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もうもうと白い煙が上がる。 

それらは強力なダクトへ吸い込まれまいと、脂の焦げる匂いとともに店中に広がっていく。 

据えられたロースターから発せられる高温に自分の頬も焼けるようだ。 

「おい、焼きすぎてる」 

目の前をトングが横切る。 

「あっ、てめ、それは俺が育ててたんだぞ」 

俺が細心の注意を払って焼き加減を見極めている最中のカルビが、対面の胸糞悪い腹黒陰険眼帯野郎の皿に収まるのを黙って見ているわけにはいかない。 

「やめなさい。トングでチャンバラする気はない」 

とか言いながら肉をたれに付けるキリコ。あ、食べた。 

うぎぎと唸る俺を無視して焼肉泥棒はカルビを頬張った口をビールで潤した。 

「めんどくさいよねえ。牛の脂肪を消化するのが苦手なくせに、焼き肉を食いたがるとか」 

そうなのだ。俺は腸が弱い。牛のこってりした脂肪をたくさん摂取すると、たちまちに腹を壊すのだ。よーく焼いて牛肉の脂を落とせば大丈夫だと経験上わかっているが、たまにそれでも当たるので、タンパク質は鶏、魚介類などから摂るように心掛けていた。だけどオペをするにはスタミナがいる。気力がいる。一種の擦り込みに近いのだろうが、牛肉を食べると精神的にやる気が満ちる気がする。それらを補うために焼肉は最適なのだ。なにしろ自分で焼き加減が決められる。 

そんな俺が丹精込めて育てた肉の価値など知らぬ腹黒陰険焼肉泥棒は、慣れた手つきでトングを使い、次の肉を網の上に載せた。じゅうと小さく音を立てる赤身。 

テーブルには赤身の他に、希少部位が少しずつ乗せられた盛り合わせ、それから海鮮。俺よりは肉を食えるものの、結局キリコも肉より魚を好むのだ。この年齢になると良い脂は少しでいいんだなんて都合のいい時だけおっさんのふりをする。 

「それにしても混んでるな。外に並んでる客までいるじゃないか」 

会計レジをちらりと見やれば、行列待ちの客の姿があった。店の構えからして繁華街の裏通りによくあるタイプの店だと思ったのだが、よく見れば芸能人のサインと思しき色紙が脂と煤にまみれたものから新しいものまで壁にズラリと並んでいる。どうもそこそこの有名店らしい。相変わらずキリコの選ぶ店は外れがない。初めてこの街に来たくせに、うまいものに関して妙に勘が働くあいつが憎たらしい。

大体今日焼き肉屋に人が来る理由なんてわかりきってるだろうに、わざわざ知らないふりをしているのだろうか。 

「今日はどこもかしこも焼き肉屋が安いだろ。こんなときに食わんでどうする」 

「どうして今日なんだ?」 

意味が通じてない事に違和感を持ち、焼き網から視線を上げる。嫌味なんか全くない純粋な疑問を持ったキリコの視線とぶつかったまま、肉の焼ける音だけがじゅうじゅうと聞こえる。 

「なにかの特売日だったりするのか?おい、笑うな。ちゃんと教えろ」 

「待てって、ひひ、そうか。そうだよなあ」 

笑いを抑えるためにビールを飲んだけど、変な優越感が止まらない。日本で暮らす歴はそれなりに長いものの、外国から来たこいつが今日が何の日か知らなくて当然だ。ひとしきり笑って、さっきの焼肉泥棒の件は水に流してやることにした。 

