虹の彼方に(四)

キリジャバナー2

※2021/12/5改訂

朝からカガイだ、カガイだと社の中は浮ついている。キリコの言っていた『歌垣』だ。

大師様が山に戻るから、その見送りの宴と、キリコが〈十〉になったことの祝いらしい。

キリコは〈八枚〉様から飛び級で、〈十〉のお方、または〈白の君〉と呼ばれるようになっていた。キリコに鱗が十枚生えたと知らされた時、教団連中の喜びようと言ったら、まあ。踊り出す女はいるし、抱き合う男女はいるし、雄叫びを上げる男はいるし。天地がひっくり返ったような騒ぎだった。後藤に至っては、直立不動で一筋涙を流してた。

カガイが何をするのか知らないが、きっと壮行会のようなものだと見当をつけた。禁欲主義な教団の連中が浮かれることなんて、酒ぐらいしかないだろうよ。

そんなにぎやかしい雰囲気から締め出されたように、俺達の前に〈四枚〉が無表情で座っている。

やおら座敷に三つ指をつくと、深々と頭を下げた。

「〈十〉のお方には、益々のご清栄のこととお喜び申し上げます。この度、お社を辞すこととなりました。おかけ頂いたご温情の数々、感謝の言葉もございません」

虹蛇が社を出される。〈四枚〉はもう鱗が生えないと教団に判断されたのだ。その行く先は〈四枚〉自身がよく知っている。思わずキリコの方を向くと、あいつは一言。

「お務め、ご苦労でした」

〈四枚〉は薄くほほえんで退出した。

俺はというと駆け出していた。なんつーか、あのほほえみは好かないんだ。あーゆーのもいくつも見てきたさ。結局は滅茶苦茶生き延びたくて仕方がない癖に、死ぬのが怖くないってツラして強がってる。〈四枚〉おまえさん、そんなタマじゃねえだろ。黙ってそのまま滝なんかに行かせるかよ。

着流しの裾をまくって走れば、すぐに廊下を歩いている〈四枚〉に追いついた。やっぱり警備が薄い。現に彼女は一人で行動しているし、見張りもいない。

「なに」

俺を睨みつける〈四枚〉おう、こっちの面構えの方が似合うぜ。

「お前さん、その鱗取りたくないか」

その言葉に彼女は目の色を変える。だがすぐに暗く俯く。

「あんた、バカァ?完全に定着してるんだよ。初めにできた鱗はもう3年経ってるし、むしれるレベルじゃないっての」

強引に白い着物の袖をまくり、〈四枚〉の腕の鱗を見た。鱗にも個人差があるのか〈四枚〉の鱗は柳の葉に似ている。これなら人工皮膚はいらない。

小林の死に際の言葉が思い出される。

(まともに、治療が受けられないまま、人が死ぬのは…俺には我慢ができん……)

ああ全く、完全に同意だ。

俺はすっかり忘れていた。これはオカルトなんかじゃない。皮膚が変質した疾病だ。ならば治せる。治療ができる!

「言ってなかったか?俺は医者だ。この鱗は取れるぞ。取ってやるとも!」

表情の抜け落ちた〈四枚〉の顔がくしゃりと歪んだ。ぼろぼろと涙がこぼれだす。

「…取って、こんな鱗、取って……取って!」

善は急げだ。広縁にシーツを敷いて、ポットに湯を沸かす。

「また安請け合いして。メスもないのにどうするのさ」

興味のない様子のキリコは広縁から離れて障子の近くに座った。こちらを見ようともせずに禁煙ガムを噛んでいる。ふん。お前さんからしたら、意味のないことなんだろうさ。だが、この娘と俺にはある。無策でいると思ったか。

「見つけたよ!これだよな!」

「でかした、耕太!」

後ろを振り向くと耕太と〈六枚〉がいた。どうしてオマケがついてくる?

俺は耕太にコートを見つけてくれるように頼んでいたのだ。それが見つかったのに、どうして〈六枚〉が俺のコートを持っているんだ。

まずいな。〈六枚〉は〈四枚〉の立場を知っている。ましてや〈四枚〉や耕太のように、鱗を取りたいとも思っていないはずだ。いくら警備が薄いとはいえ、このままでは…

立ち上がろうとした俺の足元にドサリとコートが投げられる。〈六枚〉は芝居がかった手つきをした。

「私は廊下で重たいコートを運ぶ少年を見つけたから…その手伝いをしただけだよ」

「ううん。すごい勢いで、どこにいくんだ?!〈十〉のお方の部屋かって聞くんだよ。だから一緒に行きますかって」

怯える耕太。そうだよな。お前こいつの詩人モード知らないからな。でも今はそれどころじゃない!

