ちょこちょこチョコレート

キリコは歓楽街の喧騒の中を、ただ歩く。

暗闇をすりぬける幽霊のように、海原を往く大きな魚のように、あいつは進む。

追いつけなくて、俺は立ち止まってしまう。そこへぶつかって来た酔っぱらいを威嚇しているうちに、あいつは希薄な影を残して、夜の街の路地を曲がっていってしまった。

「じゃあ上司と部下のふりをして」

「無理がありすぎるわ、馬鹿」

見るからに怪しいツギハギと眼帯を泊めてくれる宿なんてなかろうと思っていたが、案外すんなりホテルの部屋が取れた。二人ともスーツだったから良かったのかな。

そんなことを思いながらエレベーターに乗る。キリコは壁にもたれて上に向かう矢印のLEDを見つめてる。これから何が起こるかなんて、わかりきってる。だけど俺の心臓はやっぱりうるさくて。

最低限の広さが約束されたツインルーム。キリコは無言でジャケットを脱いでハンガーにかけていく。

初めての時もこんなホテルだった。豪華でも貧相でもない普通のホテル。あの時と今はどれくらい違うのだろう。

タイをほどきながら前髪をかき上げる様子をぼおっと見ていたら、呆れたように空のハンガーを渡された。そうか。俺もコートをかけておかないとしわになるもんな。

ここんところキリコの家ばかりでコトに及んでるから、ホテルだと何だか勝手が違うというか。それってまずくないか?

コートとジャケットを手にして止まっている俺を、キリコは背中から長い腕で閉じ込めた。

「ケンカしに来たんじゃないの」

ああ、そうだっけ。そんな気もする。腹が立ってたのは本当だし。でもどうしてだろう。やっぱ調子出ないな。

「酔っぱらってきたかな。結構飲んだし」

「俺の方が飲んでるよ。お前が来る1時間前くらいから店にいたからね」

時間の問題じゃないと思うんだが。チョコレートの甘さを消すために、結構なピッチで飲んだ自覚はあるんだ。ふわふわしてきた気もするし。キリコが熱い湯をバスタブにはってくれたので、少しは酔いが醒めるだろうと風呂に入ることにした。

ここのホテル、バスローブだ…イヤだなあ…俺、浴衣がいい…

むすっとしつつ湯気を立てて浴室から出てきた俺の顔に何を読み取ったのか、キリコは乾いた笑い声をこぼして入れ違いに浴室へ消えた。

だめだ。本格的に酔ってきた。酔い覚ましにと冷蔵庫から取り出したのがビールだったことに気がつかず、盛大に吹き出しかけて慌てて飲み込んだ。

間違えて手にしたものだったけど、そのまま捨ておくのももったいない。缶を手にしたままベッドに腰掛けた。

風呂上がりの体にビールのひんやりとした温度が気持ちいい。窓の外にはネオンの明かりが光って、雨でも降っているのかゆらゆら揺れる。それが変におもしろくて、よせばいいのにビールをくぴくぴ飲んだ。

缶を取り上げられて振り向けば、濡髪のキリコが眉をハの字にしている。

「まだ飲み足りなかったとはね。コンビニで買い出ししてから来れば良かったか?」

その手からビールの缶を奪い取って、中身を一気飲み。

「嫌なこった。コンビニの営業妨害したくねえし。お前さんと俺がレジに並んでるの、相当ウケるぞ」

キリコは想像したのか「そうかも…」と呻き、タオルでごしごしと髪を拭いた。

「髪はきちんと乾かせよ。まだ気温が低いから風邪をひく」

「主治医様のおっしゃる通りに」

誰が主治医だと喚きかけて、ここがホテルなのを思い出した。代わりに空になったビールの缶を投げつけたが、キリコは再び浴室へ向かっていて、ドライヤーの音だけが部屋に満ちた。

ドライヤーなんて俺の生活には縁のない家電だ。キリコは髪が長いから、よく使うんだろう。髪の生乾きの臭いと言ったら、とんでもないからな。俺の襟足も長い方だから、本当はもう少し気を使った方がいいんだろうけど、面倒くささが先に立つ。

「BJ、こっち来て。お前の髪も乾かそう。さっき見たけど、バスローブの襟、かなり濡れてたぞ」

渡りに船とはこういうことかしら。好奇心に任せ、俺は千鳥足で浴室へ向かった。

キリコはそれは手慣れた様子で俺の髪にドライヤーを当てる。あいつの指が髪を梳く感触に、以前逆の立場だったこともあったななんて。

ドライヤーが止まり、あたたかい風も止む。終わったのかとキリコの顔を見れば、何とも言えないニヨニヨした顔をしている。なんだそんなツラ。初めて見るぞ。気色悪い!ぽふぽふと俺の頭に手を当てながら、キリコは笑いを堪えてる。

「どうしたってんだ、気持ち悪いな」

「…ひよこ」

「はあ?」

「いやあ…まさかブローしたら、お前の髪がぽわぽわになるなんて予想できないな。だから俺は無罪。ぽわぽわのお前がひよこみたいに見えるのも、予想の範囲外。これも無罪」

自分で弁護して自分で判決出して、何かのごっこ遊びでもしてんのか。しかもなんだ『ぽわぽわ』って……触って分かった。俺の髪、ふくらんでる。今までドライヤーなんか使ったことなかったから知らなかったが、俺の髪はきちんと乾かすと柔らかくなるらしい。