ツボにはまった俺を相手にするのは無意味と悟ったのか、キリコは口をへの字にして肉をひっくり返している。 

「で、どうして今日に限って焼き肉屋が安いんだ」 

「いい肉の日だから」 

「なんだそのふざけた記念日は。由来でもあるのか」 

「語呂合わせだよ。今日が何月何日か言ってみな」 

「11月29日」 

「だから、いい肉なのさ」 

全然わからんとキリコはいよいよ眉間に皺を寄せた。俺は笑いが止まらない。知識マウントって気持ちいいなあ。だけどヤサシイ俺はきちんと解説してやることにした。 

「数字を日本語にして読むだけだぜ。1,1で『いい』2,9で『にく』ってわけ」 

これ以上ないくらい簡潔で分かりやすい解説をしてやったにも拘わらず、キリコはしばらく数字の読み方をぶつぶつ唱えて、なかなか納得しなかった。 

「1が釈然としない。読み方なら『イチ』もしくは『イッ』だろ。『イ』じゃない」 

「『釈然としない』とか使いこなす外国人に言われるとなあ。小さい『ッ』が抜けただけだろ。目くじら立てんなよ」 

やっといい焼き加減になった赤身をたれにつける。 

「ネイティブの見解なら納得しなくてはならないのだろうな。だまされた気分は抜けないけど」 

キリコが焼いていた黒毛和牛のサーロインをひっくり返すと炎が一瞬立ち上った。 

「そうそう。郷に入っては郷に従えってやつだぜ」 

ぐびぐびとのど越しのいいビールを飲む。 

「11月は記念日がたくさんありそうだ」 

焼きあがったサーロインに岩塩をがりがりふりかけながら、キリコは眉を下げた。 

俺は赤身を口に入れて瞬きひとつ。この店、たれが抜群にうまい。あれかな、店の床板の下に壺が埋めてあって、そこに代々の店主が継ぎ足し継ぎ足し作ってきた秘伝のたれ。ここじゃないが実際に秘伝のたれの話は聞いたことがある。長いことやっていたホルモン屋を閉店するって時に、常連がたれを求めてビンだのタッパーだの持って集まってきたって話。その店じゃないと食べられない味があるからなあ。 

「いいたれの日…た、れ…難しいな」 

「驚いた。記念日は自分で作れるのか」 

「日本人ならおちゃのこさいさいよ。まあ実際かなり無理あるけどな。11月1日はワンワンワンで『犬の日』、11月9日は良い空気で『換気の日』」 

「英語も取り込むのか。そこまでの熱意が11月にはあると」 

「『いい』を使いたいだけなんじゃねえかと思うぜ。11月23日の『いい兄さんの日』なんてどんな日なのか想像もつかん。よくない兄さんはどうすればいいんだか」 

「全くだ」 

軽く肩をすくめてキリコは新しい肉を焼き始めた。その様子をじっとりと見つめてしまう。こいつは一応『兄さん』なのだ。本当に、どうしようもなくて、ねじくれて、ひねくれて、修正不可能なほど『よくない兄さん』を持ったユリさんは可哀そうだとしか言い様がない……おっと、俺も人の事言えん立場か。彼女がそうなら、俺の異母妹だからな。 

スーツもコートも焼肉の匂いをしっかりとつけて、ほろよい気分で店を出る。 

「うまかった。久しぶりに牛肉をたくさん食った気がする」 

「おなか、大丈夫?」 

ぽんぽんと腹を叩いてご機嫌伺い。 

「うん。問題ないぞ。セーフってラインで食えたから」 

「そう。じゃあもう一軒…もいいんだけど」 

看板の陰で、するりと俺の腰に腕が回る。 

「なんだかね、おなかと相談しながら焼肉食べてるお前がおもしろくて。まだ帰したくないな」 

キリコが小さく笑いながら俺の耳元で話すから、ぴくりと肩が動いてしまう。ああ、もうこれ絶対顔赤いやつ… 

ホテルは絶対に嫌だと主張した。 

すんなり受け入れられて、俺はキリコの家のバスルームにいる。 

焼肉臭い髪も体もスッキリ洗って…もちろんアッチも。 

そうだよな。そう思ってていいんだよな。このまま酒飲んで寝るだけだったら刺そう。あいつそういうところあるからな。むずむずしながらキリコが準備してくれた部屋着に袖を通した。 

バスルームを出ると、手に俺のスーツとハンガーを持ったキリコとすれ違う。 

「湯気が焼肉の匂いをとってくれるんだ。明日はスーツをきちんと着て帰れるといいな」 

明日って言ったな!言ったな! 

先に湯を使ったキリコは、風呂上がりの俺の髪をドライヤーで乾かし始めた。 

「お前の髪をブローするのにハマりそうだよ」 

「また、ひよことか訳わかんねえこと言うんだろ」 

お前が有罪なの俺は忘れてない。それを覚えているのかどうかは知らないけれど、くつくつと笑いながらキリコはご機嫌で襟足を梳く。ドライヤーの温風が止むと、やっぱりキリコは俺の頭をぽふぽふと撫でて俯いたまま肩を震わせていた。今度から金取ろうかな。 

