※2021/12/5改訂
朝からカガイだ、カガイだと社の中は浮ついている。キリコの言っていた『歌垣』だ。
大師様が山に戻るから、その見送りの宴と、キリコが〈十〉になったことの祝いらしい。
キリコは〈八枚〉様から飛び級で、〈十〉のお方、または〈白の君〉と呼ばれるようになっていた。キリコに鱗が十枚生えたと知らされた時、教団連中の喜びようと言ったら、まあ。踊り出す女はいるし、抱き合う男女はいるし、雄叫びを上げる男はいるし。天地がひっくり返ったような騒ぎだった。後藤に至っては、直立不動で一筋涙を流してた。
カガイが何をするのか知らないが、きっと壮行会のようなものだと見当をつけた。禁欲主義な教団の連中が浮かれることなんて、酒ぐらいしかないだろうよ。
そんなにぎやかしい雰囲気から締め出されたように、俺達の前に〈四枚〉が無表情で座っている。
やおら座敷に三つ指をつくと、深々と頭を下げた。
「〈十〉のお方には、益々のご清栄のこととお喜び申し上げます。この度、お社を辞すこととなりました。おかけ頂いたご温情の数々、感謝の言葉もございません」
虹蛇が社を出される。〈四枚〉はもう鱗が生えないと教団に判断されたのだ。その行く先は〈四枚〉自身がよく知っている。思わずキリコの方を向くと、あいつは一言。
「お務め、ご苦労でした」
〈四枚〉は薄くほほえんで退出した。
俺はというと駆け出していた。なんつーか、あのほほえみは好かないんだ。あーゆーのもいくつも見てきたさ。結局は滅茶苦茶生き延びたくて仕方がない癖に、死ぬのが怖くないってツラして強がってる。〈四枚〉おまえさん、そんなタマじゃねえだろ。黙ってそのまま滝なんかに行かせるかよ。
着流しの裾をまくって走れば、すぐに廊下を歩いている〈四枚〉に追いついた。やっぱり警備が薄い。現に彼女は一人で行動しているし、見張りもいない。
「なに」
俺を睨みつける〈四枚〉おう、こっちの面構えの方が似合うぜ。
「お前さん、その鱗取りたくないか」
その言葉に彼女は目の色を変える。だがすぐに暗く俯く。
「あんた、バカァ?完全に定着してるんだよ。初めにできた鱗はもう3年経ってるし、むしれるレベルじゃないっての」
強引に白い着物の袖をまくり、〈四枚〉の腕の鱗を見た。鱗にも個人差があるのか〈四枚〉の鱗は柳の葉に似ている。これなら人工皮膚はいらない。
小林の死に際の言葉が思い出される。
(まともに、治療が受けられないまま、人が死ぬのは…俺には我慢ができん……)
ああ全く、完全に同意だ。
俺はすっかり忘れていた。これはオカルトなんかじゃない。皮膚が変質した疾病だ。ならば治せる。治療ができる!
「言ってなかったか?俺は医者だ。この鱗は取れるぞ。取ってやるとも!」
表情の抜け落ちた〈四枚〉の顔がくしゃりと歪んだ。ぼろぼろと涙がこぼれだす。
「…取って、こんな鱗、取って……取って!」
善は急げだ。広縁にシーツを敷いて、ポットに湯を沸かす。
「また安請け合いして。メスもないのにどうするのさ」
興味のない様子のキリコは広縁から離れて障子の近くに座った。こちらを見ようともせずに禁煙ガムを噛んでいる。ふん。お前さんからしたら、意味のないことなんだろうさ。だが、この娘と俺にはある。無策でいると思ったか。
「見つけたよ!これだよな!」
「でかした、耕太!」
後ろを振り向くと耕太と〈六枚〉がいた。どうしてオマケがついてくる?
俺は耕太にコートを見つけてくれるように頼んでいたのだ。それが見つかったのに、どうして〈六枚〉が俺のコートを持っているんだ。
まずいな。〈六枚〉は〈四枚〉の立場を知っている。ましてや〈四枚〉や耕太のように、鱗を取りたいとも思っていないはずだ。いくら警備が薄いとはいえ、このままでは…
立ち上がろうとした俺の足元にドサリとコートが投げられる。〈六枚〉は芝居がかった手つきをした。
「私は廊下で重たいコートを運ぶ少年を見つけたから…その手伝いをしただけだよ」
「ううん。すごい勢いで、どこにいくんだ?!〈十〉のお方の部屋かって聞くんだよ。だから一緒に行きますかって」
怯える耕太。そうだよな。お前こいつの詩人モード知らないからな。でも今はそれどころじゃない!