コートの中に仕込んでいたメスや鉗子は大方抜き取られていたが、隠しポケットの存在までは分からなかったらしい。縫合糸、針、局所麻酔のパックが二つ、メスが数本、コートの中から出てきた。あるだけの装備でやるしかない。執刀の準備を整えながら、〈四枚〉に指示をする。

「局所麻酔で切るが、生憎麻酔が少量しかない。痛むと覚悟はしておいてくれ。声が出ないように、タオルを噛みなさい」

〈四枚〉にタオルを渡すと、彼女は強く頷いた。

執刀開始。

鱗に沿ってメスを入れる。皮膚と鱗が癒着している部分を切除すれば、鱗自体は簡単に取れた。しかし、その下には肉の芯がある。魚の目と一緒だ。この芯を取らないと、また鱗が生えてくるかもしれない。温泉に浸からないなら、きっと鱗ではない肉腫になる可能性の方が高そうだが、どちらにせよ切除だ。

芯にメスが当たると〈四枚〉は苦悶に呻いた。麻酔で感覚が鈍っているにも関わらず、タオルを噛んでいても彼女の傷みが聞こえてくる。根元から抉るように芯を摘出。それでも〈四枚〉は耐える。

「耕太、見ておけ。鱗を取るときはこうやるんだ。お前も、この姉ちゃんみたいに我慢するんだぞ」

言葉も出ない耕太は、泣きながら首を縦に振る。漏らしてないな。股間をぎゅーってしてやがる。

切開した部分を手早く縫合。これを後三回するわけだ。巻いていこう。

次の鱗は隣り合わせになっている二枚。芯が癒着していなければ良いと思いながら鱗を剥がせば、やっぱり!二枚分の芯がくっついて団子のような形になっている。

「正念場だぞ。気を確かに持て。〈六枚〉!暇なら〈四枚〉を押さえろ」

「どうして私が」

「どうしてもクソもあるか。俺がやれってんだから、やるんだよ!」

「野良猫君は横暴だなあ」

しぶしぶ〈四枚〉を押さえた〈六枚〉を早々に叱り飛ばすことになる。

「しっかり力入れて押さえろ!細っこい女に腕力負けるのか、てめえはッ!」

「…ッ、こんなに暴れるなんて、聞いてない…」

「暴れたくてしてるわけじゃねえ!痛みに耐えてんだ。耕太、お前も手伝え!」

うん、と涙でぐしゃぐしゃになった耕太が〈四枚〉の腕を掴んだ時だった。

「〈十〉のお方様、失礼いたします」

教団の人間だ!今部屋に入られては困る。

慌てて広縁の障子を閉めるが、誤魔化しきれるものだろうか。少なくとも俺たちは動けない。嫌な汗が流れる。

「すまないが、今着替えているんだ。用件はそこで聞こう」

障子の向こうにいるキリコだ。

「〈四枚〉様はご挨拶に参られましたでしょうか。お姿が見えないようなので、もしや〈十〉のお方のお部屋かと…」

〈四枚〉を探しているのだ。当然だ。挨拶にしては時間がかかりすぎているのだから。一刻を争う。俺は再びメスを握る。

「いいや。彼女は来ていない」

キリコの感情のない声が聞こえてくる。今やあいつは〈十〉の方。教団での権力は大師に次ぐ勢い。あいつがいないって言ったら、いないんだ。

人の気配が無くなって、本格的にメスを入れる。

「んーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!!!」

〈四枚〉が金の髪を振り乱して悶える。麻酔が全然効いてない。時間もない。空に向かって爪を立てる〈四枚〉の腕を〈六枚〉が捕まえた。

「私の腕を掴みなさい。引っ掻いてもいいから」

「…だれが、あんたなんかの……」

タオルを口から落とした〈四枚〉の荒い息とともに吐かれるのは怨嗟の言葉。