国産のシングルモルトを舐めていい気分になってきたとき、隣に座るキリコがぽつりと「いい肉の日」と独り言のように口にした。

「『いい肉の日』が、そんなに気になるのか」 

「変わった風習だ。所謂商業戦略なんだろうけど、ここまで親しみやすくて汎用価値のある記念日を初めて知ったよ」 

「日本語をここまで流暢に使うお前さんが知らなかったことが驚きすぎる」 

四文字熟語を使い倒すから、つい外国人って忘れるんだよな。つか「汎用価値」ってなんだ。そのまま聞くと、キリコは黙ってグラスを置き、俺の方へ体を向けた。急に改まって何事かと構えてしまったが、そんなことはお構いなしに奴は俺の腕を軽く掴んだ。 

「これも、肉でしょ」 

ふにふにと二の腕の筋肉を揉まれる。 

「…食うなよ」 

「どうしようかな」 

そのまま手の甲に口づけられて、一気に心拍が上がる。銀のまつ毛を伏せたまま、キリコは俺の指をやさしく噛んだ。ぞくりと指から痺れるような刺激が走って、思わずソファの上で後ずさりしてしまう。

そんなことをしてもキリコが逃がしてくれるはずもなく、ゆっくり俺との距離を詰めるから、期待と戸惑いが一気にせりあがってくる。このまま流されるほうが絶対に正解なんだけど、どうしても意地っ張りな俺は素直に応えられなくて、顔の近くまで迫ったキリコの腕をぎゅっと掴んでしまう。 

「お前さんの肉は固くて食えたものじゃなさそうだな」 

愛想の欠片もない言葉が口を突いて出る。そうじゃない、そうじゃないんだってば。 

でも俺のこんな反応も想定済みとでも言わんばかりの様子でキリコは口元を緩める。 

「じゃあ、食べてみる?」 

こんなことを言うから俺はいつまでたっても進歩しないんだ。結局何もできなくなって、あいつの適応力に任せてしまう。 

キリコは俺の首筋にそっとくちびるをあてる。石鹸の匂いと一緒にキリコの肌のにおいが鼻をくすぐって、俺の心臓はいよいようるさくなっていく。もう何度も肌を重ねているのに、その気になったキリコはレアだから、期待が現実になるのが怖いような嬉しいような感覚になってしまうんだ。 

「まだ緊張するんだ」 

「うるせえ、慣れるか。こんなこと」 

「新鮮な気持ちでいてくれるってことかな。悪いことじゃない」 

くちびるがふれそうな距離で囁かれて気が付いた。 

俺、たれににんにく入れてた。 

「ちょ、ちょっと待て。歯を磨いてくるから!」 

「今更。大丈夫、俺も一緒だよ」 

うそだ。だってにんにくの臭いなんかしないもの。キリコの腕の下で暴れ出した俺に、観念しろとでも言わんばかりに半ば無理矢理くちびるを重ねられた。さっきまでの期待は粉々になって、自分の臭いが気になる恥ずかしさが脳を覆う。ソファに押し倒され、あいつの体重を感じても、羞恥心は消えない。舌が俺のくちびるをこじ開けようとするのを拒んでいたけど、するりと脇腹を撫でられた感触に油断した瞬間、ぬるりと熱い舌が滑り込んできた。強く舌を吸い上げられて、くちゅくちゅと唾液がかき混ぜられる音がする。せめてもと息を止めたが、長い長いキスはそれすら許してくれない。 

「口臭なんか気にしてどうするの。そんなに嫌なら、やめた方が良いか?」 

「……いやだ」 

性欲の薄いこいつが、こんなに求めてくれるの滅多にないんだから。 

脚に質量のある感触がして、そっちの方を見るとキリコの低い声がつむじを撫でた。 

「固い肉だけど、食べてくれる?」 

かああっと頬が熱くなる。耳まで赤いだろう。小さく縮こまったまま、俺は頷いた。 

月明かりがほのかに差し込むベッドルームまで移動して、今更もいいところなのにどうすればいいか固まってしまう俺を、キリコは後ろから捕まえた。そのままあいつのくちびるは耳の軟骨を食む。ぴりっとした刺激が走り、下半身に重たい熱がたまりだしたのを感じてしまう。それを全て見透かすようにキリコの手は俺の肌を探り、するすると部屋着が床に落ちて散らかっていく。これから起こることに期待を隠せなくて、抵抗すらできずにベッドの上に横たわった。