コートの中に仕込んでいたメスや鉗子は大方抜き取られていたが、隠しポケットの存在までは分からなかったらしい。縫合糸、針、局所麻酔のパックが二つ、メスが数本、コートの中から出てきた。あるだけの装備でやるしかない。執刀の準備を整えながら、〈四枚〉に指示をする。
「局所麻酔で切るが、生憎麻酔が少量しかない。痛むと覚悟はしておいてくれ。声が出ないように、タオルを噛みなさい」
〈四枚〉にタオルを渡すと、彼女は強く頷いた。
執刀開始。
鱗に沿ってメスを入れる。皮膚と鱗が癒着している部分を切除すれば、鱗自体は簡単に取れた。しかし、その下には肉の芯がある。魚の目と一緒だ。この芯を取らないと、また鱗が生えてくるかもしれない。温泉に浸からないなら、きっと鱗ではない肉腫になる可能性の方が高そうだが、どちらにせよ切除だ。
芯にメスが当たると〈四枚〉は苦悶に呻いた。麻酔で感覚が鈍っているにも関わらず、タオルを噛んでいても彼女の傷みが聞こえてくる。根元から抉るように芯を摘出。それでも〈四枚〉は耐える。
「耕太、見ておけ。鱗を取るときはこうやるんだ。お前も、この姉ちゃんみたいに我慢するんだぞ」
言葉も出ない耕太は、泣きながら首を縦に振る。漏らしてないな。股間をぎゅーってしてやがる。
切開した部分を手早く縫合。これを後三回するわけだ。巻いていこう。
次の鱗は隣り合わせになっている二枚。芯が癒着していなければ良いと思いながら鱗を剥がせば、やっぱり!二枚分の芯がくっついて団子のような形になっている。
「正念場だぞ。気を確かに持て。〈六枚〉!暇なら〈四枚〉を押さえろ」
「どうして私が」
「どうしてもクソもあるか。俺がやれってんだから、やるんだよ!」
「野良猫君は横暴だなあ」
しぶしぶ〈四枚〉を押さえた〈六枚〉を早々に叱り飛ばすことになる。
「しっかり力入れて押さえろ!細っこい女に腕力負けるのか、てめえはッ!」
「…ッ、こんなに暴れるなんて、聞いてない…」
「暴れたくてしてるわけじゃねえ!痛みに耐えてんだ。耕太、お前も手伝え!」
うん、と涙でぐしゃぐしゃになった耕太が〈四枚〉の腕を掴んだ時だった。
「〈十〉のお方様、失礼いたします」
教団の人間だ!今部屋に入られては困る。
慌てて広縁の障子を閉めるが、誤魔化しきれるものだろうか。少なくとも俺たちは動けない。嫌な汗が流れる。
「すまないが、今着替えているんだ。用件はそこで聞こう」
障子の向こうにいるキリコだ。
「〈四枚〉様はご挨拶に参られましたでしょうか。お姿が見えないようなので、もしや〈十〉のお方のお部屋かと…」
〈四枚〉を探しているのだ。当然だ。挨拶にしては時間がかかりすぎているのだから。一刻を争う。俺は再びメスを握る。
「いいや。彼女は来ていない」
キリコの感情のない声が聞こえてくる。今やあいつは〈十〉の方。教団での権力は大師に次ぐ勢い。あいつがいないって言ったら、いないんだ。
人の気配が無くなって、本格的にメスを入れる。
「んーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!!!」
〈四枚〉が金の髪を振り乱して悶える。麻酔が全然効いてない。時間もない。空に向かって爪を立てる〈四枚〉の腕を〈六枚〉が捕まえた。
「私の腕を掴みなさい。引っ掻いてもいいから」
「…だれが、あんたなんかの……」
タオルを口から落とした〈四枚〉の荒い息とともに吐かれるのは怨嗟の言葉。
「そうだね。君は私が憎いよね。でも今は腕を掴みなさい。暴れるより遥かにマシだ」
「引き、ちぎってやる…」
「望むところだ。気を失うんじゃないよ」
〈六枚〉は泣いていた。〈四枚〉の姿に何を見るのだろう。俺にはわからない。わからなくていい。こいつらの中で納得がいっているのなら、それでいい。
