛極まる食卓だった。

できた朝食を見て物も言えない俺を尻目に、キリコはとてもうまそうに厚切りショルダーベーコンのステーキを、ボウルいっぱいのサラダを、じゃこをたっぷりかけた大根おろしの乗った焼き厚揚げを、冷奴を、浅利の味噌汁を、フルーツヨーグルトをその他諸々をすっかり平らげた。

(デブになるぞ……)と言いたかったが、台所に立ち洗い物をしている奴の腰のくびれを見て、言うことができなくなった。あんなものあったか?両手で輪っかを作ってみた。今のあいつの腰周りはこんなもんだ。信じられない。

キリコの落ち着いた様子に安堵を覚え、資料を取りに一度家に帰ろうかと思っていた矢先、悲鳴が聞こえた。駆けつけると、トイレの前でうずくまっているキリコを発見した。

奴は蒼白の唇をわななかせ、やっとの事で声を絞り出した。

よく聞き取れなかったが、キリコは確かにこう言った。

「月経が来た。」

山路女史に連絡を取る。

昨日は二次性徴を迎える前だと言っていなかったか?進行の早さに冷や汗がにじむ。

悔しいが手塚の言うとおり、今は同じ性別の専門家に見てもらったほうがいい。俺は妊婦をオペしたことは何度もあるが、婦人科系そのものは専門ではない。

山路女史の勤める大学病院へ向かう前に薬局へ寄らされた。手当て?をするとか言う。妹が初潮を迎えたときに奴が手当てをしてやったことがあるらしい。

どうするんだろう。絆創膏でも貼るのか。詳しく聞きたくなったが、キッと睨まれ言葉を飲み込んだ。こいつの目つきは相変わらずだ。

少し待合室で時間を潰し、山路女史の診察室へキリコだけ向かう。

俺も経過を聞きたいと言ったのだが、後でカルテを見せると取りつく島もなく断られた。

何だってこう俺を邪険にするんだ。重要な資料になるのに。

病院の外でタバコをふかしていると、キリコがやってきた。

「意外に早かったな。」

と声をかけると、

「おう。」

と返事。そのまますとんと俺の横に座る。

横顔を盗み見る。なんだか昨日よりもっと女っぽくなったような気がする。

顔のでこぼこが脂肪でカバーされているせいだろうか。これはまずいのではないか。手術のプランに顔の整形も入れないと。

「1本くれ。」

キリコの声に条件反射のようにタバコを差し出す。俺のは奴の吸っているのに比べてかなりライトだからあまりあいつは吸わないのだけど、俺は久しぶりに男の奴の仕草が見たかった。

以前と同じように火をつけ、ライターをしまう。大きく吸い、煙を肺に入れている。

ゆっくりと煙を吐き出すキリコの表情は、どこかさっぱりして見えた。

「BJ、お前この後時間あるか?」

キリコがのんびりと紫煙をくゆらせながら言う。

「帰ったらすぐにお前さんのオペの段取りを決める。明日にでもオペだ。」

俺はキリコもそう思っているものと信じて言ったのだが、キリコは真っ直ぐ前を見つめて「そうか。」と言っただけだった。

「じゃあ、1時間だけ買い物に付き合ってくれよ。」

のんきな言葉に耳を疑う。

「馬鹿を言うな。大体おまえさんは体調も整っていないじゃないか。今現在大きな症状が出たところだろう。」

まくし立てる俺をかわすようにキリコが続ける。

「あんなに続いてた頭痛も吐き気もすっかり治まったんだよ。憑き物が落ちたみたいだ。それに、コレは2日目がきついって言うし、動ける今日のうちにちょっとやってみたいことがあるんだ。」