「お前の身体は脂肪と筋肉の均整がよくとれているね。しなやかで、健康的だ」 

ツギハギだらけの俺の皮膚にいくつもキスをしながらキリコは呟く。脂肪がどうとかってのは変な気分になるけど、健康的と言われるのは悪くない。 

「荒事になることも多いからな。体力は付けてるつもりだぜ」 

血の気が多すぎるのも問題だとぼやいてキリコは自分の衣服も脱いだ。流れるように俺の上に覆いかぶさってくるけれど、俺は淡い光に映し出される筋肉の凹凸から目が離せない。皮下脂肪が少ないから影の色も濃く、腕や下腹部に走る血管まで浮き出してる。えぐいなと短い感想を抱き腹筋に手を当てる。少しだけやわらかいけれど、すぐに固い筋肉にぶつかった。じゃあ大胸筋はどうなのだろうと、ぺたぺたと手のひらを這わせる。 

「くすぐったいよ。触診してなにかわかった?」 

「鉄板みたいだ。どうなってんだ、おまえさんの筋肉って」 

「力を抜けば、そこまで固くないよ」 

ごろりとキリコは俺の横に寝そべる。この状態で大胸筋を触ってみろと言うので、さっきと同じように触ってみた。ぷにぷにしてて、弾力がある。 

「腕も同じさ」 

投げ出された腕を揉んでみると、なるほど餅のようにやわらかいとは行かなくても、それなりに柔軟性がある。ふっ!とキリコが力を入れるとたちまち上腕二頭筋は鋼のように固くなる。それがおもしろくて何度も筋肉の弛緩と収縮をせがんだ。 

「楽しんでもらえてなによりだ。それじゃあ、俺もお前の肉を味わおうかね」 

「うん。お前さんほどじゃないけど、俺にもそれなりに筋肉はついてると思う」 

だけどキリコが触ったのは、力を込めた俺の二の腕じゃなくて、もっと下の方だった。 

「中の筋肉が気に入ってる」 

俺の腹を撫でると、キリコは本格的に俺を食おうとし始めた。 

吐息がだんだんと荒くなる。部屋の中がにんにく臭くなったらどうしようとか思ったけど、そんな余裕はあっという間になくなって、キリコの指に翻弄されるがまま。勃ち上がった肉を何度も擦られて、今夜初めての快楽を解き放たれる。一度達した方が俺の身体が楽なのをキリコは知ってる。 

ぐったりとうつぶせになった俺の尻に、キリコは手のひらであたためたジェルを塗る。こういう細かいところが、この男の数少ない美点なのだとふわふわした頭で思う。 

「はあ…あ」 

「力抜くの上手になったね」 

「ん……」 

つぷつぷ浅い所を抜き差しされて、ため息が漏れる。やがて指は遠慮なしに俺の中に入り込み、あいつしか触れない前立腺を刺激しだした。 

「おしり上げて」 

「んう…」 

もぞもぞと尻を上げると、もっと高くと要求される。猫が伸びをするような高さまで腰を高くすれば、自分がどんな格好をしているのか遅まきながら恥ずかしくなった。体を捩ろうとすると、キリコの長い指が前立腺を挟み込むように動いて。 

「あ、あ、…ん、や……」 

「今夜は声を抑えなくていいからね」 

激しくなる指。 

「ん゛…う…」 

「いいって言ってるのに」 

くすくす笑いながら、キリコは俺を責める手を弱めない。ペニスを握られて抗う術はなかった。シーツを蹴って足がピンっと張る。 

「ひあ、あーーー」 

こぼれる精液をキリコの大きな手が受け止めてくれる。目の前がくらくら。 

「ふふ、おしり揺れてるよ。そんなに欲しいのかな」 

「だまれ…えろおやじ、さっさとしろ…」 

「そうするよ」 

肉の棒とは形容できないほど重量感のある塊が、俺の中をこじ開けようとしている。できるだけ力を抜かないと痛くなっちゃうから、できるだけ、できるだけと意識している間に、みちみちと広げられていく感触が身体に広がっていく。 

はっ、はっ、はっ、犬のように息を吐く。ううん、違う。もっと深呼吸しないと。 

「もうちょっと我慢して…ん、いいよ」 

ぶわりと吹き出した汗が額から滴る。とんでもない圧迫感がおさまるまで、ふうふうやってやり過ごすしかない。動けない俺の肩甲骨の真ん中あたりを押して、キリコは俺の上半身をマットレスに押し付ける姿勢をとらせた。尻は高く上げたまま、どすんと突き上げられて目の前に星が散った。 

