キリコ姉さんSS(4)

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【年の瀬】

暗い病院の廊下で、あいつに会った。

執刀医のすげ替えという、実にモグリらしい仕事をこなして病院を去ろうとしていた俺の前に、あいつは影のように現れた。厳密に言うと、病院に一つしかない夜間出入り口で、暗がりから出てきたあいつに俺が鉢合わせた、と言ったほうが具体的かもしれない。

その証拠にあいつはしまったという顔を一瞬した。しかしそれが見間違いかと思うほど、次には酷薄な笑みを浮かべて俺に対峙する。

「今回も切ったり貼ったりしたのかい。ご苦労なことで。」

「お前さんこそ、今夜も人殺しか。」

「人聞きの悪い言葉は止せよ。」

「誰もいやしない。」

「そういう意味じゃないよ。安楽死と言ってくれ。」

のらくらとつかみどころのない常套句を並べて、キリコは俺の横を通り過ぎる。

「せっかくの機会だ。とっくりとお前さんに生きる素晴らしさについて語ってやろうじゃあないか。」

俺はキリコの腕を掴んで邪悪に笑う。それを見てキリコはあからさまに嫌な顔をした。

「こんな年の瀬に止めてくれない?どこもかしこも人だらけだよ。」

奇しくも今日は大晦日。娑婆は猫も杓子も新年に向けて大忙し。でもそんなことは闇稼業の俺たちには関係のないこと。盆も正月も病人は待ってくれないからな。にやりと笑ってそう告げた俺の言葉にキリコは少し眉を顰めたが、ため息をついて「どこでご高説を拝聴すればいいですか?」と向き直った。よしよし。初めッから素直にそう言えばいいのに。さてどこで酒を飲もうか、行きつけの飲み屋をピックアップし始めた俺は、キリコの些細な変化に気付きもしなかった。

結局どの店も満員で、やっぱりとか言ったじゃないかとかぶうぶう言うキリコを連れて、初めて行くフランチャイズ系の居酒屋に乗り込んだ。完全個室ということもあって、これはこれで気兼ねせずに飲めるが…うまいかどうかは微妙だな。しかし無理に引きずってきた手前、さも美味そうに焼きの足りないホッケを食べた。キリコも初めこそ渋っていたものの、じきに珍しいカラフルなサワーを面白がって頼んでいた。試しにひとくちもらって、ジュースみたいなサワーに800円も取るのかと文句をつける。

「きれいな飲み物を頼むことに、ステータスがある場合もあるんじゃないの。あ、お姉さん、ひざ掛け、もらえますか。」

向こうのほうで大きな歓声が上がる。ぐびりとサワーを飲んだキリコは「あっちのコたちみたいに。」と軽く首を傾けた。若者のグループが忘年会で盛り上がっているようだ。

「かわいい女の子が焼酎お湯割り梅干入りを飲んでたら、モテないでしょうよ。あ、お姉さん、これ追加でお願いします。」

「そんなことはないぞ。ちゃらちゃらした飲み物より、そっちのほうが俺は好感が持てる。」

カップの中の芋焼酎をぐいっと飲む。

「へえ、そうなの。じゃあ、私、次は生絞りピンクグレープフルーツキウイコラーゲンゼリーカルピスサワー頼もう。」

「何だそれ。呪文か。よく噛まずに言えたな。」

「あ、そうか。噛んだ方がかわいいのか。えっとお、生絞り…」

「やめろやめろ。かわいいとかやめろ。笑って飲めなくなる。」

結局キリコは俺が床に転げて腹を抱えるまで、呪文を詠唱し、きらきらしたサワーを注文し続けた。

「お客さま、次のご注文でラストオーダーになります。」

そう言われるまで、時計を見るのも忘れていた。

「次の注文で最後ってことか。もう一杯焼酎もらおう。お前さんは。」

「うーん、私はいいかな。サワーでお腹が膨れてしまった。」

「あんなもんばっかり頼みやがって。」

「ふふふ、実に興味深かったよ。」

アルコールのほとんどないサワーばかり飲んでいたくせに、キリコの頬はピンクに染まっていた。

会計を折半して、店を出る。夜も更けたというのに、大晦日の夜は人々の声で賑やかしく、イルミネーションが光っていた。白い息を吐いて振り返ると、キリコはタクシーを捕まえていた。