眉間に渓谷のような皺を作った俺の顔をおもしろそうに見上げて、キリコはシャツの胸元を両手でつまんで見せた。

「ノーブラって案外ばれるんだな。」

どっかんと音がして顔が見る間に赤くなって行くのがわかる。

そうか。それでか。待合室の親父どもがちらちらとキリコを盗み見ていったのは。

「どこで買うんだ!伊勢丹か!高島屋か!」

俺は大股で歩き出した。その後をキリコが付いてくるのがわかる。

ああ、くそ。どんな顔してるのかわかる。

俺も。キリコも。

物見遊山と洒落込むには些かハードルが高すぎた。

俺は今、伊勢丹の婦人服フロアにいる。

逃げ出したい。できればすぐに。

周りのご婦人方の視線が痛い。

ああ、わかってるよ。ホント。

しかし肝心のキリコがあのぴらぴらした面積の少ない布地を扱うコーナーの一角にある四方をベージュ色のカーテンで囲まれた亜空間に引きずりこまれて出てこないんだ。

2人揃ってポーカーフェイスを決め込んで乗り込んだまではよかった。

最初にやられたのは悔しいが俺のほうだ。なんせ全部同じに見えるんだ。

ピンクやオレンジのパステルカラーの中に放り込まれた黒ずくめの男。自分で想像して嫌になる。

キリコも頬が引きつっている。もう出ようと言いかけたとき、キリコが店員に捕まった。

「何かお探しですか~?」

にこにこと営業スマイルを貼り付けて腰を低くして近づく女。すごいな、つけまつげって。

強張るキリコにどんどん畳み掛ける。

「これは今シーズンの新作なんです。お色違いはこちらで、総レースになっています。ヒップの部分をホールガーメントで…」

なんて呪文だ、それは。

「旦那様もご一緒なんですね~。いいな~。」

こっちに振るな。旦那ってどういうことだ。しかし俺のツギハギの顔とキリコの眼帯を見てひるまない辺り、さすが一流デパートの売り子だ。

そうこうしているうちにサイズの話になり、キリコが自分のサイズを知らないと言ったところ、店員の目が光った(ように見えた)。

そうしてキリコはあの空間に拉致され、俺は下着売り場前のレストコーナーで奴が解放されるのを待っているというわけだ。

あ、カーテンが開いた。

早く!キリコ!こっちだ。逃げて来い!

ん?お会計?まじかよ。

俺のところに戻ってきたキリコは胸元を指差した。こいつ、ちゃっかり買った下着を着けてやがる。なんて奴だ。こんな趣味があったなんて。

げええと吐き出さんばかりの俺を見て、きょとんと「不思議だよな。」と言った。

次はズボンを買うらしい。もう俺は降参の気分。

そのスウェットでいいじゃないか。

「俺が持ってるパンツ、これ以外はみんな履けなくなっちまったんだ。足の長さは余るのに、ケツが入らないんだよ。」

ズボンって言わないんだな。

やっぱり奴は試着をして、1本だけスーツのパンツを買った。むむ、似合う。女性用のパンツは裁断からして男性用と違うのか。尻の丸みと太ももが強調されて、ウエストと膝のくびれを生む。膝下のフレアーも優雅に見えてくる。

そうなるともうどうにでもなれの気分になってしまった。

「キリコ、パンツにシャツが合ってない。靴も買うぞ。」

そう言った俺にキリコはいたずらっぽく、ここ2日で一番の笑顔を見せた。

結局半日買い物に費やしてしまった。

こいつ、もとからそうだけど、結構何着ても似合う。

スカートだけは絶対はかなかったけど。

意地なのだろう。それでいい。だって明日には……

「あっ。ピノコに連絡忘れてた。」

「すまん。俺も忘れてた。」

手術をどこでするか一瞬思案したときに、ピノコを思い出したのだ。ピノコ、すまん。

「お前すぐに家に戻れ。俺はここから電車で帰れる。」

「馬鹿。こんなに荷物持って一人で帰れるか。」

「大丈夫だよ。そんなに離れてないし。それよりお嬢ちゃんが心配だ。」

こんな風にピノコを心配してくれるのもやっぱりキリコだ。

「すまない。また明日連絡する。」

「おう。気をつけて帰れよ。」

ここはいつものキリコの反応に甘えさせてもらおう。そのまま俺は岬の家へと飛んで帰った。案の定ピノコはカンカンだった。

しかし患者がキリコであること、キリコが女性化してしまっていることを告げなかったため、余計に彼女を怒らせることになった。

だってそうだろう。明日には元通りなんだ。明日には。

朝から雨が降っている。スコールのようなたたきつける雨だ。台風の影響らしい。

俺は昨夜から今日のオペの最終プランを練っていた。これでほぼ完璧にキリコをもとの姿に戻せる。まあ多少ツギハギにはなるが、俺とおそろいだって言ったら嫌がるかな。ついでに眼帯の下も治してやろうか。それは流石に怒るだろうな。と考えながら受話器を取る。