「そうだね。君は私が憎いよね。でも今は腕を掴みなさい。暴れるより遥かにマシだ」

「引き、ちぎってやる…」

「望むところだ。気を失うんじゃないよ」

〈六枚〉は泣いていた。〈四枚〉の姿に何を見るのだろう。俺にはわからない。わからなくていい。こいつらの中で納得がいっているのなら、それでいい。

最後の鱗が取れた。〈四枚〉の手が〈六枚〉の傷だらけになった腕から離れ落ちる。血をぬぐい、始末をしていると、新しい着物を持ったキリコが障子を開けた。

自分の血にまみれた着物から手早く着替え〈四枚〉は俺達に頭を下げた。

「この御恩は、一生忘れません…!」

「礼には早い。ここから出るんだ。私が知っている抜け道に案内しよう」

手助けをしようとする〈六枚〉に向かって首を振ると、〈四枚〉は広縁の窓枠に立った。

「これ以上はいい。後は自分でなんとかする。あたしたち、いつもそうだったでしょ」

笑うでも、睨むでもなく、真っ直ぐに二人の虹蛇は見つめ合った。

「そうだったね。私も…」

静かに涙を流し続ける〈六枚〉を背に、〈四枚〉は外へ飛び出していった。

晩秋の色を濃くした夕焼け空。夜が彼女の味方をしてくれるといい。

「あんたも鱗を取るか?」

俺の問いに〈六枚〉はゆっくりと自分の着物の襟を開いて見せる。大きなイチョウの葉に似た鱗が三枚、連なって生えていた。

「…場所が悪いな」

「でしょう?野良猫君のやり方を見ていて思ったよ。これは私には無理だって」

心臓を覆うように光る虹色の鱗。これを摘出するには、設備の整った病院で執刀しなければ助からないだろう。〈六枚〉はそっと襟を戻す。もう涙は止まっている。

「後は自分でなんとかする…か。簡単に言ってくれるなあ」

ぽつりと呟く〈六枚〉を耕太が見上げる。その頭を彼はそっと撫でた。もっと昔に、誰かにしてやりたかったことなのだろうと、なんとなく思った。

〈六枚〉と耕太が東の角部屋から去った後、キリコは俺を連れて社の奥へ向かった。

カガイとやらが始まっているのだろう。社の中に人影はなかった。奥に進むにつれ周りはどんどん暗くなっていく。やがて太鼓の音が聞こえてきた。歌と哄笑。そして…この獣のような声はなんだ?

たどり着いた奥の大部屋は、巨大な木の扉で閉ざされている。カガイの騒ぎ声は扉の向こうからダイレクトに響いてくる。さすがに俺でも歌や笑い声に混じる声が何なのかわかった。生理的に無理なやつかもしれない。変なにおいまでする。

キリコは扉を開けず、その横についている木のはしごを登りだした。ついて来いと手招きするので、好奇心に負けて俺も登った。

梁の隙間から見えた光景。

大部屋の中に護摩焚きを大きくしたような火が燃えていた。すさまじい量の煙を吐き出し、大部屋全体が霞んで見えるほど。

「あれに気持ちがよくなるハーブが入ってる」

ハーブなんて代物なのだろうか。護摩だってここまで効果なんか出ないはずだ。こいつら明らかに常軌を逸している。

もうもうと煙を上げる火の周りで、裸の男女が踊り狂っていた。まぐわっている奴も多い。嬉々として三人同時に相手する女。女を侍らせながら男に穿たれている男。右も左も乱痴気騒ぎばかり。まるでサバトだ。

バカバカしい、こんな趣味は俺にはない。顔をそむけようとした俺の顎をキリコが掴んだ。抵抗する間もなく、驚くほど強い力で首を固定される。目だけ動かしてキリコの表情を窺おうとするが、暗がりと煙が邪魔をして、全く分からなかった。何を見せたいのかと視線を大部屋に戻せば、白い着物を着た男女が隅の方に固まって立っているのが見えた。