「BJ、じゃあね。」

ひとりでタクシーに乗り込もうとするのを追っかけて、俺もタクシーに体をねじ込んだ。

「ちょっと!家に帰れよ!」

「飲み足りないから。運ちゃん、出して。こいつの家まで。」

「本当に……もう…すみません。住所は…」

タクシーの中で俺がごねるのが嫌だったのだろう。割りとすんなりと乗せてくれたな。そう思ってキリコを横目で見ると、すん、と鼻を啜っていた。

キリコの家に着いて、玄関に入るなりデコピンを食らった。

「いってえ!」

「お前の強引さには慣れたつもりだったけど、ここまでだと呆れるよ。毛布を貸すからソファで寝て。」

「そんなに怒らせるようなこと、俺したか?!」

思わず声が大きくなる。

「してないけど、してる。」

なんだそりゃ。

「あのね、私は今夜は早く休みたいんだ。言ってる意味わかる?」

「わかるけど、わからん。」

言い返してやると、キリコは苛立たしげに天井を見て、俺から離れた。寄るのも嫌だってか。さっきの居酒屋じゃあそうは思えなかったけど。こうやって避けられると追いたくなる性分だってのを、お前さんまだわかってないな。じりじりと近づく俺と一定の距離を置きつつ、キリコは家の中へ入る。まるで押し入り強盗みたいな気分。

「あーあ、わかった。わかったよ。なんだか知らんが、休みたいならそうすればいいさ。ただ俺が飲み足りない事実も認めてくれ。」

やけくそに口を開くと、キリコは露骨にほっとした様子で冷蔵庫を指差して言った。

「冷蔵庫にいくつか缶ビールがある。全部飲んでくれて構わない。何かつまみたかったら…」

隙あり。

縮地の勢いでキリコとの間を詰めて、彼女のくちびるに触れた。

触れたが、それは彼女の手のひらだった。手の向こうから憤慨した声が響く。

「お前は本当に油断も隙もないな!」

「隙を作ったお前さんが悪いんだろうが。今夜はこっちもダメなのかよ。月経か?」

「お前のそういうデリカシーのないところ、本当に嫌い。」

「俺はなんでもハッキリ言う性分でね。」

ふと、俺の頬に当たったままのキリコの手のひらの温度が気になった。手を掴んでみると、若干熱い。非常に気まずそうな、嫌そうな、これからの悪い予感が全て当たってしまいそうなキリコの目と視線が合った。

「お前さん、熱あるな。」

見る間に医者の目つきへと変わる。俺から逃げられる患者はそういない。

「ない。手のひらが熱く感じたのなら、それはアルコールのせいだ。」

「否定する。うわばみのお前が、あんなジュースで酔うもんか。まさかインフルエンザか。」

「インフルエンザの予防接種はしてる。とにかく熱なんか無いから。」

「一応検温させろ。熱がなかったら、おとなしくソファで寝る。」

「断る。無いッたら無い。私はもう休む。この話はもうおしまいだ。」

キリコの顔がどんどん険しくなるのを見て、この問答をこれ以上続けるのは意味が無いと判断した。

「…わかった。でも年越しをひとり寂しくってのは、かなりこたえるものがある…一瞬でいいから…」

渋々口をへの字に曲げて両手を広げた俺の意図を汲んでくれたのだろう。キリコはじっとりと俺をねめつけながら「一瞬だけだからな。」と、俺の両腕の中に納まってくれた。彼女をがっしりと抱きしめた数秒後。

ピピピ、ピピピ、ピピピ

「38.6度か。」

口をあんぐりと開けたキリコから体を離して、手元にある温度計のデジタル表示に目をやる。誤差も多少はあるが、2,3秒耳に入れるだけで検温できる体温計を、このごろの俺は携帯している。それを知らなかった彼女は、まだ呆気にとられている。

「いつからだ。俺の勘だと病院で会う前から、熱はあったはずだ。」

完全に医者モードで問診を始めた俺に、なんとも言えない苦悶に満ちた表情を見せてキリコは呻いた。

「これだから医者馬鹿は嫌なんだ…!」

最悪、もう帰れ、卑怯者。思いつく限りの罵詈雑言を並べ立てて、キリコは寝室でベッドに突っ伏して動かない。

「時期が時期だからな。風邪くらいひくさ。俺とかち合ったのが運のつきだと思って諦めろ。」

以前にもこんなやりとりをした気がするな。くつくつと笑いながら俺は聴診器を取り出した。キリコが拗ねて黙った頃を見計らって、背中から肺の音を聞いた。

「お前の患者の気分がよくわかる。こんな詐欺まがいのことをされたんじゃ、堪ったもんじゃない。絶対に私は仕事を辞めないぞ。お前の策略に引っかかって、無益に苦しむ人を増やしてはいけない。」