最後の鱗が取れた。〈四枚〉の手が〈六枚〉の傷だらけになった腕から離れ落ちる。血をぬぐい、始末をしていると、新しい着物を持ったキリコが障子を開けた。
自分の血にまみれた着物から手早く着替え〈四枚〉は俺達に頭を下げた。
「この御恩は、一生忘れません…!」
「礼には早い。ここから出るんだ。私が知っている抜け道に案内しよう」
手助けをしようとする〈六枚〉に向かって首を振ると、〈四枚〉は広縁の窓枠に立った。
「これ以上はいい。後は自分でなんとかする。あたしたち、いつもそうだったでしょ」
笑うでも、睨むでもなく、真っ直ぐに二人の虹蛇は見つめ合った。
「そうだったね。私も…」
静かに涙を流し続ける〈六枚〉を背に、〈四枚〉は外へ飛び出していった。
晩秋の色を濃くした夕焼け空。夜が彼女の味方をしてくれるといい。
「あんたも鱗を取るか?」
俺の問いに〈六枚〉はゆっくりと自分の着物の襟を開いて見せる。大きなイチョウの葉に似た鱗が三枚、連なって生えていた。
「…場所が悪いな」
「でしょう?野良猫君のやり方を見ていて思ったよ。これは私には無理だって」
心臓を覆うように光る虹色の鱗。これを摘出するには、設備の整った病院で執刀しなければ助からないだろう。〈六枚〉はそっと襟を戻す。もう涙は止まっている。
「後は自分でなんとかする…か。簡単に言ってくれるなあ」
ぽつりと呟く〈六枚〉を耕太が見上げる。その頭を彼はそっと撫でた。もっと昔に、誰かにしてやりたかったことなのだろうと、なんとなく思った。
〈六枚〉と耕太が東の角部屋から去った後、キリコは俺を連れて社の奥へ向かった。
カガイとやらが始まっているのだろう。社の中に人影はなかった。奥に進むにつれ周りはどんどん暗くなっていく。やがて太鼓の音が聞こえてきた。歌と哄笑。そして…この獣のような声はなんだ?
たどり着いた奥の大部屋は、巨大な木の扉で閉ざされている。カガイの騒ぎ声は扉の向こうからダイレクトに響いてくる。さすがに俺でも歌や笑い声に混じる声が何なのかわかった。生理的に無理なやつかもしれない。変なにおいまでする。
キリコは扉を開けず、その横についている木のはしごを登りだした。ついて来いと手招きするので、好奇心に負けて俺も登った。
梁の隙間から見えた光景。
大部屋の中に護摩焚きを大きくしたような火が燃えていた。すさまじい量の煙を吐き出し、大部屋全体が霞んで見えるほど。
「あれに気持ちがよくなるハーブが入ってる」
ハーブなんて代物なのだろうか。護摩だってここまで効果なんか出ないはずだ。こいつら明らかに常軌を逸している。
もうもうと煙を上げる火の周りで、裸の男女が踊り狂っていた。まぐわっている奴も多い。嬉々として三人同時に相手する女。女を侍らせながら男に穿たれている男。右も左も乱痴気騒ぎばかり。まるでサバトだ。
バカバカしい、こんな趣味は俺にはない。顔をそむけようとした俺の顎をキリコが掴んだ。抵抗する間もなく、驚くほど強い力で首を固定される。目だけ動かしてキリコの表情を窺おうとするが、暗がりと煙が邪魔をして、全く分からなかった。何を見せたいのかと視線を大部屋に戻せば、白い着物を着た男女が隅の方に固まって立っているのが見えた。
白い着物の人間は次々に教団の信者に連れていかれる。その中には中学生くらいの子どももいたし、赤ん坊と大差ない幼子までいた。
「本当は〈四枚〉もあそこにいる予定だったんだ」
白い着物が引き裂かれ、教団の信者が襲い掛かる。
蹂躙と暴虐。狂乱と享楽。
三人がかりで襲われて泣き叫ぶ少女の声は俺には聞こえない。
「鱗に関わった人間は、最後にはここに送られる」
あり得ない方向に腕が曲がった男が、床に転がり動かなくなっていた。
股から血を流した女の首がねじれて、赤いあぶくを吹いている。