白い着物の人間は次々に教団の信者に連れていかれる。その中には中学生くらいの子どももいたし、赤ん坊と大差ない幼子までいた。

「本当は〈四枚〉もあそこにいる予定だったんだ」

白い着物が引き裂かれ、教団の信者が襲い掛かる。

蹂躙と暴虐。狂乱と享楽。

三人がかりで襲われて泣き叫ぶ少女の声は俺には聞こえない。

「鱗に関わった人間は、最後にはここに送られる」

あり得ない方向に腕が曲がった男が、床に転がり動かなくなっていた。

股から血を流した女の首がねじれて、赤いあぶくを吹いている。

床に転がっているのが赤ん坊の頭だと思いたくない。

「ただ滝に落とすなんて、あり得ないだろう。ここですっかりしゃぶられてから捨てられるのさ」

教団の信者の歪んだ笑み。これは捕食行動ですらない。ただ楽しむだけに壊して痛めつけ、快感を吸い上げるだけ吸ったら、残った抜け殻はゴミ扱い。知能がある故に生じる原始的な破壊衝動だ。

床に横たわり天井を見上げる胡乱な女と目が合った。女の腕は折れているようで赤黒く変色している。

俺はあの女を治療すべきなのだろうか。

俺は〈四枚〉を治療した。

治療を……

「お前をここに連れてきたのは、俺のエゴだ。先に戻る」

ただ目の前を見ることしかできない俺を置いて、キリコはさっさと消えてしまった。

冷えた空気に透きとおる星。

吐く息は白い。

手を開いては閉じる。

傷だらけの指を一本ずつ折ってみる。

メスが鱗に当たった瞬間の感触。

〈四枚〉のまなざし。

「逃げろって言ったのに、まだいるのか」

後ろにキリコが立っている。

「よく来られたな」

「手すりにわざわざ足跡がついてりゃ、呼ばれてるって思うさ」

正直上がるのに屋根をぶち抜かないか冷汗かいたってさ。ざまあ。

あいつが側に寄る前に、俺は立ち上がる。

「お前が山に行くのなら、俺は滝に行く」

「……何考えてる」

「お前が教えないから、俺も教えない」

「教えたら教えたで、全部ぶち壊しにかかるだろうがよ、お前は」

その通り。秋の夜の澄んだ空気を吸う。

「俺は俺の道を行く。見たいものを見て、知りたいものを知る。今のままじゃ経過観察しかできないからな。俺の性に合わねえ」

ちッとキリコは舌打ちした。

「社の奥に連れていくんじゃなかった。生意気な鼻っ柱折ってやろうと思ったら、逆にスイッチ入れてるじゃねえかよ」

「俺は想定内かと思ってたぞ」

「…あの光景は、好きじゃない」

そうだろう。だから余計にお前が腹を立てているのが分かった。どうして怒るのか考えた。こいつは義憤など起こさない。俺の視野が狭いことにイラついてるんだ。つまりそれは客観的に見て、俺に今足りないものってことだ。

「俺は見つけるぞ。鱗を根絶する方法を。今日みたいな対処療法ではなく、二度と起こさないレベルでの治療方法を」

ますます機嫌が悪くなるキリコ。珍しく顔に出してる。

「てめえを起こしちまった数時間前の自分を殺したい」

そいつは無理だ。もう遅い。とんとんと屋根を伝って、キリコの目の前へ。

「進行した病は治すのが難しい。ただ何故そうなったか明らかにすることで、治療への道が開けることは間違いなくある。まだまだお前さんが俺に伝えていない情報もあるだろうが、別段それに頼る必要はない。自分で見つけるよ」

「その結果、何が起こってもか」

「おっかねえ顔するなよ」

ぱっと手のひらを開いて見せる。

「結局俺はこの手の分しか治療できない。何があってもそれは増えない。だから問題は手のひらに収まるサイズにしたいのさ」

「理想主義め。事態の大きさも把握してないくせに」

「お前さんこそ、どうして自分の尺度が正しいと言い切れる。そもそもお前さんはストイックすぎる。依頼人の希望を叶えるためなら何だってやるんだから、俺といい勝負だよ」

なあ、とキリコの顔を覗き込む。はためく俺の着物は夜空の色。

「それにしても、教団の連中も見る目がねえなあ。お前さんが〈白の君〉とは笑わせる」

黒い皮の眼帯をなぞる。

「ここが黒いから、周りが引き立って見えるだけで」

おかしくてたまらねえ。キリコは目を見開いて動かない。どうした。金縛りか?

「ははっ、ガワばっかり見て、白いって思い込んでる」

すっかり冷たくなった両手でキリコの固い頬を包む。

「中身は真っ黒!」

大笑いを始めた俺を、キリコは力任せに抱きしめた。

「いてえ、いてえ」と言いながら俺もサバ折りの姿勢に。

ああ、心臓の音が早い。

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