「無益かどうかはお前さんにも俺にも決められない。俺は可能性があるなら、それに賭ける。それだけだ。」

ちぇっと舌打ちが聞こえる。

「カッコつけやがって。そういうところも嫌いなんだ。」

怒りに任せて悪態を吐くキリコ。以前ならそれにカーッと来て捲くし立てたもんだが、今となっちゃむず痒い気分になるもんだから、俺もかなり病気。はいはい、と適当に流して脈を取る。

「注射一本打つから、仰向けになんなさい。」

いつも患者に言うのと同じ調子だったのが、勘のいいキリコには我慢ができなかったみたいだ。

「グマの時といい、女になってしまった時といい、確かにお前には体を世話してもらうことが多いのは認める。だけど、今回はただの風邪だ。放っておいてくれ。私も医者の端くれだ。このくらいのことは自分で面倒は看られる。」

がばりとベッドから身を起こして言うキリコの目は、発熱でぼんやりとしてきている。

「わかってる。でもこれは俺の性分だ。具合の悪い人間が傍にいると、何もせずにはいられない。」

「それが迷惑だって言ってるの!」

「ちったあ、頼れ。」

「今じゃなくてもいいだろ。」

「今頼ってくれないと、いつになるかわからんしな。それに今までだって、全然頼ってきてねえし。」

「必要のないときに、頼ることはない。」

ぴしゃりと言い放つキリコが恨めしくなってきた。

「感謝の押し売りをする気はねえよ。」

「そんなセコイことをする人間じゃないだろ。お前は。お前は金と気まぐれで動く。そういう風にしてるんだものな。」

そうだよ。と蓮っ葉に肯定するものの、面白く無い。俺が請求する治療費は5000万とか1億とか大きな額。その反対にいただく報酬の中にはラーメン一杯だったり、当人以外には何の意味も無いガラクタだったり、タダのときもある。大概はその時の感情のままに決めたものが多い。別段それを悔いてはないから、キリコの指摘は間違いない。

「慈善事業なんて大嫌いだ。」

うんざりしたようにキリコは言う。

「お前もそうだよな。」

だんだんと呂律が回らなくなってきている。

「だから、私にも、同じように、対価を求めて欲しい。」

それだけ言うと、とうとうキリコは意識を手放した。失神というよりは眠気に勝てなかった具合だ。

残された俺はと言うと、ああ、そうかとパズルのピースがはまるようだった。頼るという選択肢を選ぶのが許せないんだな。こいつの今までの生き様を見ていれば、誰かに頼ったり頼られたりする、真っ当な人間関係をとことん忌避しているのがわかる。それは俺も同じだから。

頼れば情が湧く。情は腐ったり、澱んだり、碌なことにならない。患者に言い寄られることが多い身としては、情の鬱陶しさはよく身に沁みている。

医師の立場の俺としては、治療イコール愛情に繋がる思考回路が、全くもって理解しかねる。敢えて思考を寄せるとすれば、治療されると患者は、医師に頼り縋る精神状態になるのかもしれない。現在の最悪な状況から救い出してくれる存在として、頼りたくなるのは多少目を瞑れば理解は可能だ。しかしながら、私が頼るのだから貴方もそれを受け入れて当然とばかりに、感情を押し付けてくるのは迷惑以外の何者でもないのだ。そんなものはいらない。

〈頼る〉この言葉の質量が、相手によって全く変わるのがわかる。

キリコに対してはとてもライトに使えていたけれど、受け取るお前さんとしては簡単に受け取れる重量じゃなかったのかな。

「俺は別にお前さんに、何か返して欲しいから、治療するわけじゃねえんだけどなあ…」

ぽつりとこぼした俺の独白は、キリコの眠るベッドルームの暗がりに、見る間に溶けた。

本当はこの後続きがあったんですが、別れ話に進展してしまったのでここまで。

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【暖炉の火】

前提:キリコ姉さんにわがままを言ってもらいたいBJ先生

キリコの家に泊まるとなると、さっさと風呂に入って休もうということになった。「一緒に入るか」という俺の軽口は「やだ」と一蹴された。ちぇっと舌打ちしつつ、今夜はどんなわがままを聞いてやろうかとシャボンの中に思考を飛ばした。