キリコはなかなか電話に出なかった。

31回目のコールでやっと出たと思ったら切れ切れに「生理痛って半端ないな。」と呻いた。

昨日別れた後、電車の中で急に痛みに襲われたらしい。重い荷物を持ったまま、だましだまし脚を進め、家に付いた瞬間意識がなくなったという。大袈裟だろうと思ったが、結局そういう状況を作ってしまったのは俺なので、申し訳ない気持ちになった。

キリコの体調がこうでは無理はできない。明日以降に調整しようとだけ言って電話を切った。

それから俺のところに立て続けに急患が入った。

どうも時間が取れない。こんなに切羽詰ってなければ、適当に無体な金額を吹っかけて追い払うのに。隙間を見て電話だけ入れる。留守電だ。電話に出られないほど臥せっているのだろうか。山路女史も気にかけてくれているようだった。今は彼女に任せよう。

あっという間に10日経ってしまった。

最後の患者を見送ると、俺はすぐにキリコの屋敷へ車を飛ばした。

呼び鈴を鳴らす。

すぐにロックが外され扉が開く。

「よう!BJ!」

明るい声と表情のキリコが視界に飛び込んでくる。

俺は、まずい、と思った。

前にも増して瑞々しくなったキリコの容姿だけにではない。

そのキリコを見て、俺の心臓が大きく動いたからだ。

キリコは薄いブルーのサマーニットを着ていた。

透けて見えるくびれたウエストが悩ましい。

「山路先生が娘さんのお古をくれたんだ。」

そう言って、グラスに氷を入れてくれる。

頼むから、前屈みにならないでくれ。目のやり場に困る。

俺はなるだけ書面に目を落とすようにして、キリコにオペの手順を説明した。キリコはふんふんと聞いて「さすが先生だな。」とつぶやいた。

「でもこれ、オペの後かなりの間、投薬が必要になるんじゃないか?」

「一時的だ。脳の容量が落ち着けば不要になる。」

こういう突っ込みを入れてくれるのもキリコだ。

いくつか問答をした後、

「そうか。わかった。今日はメシ食ってくだろ?」

唐突にキリコが言った。時計は20時を回っている。ちょっと話し過ぎたかな。確かに腹が減っていたのでご相伴に預かることにした。

忘れずにピノコに電話を入れる。お土産を持って帰ることを約束させられる。しっかりしているというか。まあいいだろう。キリコの作ったパンでももらって帰ろう。

食卓には普通の量の料理が並んでいた。

あの爆発的食欲の時期は終わったのか。

つまり代謝活動が収まり、キリコの体が完全に女性に変化しきった状態だということか。明日のプランの見直しをする必要がありそうだが、ま、開いて診なきゃ分からん。

レバーの煮込みに手を伸ばし、酒の肴にする。あれ、なんか変わった味付けのレバーだな。うまいけど。こう、にんにくが効いてて、スタミナ抜群って具合の。

「キリコ、これどんな味付けなんだ?」

自然な疑問を投げかけてみると、キリコの頬がぽっと桜色に染まった。

何だ、何だ。その反応は。若干冷や汗を垂らしながらキリコの言葉を待つ。

「マムシの生き血が入ってるんだ。」

マムシ?