「あ、ああ゛、う!」 

ばちんばちんと肌のぶつかる音、脳を揺さぶる振動。まだ奥には届き切らないというのに快感が湧き上がってくる。 

「いいね。本当にお前の肉はいいよ。特に最近は俺のに馴染んできてるし」 

バックのまま腰を打ち付けるキリコの声は低くて、だけど少し興奮しているのが隠しきれてなくて、声だけで達してしまいそう。実際お前の長物に馴染んでいるのは俺も感じてるし、これじゃないとダメだなんて思ってしまいつつある。これ、まずいかも…絶対こいつに悟られないようにしなくちゃ。なのにこんなタイミングであいつは俺の顔が見たいなんて抜かして、正面から突き刺してくる。せめてと固く目を閉じて歯を食いしばったけれど、無駄な抵抗だとわかるのに時間はかからなかった。 

「ゔあっ!奥だめだっ!やめろ!ああ…っ」 

「やだよ、奥が一番うまいのに食わないなんてもったいない」 

「ン、やっ、あ゛アッ、だめ!だめだってば!」 

「駄目じゃないでしょ」 

ぐいとキスをされた瞬間に奥の襞が貫かれて悲鳴を上げた。つまさきまでバリバリと弾ける衝撃。重くて熱いそれをねじこむんだから、堪ったもんじゃない。背筋が弓なりに反り、四肢が強張る。 

「根元までくわえ込まれるんだもんな。きつくて熱くてたまらないよ…はは、まだまだこの感じには慣れないね…」 

何笑ってんだ、ばかやろう。とっとと済ませろ。文句を言いたいのに、俺の口は酸素を吸うのに必死で、言葉なんか出す余裕がない。 

「早くしろって?わかったよ…じゃあ、いただきます」 

やたら優しい声で耳をくすぐられる。ゆっくりとした動きに、ナカがきゅうっと…え、なんだこの感情。甘いような酸っぱいような、苦しいような、もやもやとした感覚のテクスチャが広がった。それを引き裂くようにキリコの激しい突き上げが始まる。 

「余裕がありそうだね。遠慮しなくていいかな」 

遠慮してくれ。 

「イキそう?ナカびくびくしてきたよ」 

ほっとけ。 

ぼんやりした頭では散々罵倒の言葉を並べている。だけど口から洩れるのは意味のない千切れた声だけ。頑なな心と簡単な体が反発し合って、抑え込むのが苦しい。ここでどうすれば楽になれるのか俺は知ってる。だけどできない。できてたら苦労してない。めんどくさい性格に自分でも嫌になる。そんなときに助け舟を出してくれるのも、やっぱりこいつで。 

「気持ちいいね」 

俺の後頭部を撫でながら、何度もキリコは囁く。やっとのことで頷くと、熱いキスがもらえる。キスに夢中になりながら体の真ん中に突き立てられた肉を感じて、そのまま俺はやっと達することができた。 

一回達したくらいじゃキリコは終わってくれない。そもそもあいつが満足してないのに俺が白旗を上げるわけにはいかないのだ。胡坐をかいたキリコの上で首筋につかまりながら跳ねれば、汗が飛び散って、俺のとあいつのと混ざっていく。 

まただ。ナカが甘くて苦しい。どうしてこんな気分になるのだろう。牛肉を食べすぎたせいだろうか。腹が痛いわけでも、吐き気がするわけでもない。 

指を絡めて、熱い肉を感じて、汗を交わらせて。 

だんだんと快感を拾う速度が上がっていく。このままいけば、あの訳の分からなくなるほどの悦楽の渦に叩き込まれるだろう。何も考えられなくて、何も考えなくていい、注ぎこまれる圧倒的な快楽、悦楽、法悦…どの言葉も適当じゃないくらい。 

朦朧とし始めた俺の汗をぬぐい、キリコは重たいため息混じりの言葉を零す。 

「この感じがいい。お前の中の肉が小刻みに痙攣してて、それでも流されないように抵抗してるんだ。強く締め付けて来るくせに」 

えぐるような角度で腰を打ち付けてくる。 

「それが、限界を超えると、とろとろになるのさ。知らないだろう?」 

妙にうれしそうなのが気になって、固く瞑ったまぶたを上げた。ぼんやりかすんだ視界の中に、ひとつだけの光が俺を射抜く。捕食者のそれ。 

「とけて、どろどろになって、なのに俺に食らいついて離さない」 

頭の中が白く瞬く。限界が近い。甘いとか苦しいとかどうでもいい。キリコが何を言っているのかさえ聞こえなくなりそう。銀の帳が激しく揺れて、乱れたくちびるを奪われる。歯がガチガチと当たり、口内を蹂躙されて、息ができない。もう、だめだ。 