風呂から上がると、ここ最近に俺が置いていった寝巻き一式が脱衣所に準備されているのを見て、相変わらず気が利く彼女に世話になりっぱなしなのに気付く。わがまま言ってってお願いする前に、俺がこんなふうにイロイロと心を尽くせる人間ならいいんだけど、残念なことに俺は患者以外にはとんだポンコツなのだ。だからキリコ本人にしてほしいこと、やってほしいことなんかを言ってもらったほうが、何かとスムーズだろう。

体から湯気を立ててリビングに戻ると、キリコは暖炉に向かって何やらやっていた。

「どうしたんだ。」

「ああ、さっき大きな薪をくべてしまって、火の勢いが止まらないんだ。もう火の始末をしたいんだが…」

「お前さんが風呂に入っている間に、火が消えるかもしれないぜ。」

「そう願いたいよ。それじゃ、見ておいてくれるか。」

ああ、と返事して、キリコを見送る。キリコの家の暖炉は煙突が円錐状になっていて、その下に薪をくべる場所が床よりも高い位置に作られている。周りには低い鉄柵こそあれ、ほぼむき出しの状態で薪をくべるスタイルのものだ。昔ながらのレンガ造りの我が家の暖炉とは大違いだ。

暖炉を見れば、確かに大きな炎がゆらめいている。火に当たれば濡れた髪が乾くだろう。ぱちぱちと薪がはぜる音が、静かな室内に響く。それにしても、炎ってのは見飽きないもんだな。一本の薪から出ているはずなのに、同じ色、同じ形が二つとして現れない。ああ、消えてしまう。もっと見たいななんて、つい細い薪を追加してしまう。どうもそんな俺の姿は、風呂から上がったキリコにばっちり見られてしまったようだ。

「初めて火を発見した人類は、お前みたいなのなんだろうね。」

呆れた声を後ろからかけられて、イタズラを見つかったガキのような気分になった。

「炎を見てたら、目が離せなくてな。」

正直に打ち明けると、お前らしい…とキリコは眉を下げる。

「確かに、キャンプファイヤーの楽しみは、何も考えずに炎を見ている時間にあるといっても過言じゃないし。私は今でもたまに、川原へ火を焚きに行くことがあるよ。」

「お前さんまだそんなことしてたのか。」

「さすがに音楽家の名前をかたる場面には出くわしてないけれど。バイクに乗って焚き火だけして帰ってくるだけでも、かなりリラックスできるもんだよ。ひとりで静かにっていうのが良いんだろうね。」

ふうん、と感じ入った様子の俺を見て、キリコはひとつの提案をした。

「ねえ、今夜はここで眠ろうか。ちょっとしたキャンプみたいになるかも。」

ひとつだけの目を好奇心で輝かせて、かわいらしいことを言う。もっとわがままになっていいんだぜ。

「ううーん。俺はベッドの方がいいなあ。」

「わがまま言って良いって言ったじゃないか。」

わざと嫌そうな声を出すと、キリコはむくれて俺を見上げる。その様子がたまらなくかわいい。

「そうでした。そうでした。もっと言ってもらわんと、世界一わがままな俺としては足りないもんな。」

俺の真意を知ってか知らずか、キリコははにかむように、ちょっと下を向いた。そんな彼女の手を引いて、布団を取りに寝室へと向かった。ふたりでわっせわっせと布団を下ろし、リビングのソファとテーブルを除けて、設営する。大人二人が寝っころがるのにギリギリのスペースができた。

薪を追加したものの「きっと夜更けには火が消えて、冷え込むだろうから」と、ありったけの毛布やブランケットを隙間に詰め込む。まるで秘密基地のような様相でわくわくしてくる。となりに立つキリコを見ると、俺と目が合った。俺の表情を見て楽しんでいたらしい。妙に気恥ずかしくなって、にこにこするキリコをぎゅっと抱き寄せた。

キリコと二人で並んで布団に潜り込んで、暖炉の火を眺めると、なんとも言えない安心感があった。外は寒い風が吹いているけれども、布団の中には二人分のぬくもりと、暖炉から届くあたたかさがある。電気を消しても、炎のゆらぎが部屋をほのかに照らす。

「子どもの頃を思い出すよ。」

キリコが静かに語りだす。

「ノエルが近づくと、ユリは決まって私の部屋に来て、ベッドの中でサンタを待つ練習をするんだ。自分の部屋だと小人が見ているかもしれないから、ダメなんだって。どうやってばれずにサンタの顔を見られるか、一生懸命寝たふりをするんだよ。」