精力剤として有名なマムシか?そういえば体がぽっぽと暖まってきた気がする。

キリコも当然のように日本酒と合わせて食べている。

食卓を改めて見ると、鰻、にんにくの芽の炒め物、蛸の酢の物(タウリン?)、山芋と鮪、などなど巷で言うところの精が付く品目がずらっと並んでいたのだ。

俺たちはうつむいたままもくもくと食べ、黙ったまま片づけをした。

俺は居場所がなくてソファに座ったまま動けなかった。

やがてキリコが隣に座って、ぽつっと言った。

「セックスしよう。」

もう無限に続くんじゃないかと思うくらいの時間が流れた気がする。

俺は動けない。金縛りみたいだ。横にキリコの体重を感じる。

「女の体じゃ嫌か?」

キリコが眉を少しひそめて言う。ああもうその目つきは反則だ。

「嫌とかじゃなくてな、おまえさんはもうすぐもとの男の体に戻るんだぞ。」

「わかってるよ。だからその前にちょっと試してみたいだけだ。」

ちょっとだけ目を伏せる。長いまつげの下に潤んだ瞳がある。反則。

「嫌なら、いい。」

やわらかそうな唇がそっぽを向く。せっかちだ。こういうところが見切りが早いんだ。

「嫌とは言ってないだろ。」

ああもう。嫌じゃないのが何だか悲しい。俺はこんなに欲に忠実だったのか。

目じりまで朱が差した様子がいじらしい。ニットの下の肌に触れたい。

「キリコ」

ちらりと期待を込めてこちらを見た奴に俺はこう言った。

「風呂に入りたい。」

普通こういう台詞は女が言うものらしいけど、俺は今日本当にドロドロなんだ。朝から蒸し暑かったし、オペで血しぶきも浴びてるし。

以前のキリコなら「風呂に」なんて言っても無理矢理押し倒されて寄り切られて、どっちの汗なんだか分からない状態にされてたけど、今夜のキリコはすんなり入れてくれた。

キリコもシャワーくらい浴びたかったんだろう。

だって今日の暑さときたら。

風呂から上がるとキリコが水の入ったペットボトルを投げてくれた。

すれ違いざま「2階で待っててくれ。」とささやかれ、顔に火が付く。

奴のベッドルームに入る。相変わらず殺風景だ。

真っ白なシーツ。カーテンすら引かれていない窓。

俺はこの部屋だけが何故この有様なのか、理由を知っている。

でも言わない。言ったところで何も解決しない。

奴と過ごす長い時間の中で、俺はやっとそれを受け入れつつあった。

そういうことが人生にはあっていいんだと思うことができるようになっていた。

だから、この部屋に俺を入れてくれることが、少しうれしかった。

「電気くらい付ければいいのに。」

パチッと音がして、フットライトが点く。

ベッドサイドに腰掛けた俺が振り向くと、薄暗がりの中にバスタオルを巻きつけただけのキリコがいた。

洗いざらした髪から雫が落ち、鎖骨から胸元へ滑り落ちていくのが見えた。

そのふくらみに思わず喉が鳴る。

前より大きくなったんじゃないか?

キリコは俺の元へ歩み寄り、目の前に立つ。手を取ると風呂上りの癖に指先が冷たい。「さっきグラスを持ってたから。」と嘯く。お前も緊張してるんだろ。

奴がゆっくりと髪をかき上げる。

見慣れた右目が姿を現す。俺だけが見られる右目。やっぱりキリコだ。

ひきつけられる様に視線を外せない。

キリコのやわらかそうな唇が少しだけ動いた気がした。

途端に足元に何かが落ちてくるのを感じた。

目の前には、キリコの白い体。

俺はかつてここまで女の体をじっくりと見たことがあっただろうか。

患者としてではなく、患部としてではなく、切開するポイントとしてではなく。

すごくやわらかそうだ。真っ白で。肌の上の雫が珠のように光ってる。

俺がさわってもいいのだろうか。崩れたりしないだろうか。

傷がついたりしないだろうか。

逡巡していると、キリコがそっと俺の手を取った。

目を伏せたまま、俺の手を乳房へと導く。

うわ。

「……気持ち悪いか?」

聞かれてはっとした。いわゆるゲイという趣向の人間の中には、女性特有の脂肪の感触が気持ち悪いと感じる者も多いそうだ。俺は確かにキリコとそういう関係ではあったけれど、自分がゲイだと感じたことはなかった。あいつが男だからさわりたかったわけじゃない。じゃあ女だったらっていうのが今なんだけど。ちょっと、これ、うわ。何だ??