床に転がっているのが赤ん坊の頭だと思いたくない。
「ただ滝に落とすなんて、あり得ないだろう。ここですっかりしゃぶられてから捨てられるのさ」
教団の信者の歪んだ笑み。これは捕食行動ですらない。ただ楽しむだけに壊して痛めつけ、快感を吸い上げるだけ吸ったら、残った抜け殻はゴミ扱い。知能がある故に生じる原始的な破壊衝動だ。
床に横たわり天井を見上げる胡乱な女と目が合った。女の腕は折れているようで赤黒く変色している。
俺はあの女を治療すべきなのだろうか。
俺は〈四枚〉を治療した。
治療を……
「お前をここに連れてきたのは、俺のエゴだ。先に戻る」
ただ目の前を見ることしかできない俺を置いて、キリコはさっさと消えてしまった。
冷えた空気に透きとおる星。
吐く息は白い。
手を開いては閉じる。
傷だらけの指を一本ずつ折ってみる。
メスが鱗に当たった瞬間の感触。
〈四枚〉のまなざし。
「逃げろって言ったのに、まだいるのか」
後ろにキリコが立っている。
「よく来られたな」
「手すりにわざわざ足跡がついてりゃ、呼ばれてるって思うさ」
正直上がるのに屋根をぶち抜かないか冷汗かいたってさ。ざまあ。
あいつが側に寄る前に、俺は立ち上がる。
「お前が山に行くのなら、俺は滝に行く」
「……何考えてる」
「お前が教えないから、俺も教えない」
「教えたら教えたで、全部ぶち壊しにかかるだろうがよ、お前は」
その通り。秋の夜の澄んだ空気を吸う。
「俺は俺の道を行く。見たいものを見て、知りたいものを知る。今のままじゃ経過観察しかできないからな。俺の性に合わねえ」
ちッとキリコは舌打ちした。
「社の奥に連れていくんじゃなかった。生意気な鼻っ柱折ってやろうと思ったら、逆にスイッチ入れてるじゃねえかよ」
「俺は想定内かと思ってたぞ」
「…あの光景は、好きじゃない」
そうだろう。だから余計にお前が腹を立てているのが分かった。どうして怒るのか考えた。こいつは義憤など起こさない。俺の視野が狭いことにイラついてるんだ。つまりそれは客観的に見て、俺に今足りないものってことだ。
「俺は見つけるぞ。鱗を根絶する方法を。今日みたいな対処療法ではなく、二度と起こさないレベルでの治療方法を」
ますます機嫌が悪くなるキリコ。珍しく顔に出してる。
「てめえを起こしちまった数時間前の自分を殺したい」
そいつは無理だ。もう遅い。とんとんと屋根を伝って、キリコの目の前へ。
「進行した病は治すのが難しい。ただ何故そうなったか明らかにすることで、治療への道が開けることは間違いなくある。まだまだお前さんが俺に伝えていない情報もあるだろうが、別段それに頼る必要はない。自分で見つけるよ」
「その結果、何が起こってもか」
「おっかねえ顔するなよ」
ぱっと手のひらを開いて見せる。
「結局俺はこの手の分しか治療できない。何があってもそれは増えない。だから問題は手のひらに収まるサイズにしたいのさ」
「理想主義め。事態の大きさも把握してないくせに」
「お前さんこそ、どうして自分の尺度が正しいと言い切れる。そもそもお前さんはストイックすぎる。依頼人の希望を叶えるためなら何だってやるんだから、俺といい勝負だよ」
なあ、とキリコの顔を覗き込む。はためく俺の着物は夜空の色。
「それにしても、教団の連中も見る目がねえなあ。お前さんが〈白の君〉とは笑わせる」
黒い皮の眼帯をなぞる。
「ここが黒いから、周りが引き立って見えるだけで」
おかしくてたまらねえ。キリコは目を見開いて動かない。どうした。金縛りか?
「ははっ、ガワばっかり見て、白いって思い込んでる」
すっかり冷たくなった両手でキリコの固い頬を包む。
「中身は真っ黒!」
大笑いを始めた俺を、キリコは力任せに抱きしめた。
「いてえ、いてえ」と言いながら俺もサバ折りの姿勢に。
ああ、心臓の音が早い。