「あんなにしっかりしたユリさんに、そんな時期があったのか。」

「そんなにしっかりしてないぞ。ちゃっかりはしているけど。それで、寝たふりをしているうちに本当に寝ちゃうんだ。ユリは一度寝ると朝まで絶対に起きないから、仕方なくベッドの端に滑り込んで、二人で寝た。しかもあの子は大の字で寝てるし。」

ほほえましい思い出に、笑い声がこぼれる。

「子どもの頃の思い出か。俺にはほとんど無いな。」

つい口から出てしまった。爆風にすべてが吹き飛んでしまって、真っ黒に塗りつぶされたように、楽しい記憶が思い出せない。きっと何も無いはずはないのだけれど。

ぱちんと火の爆ぜる音がする。

「じゃあ、大人の思い出、作る?」

いけないことを誘うようなキリコの言葉に、俺が乗らない理由はなかった。シャンプーのいい香りがする髪に指を絡めて、キリコのくちびるを味わう。

「子どもはこんなことしないもんな。」

「どうかな。大人のキスじゃないもの。ティーンの子達ならしてるんじゃない?」

「ふふん。大人のキスがどんなものか教えてくれよ。」

鼻先がぶつかる距離で囁きあう。

「BJがしてくれるんじゃないの?」

ほのかに熱を持つ視線を交し合う。

「わがままなやつ。」

満足そうにキリコは笑って、俺の舌を受け入れた。夕食で飲んだ日本酒で熱くなった粘膜を吸うと、キリコの腕が俺の背中に回る。彼女をそのまま抱えて体を起こした。布団の上に二人して向かい合い、くちづけを交わす。その間にキリコのパジャマのボタンを外していく。キリコは裾をめくり上げて、俺の素肌を探る。その手の動きのままに寝巻きの上を脱ぎ捨てた。キリコも上半身を下着だけにさせると、鼻の頭をくっつけてくすくすと笑う。

深く吸い上げたかと思えば、くちびるの上だけくっつけて舌先を絡めあってみたり、脱がしっこに興じながら長いキスを楽しんだ。もちろん手癖の悪い俺のことだから、やわらかいキリコの体を楽しむのも忘れてない。

「大人のキスの及第点、もらえるかね。」

軽く息の上がった声で問えば、キリコの指は俺の下腹部に伸びる。テントを張った股座にふれそうでふれない位置で指が止まる。

「キスだけで元気になっちゃったもんね。」

「若さかな。」

「大人になるには、まだ時間がかかりそう。」

「インポテンツの方が大人なのかよ。」

軽口を叩きあいながら、お互いの体を盗み見る。暖炉の炎に照らされたキリコの体は、いつもより尚艶かしく見えた。赤い炎の色にそまる白い肌に、濃く伸びる影。光と影が炎のゆらぎにあわせて伸びたり縮んだり。それが彼女の肌を一層立体的に見せる。俺の肌にも縫合痕の僅かな凹凸が、影を染みさせているのが見えるくらいだ。彼女の目にはパッチワークのように見えているんじゃないだろうか。

つう、とキリコの指が俺の腕の縫合痕をたどる。ひとりごとのように彼女は言葉を紡ぐ。

「いつも、この縫い目が見えると、お前の腕の中にいるのを認識するんだ。今夜は、ずっと忘れられそうに無いな。」

「おい、そりゃ忘れてる時があるってことかよ。ひでえな。」

「ひどいのはお前のほうだ。私の意識が朦朧とするまで抱き潰すのだから。」

うっと言葉に詰まる。かなり無理を強いてる自覚があるだけに。

「そりゃお前さんの具合がいいからに決まってるじゃねえの。」

開き直っては見たものの、はぐらかしてばかりでは誤解を招く。ぐっと気を引き締める。

「真面目に言うけどな、お前さんに触れてるときの俺はサル以下のIQになってると思ってくれ。」

ぶっと噴出したキリコに、俺は必死に訴える。これで拗れたら困る。

「わがままになってくれって言ったろ。本気で嫌なときの合図とか決めておこうか?」

「多分お前それも忘れちゃうと思うよ。」

キリコはおもしろいおもちゃを見るようにくつくつと笑う。

「覚えとくって。お前さんに負荷をかけてる自覚はあるんだ。こっちでも俺ばっかりってのは、あんまりよろしくない。まったく言うことを聞かない息子だが、何とか宥めてみせる。」