「遠慮って物を知らないな。」

呆れがちな声が頭の上からした。

「そんなに珍しい?」

うるさいな。学術的好奇心だ。

そういえば、こいつ胸の痛みを訴えていたな。こんなにさわって大丈夫だったかな。

キリコの顔をうかがうと、「痛くないから。」と俺の膝の上へすべりこんできた。

視線が合う。ほんのりと上気した頬。風呂上りのせいだけじゃない。俺は乳房も性感帯だと言うことをすっかり失念していた。

「本当に医者馬鹿だな。」

くつくつと笑い声を堪えきれないでいる。皮肉めいた口調だけど、表情はどこか恥らうように見えた。

一番初めに症状の表れたこいつを見つけたときは、まだ若干男らしさの残る顔立ちと体つきをしていた。それから見る間にこいつは変容して行った。今は完全に女の顔だ。

少しトウが立ってるかもしれないけど、個性的な美人の部類に入るんじゃないだろうか。

病状の進行具合から考えると、呑気にこんなことしてる場合じゃないのかもしれない。

そこまで考えたとき、ぎゅいと頬をつねられた。

「いてえ。何するんだ。」

「うるせえ。人の顔を品定めするように見やがって。」

「女の顔になったなって思っただけだ。」

どうやらこの発言は、俺の言った意味と違うように受け取られたらしい。

キリコは見る間に頬を赤くして、気まずそうに

「俺だって、ここがこんなに感じるとは思ってなかったよ。」

と言い捨てると、俺をベッドに押し倒した。そのまま唇をふさがれて、俺の視界は暗くなる。やわらかくて潤った唇。縦横無尽に俺の口内をまさぐる舌。歯列を舌先でなぞられてぞくりときた。

もう俺の頭は与えられる感覚に翻弄されまくってる。唇も大変なんだけど、今、俺の胸に押し付けられているものが大変なことに。やわらかいのはわかったけど、こんなに形が変わって大丈夫なのか。俺の心臓が跳ね上がる。これも伝わっちゃう気がする。こんなにくっついてると。

ぷはっと息を吸いながらキリコが俺の口を開放した。

にやっと笑うとバスタオル越しにそっと触れたのがわかった。

ああ、節操なしの息子!

ベッドに横たわってお互いを探る。

キリコは相変わらずセンサーが付いてるんじゃないかって思うくらい的確に、よく知った俺の体を刺激する。

俺はというと、全く分からない。悔しいが分からない。

腫瘍の位置をミリの狂いもなく当てる俺が、神経を傷つけることなく接合できる指先の俺が。

熱くて、溶けていて。傷つけてしまいそうで。

だってこの瞬間にも目の前のあいつが何だかとても苦しそうに目を固く閉じているんだ。

経験が大事ってこんなことをいうのだろうかと、敗北感に打ちのめされそうになっているとキリコがようやく目を開けた。

「BJ。AVって見たことあるか?」

「え?」

唐突な言葉に一瞬意味が通じなかった。AVってアダルトビデオのことか?学生時代にクラスの男子でわいわい回して見てるのは知ってたけど、俺はそんな輪には入らなかった。あえて言うなら、慰安旅行で医局の連中が温泉旅館のテレビで見てるのを横目で見たことはあるけれど、それが何だ?

「AVの女優がさ、男優にやられてアンアン喚いたり、ビクビク痙攣したりするだろ?俺、あれは8割は演技だと思ってた。実際に女の子としててもさ、いるんだよね。演技過剰な子が。だからそんなことねえだろって、どっかで思ってたんだよ。」