「俺は食われるだけさ」 

「ゔあ、ああっ!あっ!いやだっ、いやっ!」

「いやじゃないでしょ。前に教えた」 

「そこ、つく、の、やめろッ!すぐイくからぁ…」 

「いいよ。いっぱい気持ちよくなろうね」 

「やだっ、やらっ、あ、あ゛――――っ、イクイクイクっ!あ゛、あ゛、ああ゛ッ、やめっ…!イってる、からあああッ!…お゛、あ゛っ」 

「……はあ、ほんと、効く。声も悪くないのに、だめだ嫌だ以外も聞きたいね」

「お、く、つぶれる…ゔ、ずんずんし、にゃ…ん゛ん゛、すんにゃ…っ」 

「言い直して変わらないんだから、素直に鳴いてればいいよ。ほら、お気に入りの裏側突いてあげる」 

「へ、あ゛…ッ~~~~~~~!と、まんにゃ、い!イくの、イく、」 

「ずっと止まらなくていいよ。ほら、何て言うの?」 

「ふ、ゔ、…ッきもち、ぃ…あ゛あ」 

「そうそう、上手。気持ちいいね。俺も気持ちいいよ。もっと悦くなろうな」 

「も゛、むり、むり…ッあ゛、いいっ!イ、きもちい!いい…ッ、くぅ、きもちいいのずっといい、やら、おくっ、ぁ、らめ、はげしく、しにゃ、あ゛、あ゛――」

「それは聞けない。奥がいい、だろ?BJ」

「かはっ…はぐ、はまっ、てう!や゛…ぁ……おく、まで、…ひぐっ、あゔう…いっぱいに、にゃ、って………」

「は…奥、あっつ…」

「はゔっ!に゛ゃあ゛っ!も、とまって!とまって、くれよ、おっ!ああっ、あーーーーっ!らめ、ぜんぶ、きもちい、ぃ、ぜん、ぶ、うゔっ!やめ…あ゛…ッ、やっ、おっきいの、やらっ!ぁあ゛あ゛」

「うそつきでよくばりはいけないな。上手に食べられるようになったんだから、最後まで平らげなさい、ね?」

目覚めが酷い自己嫌悪だという経験は、こいつと出会ってから増えた気がする。 

隣に視線だけを動かせば、規則正しく上下する胸板。 

こいつは寝覚めがとんでもなくいい癖に、一緒に寝てるときだけは俺の目が覚めるまでベッドにいる。キリコ曰く「一生の不覚を取り戻したい」からだそうだが、わからん。 

ぴくりとまぶたが震えたので、あわてて背中を向けて目を閉じる。失敗した。寝たふりだけでいいのに動いてしまった。何やってんだ俺。案の定キリコの体が背中に当たる。

「…声、出る?」 

とんちんかんな問いかけが、朝の第一声とはどういうことだ。まずは挨拶からだろうが。おはようございますも言えんのか。文句を言おうとして、のどが「かひゅ」と音を立てた。言葉が出ない?何度喋ろうとしても、俺の口からは小学生のヘタクソなリコーダーみたいな音が切れ切れに漏れるだけ。かぱかぱと口を開け閉めする俺の背筋にキリコの長いため息を感じた。

「前に我慢させすぎたから、昨晩は思いっきり声を出してもらおうと思ったんだけど…やりすぎたね…」 

一気に脳に蘇る痴態の数々。自分が口走った嬌声の数々。顔が熱いやら冷汗が出るやら忙しい。喚き散らかしたいのに、やっぱり俺ののどはカスカスと枯れた音しか発さない。 

「セーフワード、決めようか…」 

嫌だ嫌だ。なんでお前がへこんでるんだ。ただでさえやる気出すこと少ないのに、さらに減らす気かよ。俺は頑丈なんだ。声くらいすぐに出るようになるから、変な気回すな!そう言いたくてもできないので、がばりと起き上がって、キリコの上に乗っかって筋張った体をぎゅうぎゅう抱きしめた。それでもキリコはため息をついてる。 

結局キリコの反省会は、俺があいつの作ってくれたはちみつドリンクを飲んで回復したのどで「ばか!」と一喝するまで続いたのだった。 

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