真剣に言っているのに、とうとうキリコは突っ伏して笑い出した。

「おい。俺は本気だぞ。」

むっとして、キリコに圧し掛かる。まだ彼女は笑っている。「ごめん」とか「止まらない」とか言いながら。いよいよ面白くない。バカにしてんのか。当分笑いが止まりそうに無い彼女を放ってタバコでも吸おうかと思案した時、するりと白い腕が俺の首に回った。

「あのね、性欲って人間の三大欲求のひとつだから、簡単には抑えられないのはわかるし、元男としてはセックスでサル並みのIQになっちゃうのもわかる。だからね、きっとお前が言うところの不肖の息子に、どれだけ説法をしても言うことを聞かないんじゃないかなって予測もできるんだ。」

まだ口元に笑みが残った状態で、キリコは俺を捕まえる。なんだよ、行動する前から失敗が予測されるって話かよ。やってみなきゃわからないと言いかけた俺の言葉を遮るように、キリコは話し続ける。

「本当に嫌だったら、こんな状況になる前にきちんと言う。服を脱ぐ前にね。でもまあ途中で本気で嫌になることはあるかもしれないけど、それはもうそんな状況に身を置いてしまった自分の責任だし。絶対に無理だって思ったら、お前を殴ってでもベッドを飛び出すはずさ。私の性格わかってるだろ?」

「そりゃ、まあ。殴られても文句はねえよ。」

「それにね、さっきひどいって言ったけど、あれは売り言葉になんとやらってやつで…」

「ああん?本当は嫌じゃないって?」

とたんに口ごもるキリコの様子に、なんか隠してるって俺のセンサーが働く。吐け!このやろ!抱きかかえて転がった。俺の上に乗っかった彼女は、随分ばつが悪そうに白状する。

「この前、仕事で知り合った女医さんたちとディナーに行ったんだけど、そこでパートナーとの夜の生活の話になったんだ。みんなそれぞれに楽しんでるのがわかって、おもしろかった。それで、最後に私が話す番になったんだ。」

「ごめんね、勝手に話して。」なんて謝ってくるけど、俺は全然気にしない。むしろ女性同士でもそんな話をするのかと、そっちのほうに興味があった。

「私たちのことをかなりかいつまんで話したつもりだったんだけど、とても驚かれてしまった。何て言うか…ここまでぴったりくるのって、なかなかないみたい。」

肝心の部分がぼやかされた。大体主語が無い。

「わからん。何が驚かれたんだ。何がぴったりくるんだ。」

「言わなくてもわかってほしいけど、きちんと言葉にしたほうがわかる人だもんねえ。お前ってば。」

やっぱり、と観念したように、俺の胸板の上で彼女は項垂れ、やがてぼそぼそとつぶやいた。

「私が潰れるまで、お前が何度でも復活してくることに…驚かれた。」

「な…それって俺が体力バカってことに驚かれたってことか?仕様がねえじゃん。事実なんだし。」

「私も初めはそっちだと思ったんだよ。でも、女を長い事やってるお姉さま方は違うね。」

じっとりと睨んでくるキリコの迫力に、ごくりと生唾を飲み込む。会った事も無いお姉さまの気迫を感じるようだった。

「『潰れるまでイキまくってるのね!サイコーじゃない!』だとさ。」

キリコは言い終わると、ぺしゃんと潰れた。俺もどうしようもなく恥ずかしくなってきた。

「それじゃ、あの、ぴったりってのは、体の相性ってこと?」

俺の間抜けな問いかけに、銀色の頭はこくこくと頷く。

「お前さんがイキまくってるのも、本当?」

銀色の頭は一度だけこくんと頷いて「知ってるくせに…」と恨みがましい声を上げた。

これはまいったな。第三者から認定されるとは思っても見なかった。仕事や信条ではこれでもかってくらい間逆で、相性最悪なんだけど。それはキリコも同じことを言った。でも肌が合うってのも、間違っちゃいねえし…なかなかないって言われるのも悪くない。「いやあ、お姉さま方はお見通しか。恐れ入ったね。」そう言って笑うしかなかった。

ぱちぱちと炎を上げる暖炉も、そんな俺たちを笑っているみたいだった。

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家族パロを描いていて、ネーム進まない!うわーん!となって書きなぐったものです。完全にストレス発散です。なのでぶっちぎれの、ぶれまくりの文章です。きちんと小説書ける人はすごい…

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