「それって俺に対しても思ってたってことか?」

「お前は演技できるような余裕があるのか?」

質問を質問で返されて、俺は何も言えなくなった。余裕なんか……あったためしがない。

とりあえず俺は記憶の霞の向こうにある映像を思い出そうとした。

髪の長い女が、大きくのけぞってひいひい言ってる、そんな感じだ。

「でな、俺は絶対そうならないって思ってたんだけど。」

情けないような、恥ずかしいような、それでいてひどく艶かしい目つきでキリコが笑った。

「我慢するの相当きついわ。」

はあ、と大きく息をつくと、決心したように俺をちらっとだけ見て、また伏せた。

「ちょっとだけ我慢できないから、ごめんな。引いたら、言ってくれ。」

え。ちょっと、キリコ。それって。

それって。

「…!」

照れ隠しなのか、キリコが俺の弱点を思いっきり刺激した。

我慢できないって言ったよな。俺も負けじと指をすべらせた。

ぐったりとシーツの上に横たわったキリコが肩で大きく息をしている。

「か、んそう、は?」

銀髪の隙間からとろりとした眼を向けてくる。

耳にしゃぶり付いて言ってやる。

「色っぽかった。」

キリコの肌は滑らかで、やわらかかった。

前の力強くて筋肉質の腕とは違ったけれど、それでも俺はずっと触れていたいと思った。

「BJ、入れるぞ。」

俺の腹の上にまたがり、こちらを見下ろしている。

銀糸が肩に腕に胸に絡み付いて艶かしい。

いつの間にか装着されていたサック越しにキリコの熱を感じる。

「俺にさせろよ。」

抗議の声も

「俺がする。」

の一言。自分で調整できるからいいのかな。

処女膜がないとは言え、痛いのだろうか。俺はあいつよりは悔しいことに控えめのサイズだが、日本人の平均よりは若干大きい。少し縮めたほうがきっと楽だろうと思うのだが、さっきのキリコが頭から離れない。ああ、空気を読め息子!

キリコは時間をかけて、俺を受け入れた。

やはりきついのだろう。唇を噛んで堪えている。

俺はというと、そんなキリコをじっと見つめながら等差数列をエンドレスで展開していた。

動きたい。下から突き上げたい。動きたい。

情けないほどの雄の本能が俺の脳内で鬩ぎ合う。

そんな俺の懊悩を知ってか知らずか、キリコはそっと微笑んで「いいぜ。」と言ってくれた。

額に汗をいっぱい浮かべているくせに。

泣き出しそうな顔をしているくせに。

シーツに沈むあいつの体を抱き寄せてみた。

肩なんかこんなに小さくなっちまって。

腕も、脚も、俺の半分くらいになっていた。

替わりに、脇から腰にかけてのなめらかなS字の曲線はため息が出そうなくらいきれいだった。

もともと筋肉質だったから、よく引き締まった腹からなんの抵抗もなくすべり落ちていく下腹部へのラインも。

腹に薄く残る俺の手術痕も。

前は俺の腕の中にすっぽり納まるなんて有り得なかった。

よくよく変な病気にかかる奴だよな。

明日になったら、元のお前に戻れるよ。

明日になったら。

翌朝、キリコは入院の支度をしてから俺の家へ来る段取りになっていた。

俺も手術の準備があるから、早々にキリコの家を出た。

しかし、約束の時間になってもキリコは現れなかった。

何か異常があったのかとキリコの家へ駆けつけたが、家の門には鉄格子があり、固く錠がかかっていた。

こんな鉄格子がこの家にあったなんて、俺は知らない。

門を乗り越えて、呼び鈴を鳴らしても、扉を叩き続けても、なんの返事もなかった。

窓ガラスを壊して中に入ろうかとも思ったが、それはやめた。

ガレージを見ると、ここも固く閉ざされていて、シャッターの覗き窓から中が少し見えるだけだった。

奴の愛用していたバイクには丁寧にカバーがかけられていた。

アストンマーティンが無くなっているのを確認して、俺はキリコが戻らないつもりなのではないかと懸念を覚えた。

結局その日はキリコから連絡がくることはなかった。

いや、その翌日も。

そのまた翌日も。翌週も。翌月も。

もしかしてと何度屋敷を訪れてみても、門から見える様子は相も変わらず人の気配がしなかった。もともとにぎやかではなかったけど、見慣れた屋敷はより静まり返り、暗く、大きく、冷たく見えた。

季節が変わり始める頃。

俺はようやく、その事実を悟った。

②へ→

9