戻らなくなったらどうしようって心配したけど、髪が冷えると元通りになった。そりゃそうだよな。でもずっと笑ってたお前は有罪。ギルティ。

ふくれっ面を作った俺にキリコは口元を歪めて言う。

「ひよこを見てたら、さっき腹立ててた事とかどうでもよくなったけど、これだけは覚えておけ。あの店は本気で俺の唯一に近い馴染みなんだ。もうあそこへ通えなくなるような不始末は起こしたくない。今夜のキスはかなり焦った。またあんな真似するようなら、俺にも考えがあるからな」

俺が好き好んで店の中でキスしたように言うな。半分はお前のせいだろ。

むかむかしたらチョコレートの存在を思い出した。コートのポケットに突っ込んであったチョコレートの箱をベッドの枕元に置く。

「まだこれ食うの?」

もうげんなりといった具合のキリコ。いい顔だ。もっと困った顔見せろ。

「まだ『お返し』をもらってないから、もっと欲しいのかと思った」

「さっきのひよこの雰囲気の方が面白くなりそうだったのに…一気に殺伐としちゃったよ」

萎えるな、馬鹿。

「じゃあ面白そうなチョコの食い方考えればいいんじゃねーの」

うーん。我ながら頭(アッタマ)悪い発言。どんな食い方だよ。だけど内心うろたえまくりの俺を無視して、キリコは何かを思い出したようだった。

「えーと、縁一」

「鬼〇か?」

「違う。オマツリ。えーと」

「またかよ。い〇しこ〇し」

「なにそれ。後で教えて。ああ!バナナ!」

さっぱりキリコの思考が読めない俺の前で、ぶんぶんと手を振って、とある日本の食べ物がとても面白いと奴は語った。それは縁日の屋台などで見かける『チョコバナナ』だった。

「バナナを箸に刺してる地点で面白いけれど、それにチョコレートをコーティングしてるのが信じられない。しかも上からかける感じで。もう十分卑猥じゃない?」

「そんな食い物、多分世界中にあるぞ。イギリスの変なワッフルみたいに」

「いいや。日本人の発想は斜め上だな。俺はいつも新しい発見に驚かされる」

クソ真面目に持論を展開する酔ったおっさんの言葉をどこまで信じてやれるかは保証がないけど、とりあえずキリコの次の言葉を待った。

「コ〇ラのマーチ!」

「はああ?」

「知らないのか。チョコバナナスティックの先端、場所は、ちょっと失礼」

「ぎゃあ!バスローブめくるな!」

「どうして履いてないんだ」

「俺は浴衣派なんだ!」

ちょっと何言ってるかわかんないとかぼやきながら、キリコは俺の息子スティックを遠慮もなしに裏返した。俺はもう大恐慌。カリ首の下あたりを親指で押さえ、酔っぱらいおやじは解説を始める。

「ここ!ここだよ、BJ!チョコバナナのここにコア〇のマーチがくっついているんだぜ。悪魔的発想!縁日に遊びに来てチョコバナナのコ〇ラのマーチをかじるパートナーを、どんな気持ちで見るわけ?最初にかじって欲しいとか、まずはなめて欲しいとか想像するわけ?」

知るか馬鹿野郎。とにかく力説しながら刺激を与えるのはやめて欲しい。俺自身の気を逸らす意図も含めて、キリコの与太話に相槌を打つ。

「昔っからチョコとバナナはセットで卑猥な感じなんだよ。一昔前のマセガキどもは、相手の体にチョコを塗りつけてなめたって話もよくあったし、一種のテンプレなのさ」

「それ本当の話なのか?ペニスにチョコレートつけて舐めたってこと?」

「らしいぜ。雑誌の記事になってたこともある」

「味覚が破壊されそうだ」

そりゃそうだよな。排泄器官に食品をつけるわけだから、意味わかんねーよな。だから指を動かすな手を離せ。

「お前のペニスにチョコをつけるってのも、ナシだな」

萎えた様子のキリコの声とは真逆で、俺のはすっかり熱くなって立ち上がってしまっていた。泣きそう。

もうそんな気分になってるっぽい俺の様子を察したのか、キリコは部屋の明かりを落として俺の座るベッドへもぐりこんできた。

男二人が横になるにはちょっと狭いシングルベッド。ぐいと押されて、寒い温度の壁とキリコの間に挟まる。

バスローブ越しでもキリコの体温は正直うれしかった。だけど気を遣われているようで、熱を持った体が一層情けなくて、あいつに背中を向けてしまう。

それくらいで逃がしてくれる奴なら、俺の横にはいないってわけで、後ろから腰を抱えられて熱いままのペニスをしごかれた。情けなさは消えなかったけど、一度射精すれば気分も変わるかと思い、キリコの指の動きに任せることにした。

次第に快感が高まって極まりそうになっていたころ、キリコは枕を差し出した。

「イくとき、これ使って。ウチじゃないから、今夜はできるだけ声出さないで」

なんとか意図は察したものの、もう余裕がない俺は枕に噛みついて、そのままキリコの手の中に射精した。

「ん、んッ」

「そうそう。上手にできたね。お隣さんに迷惑かけたら、追い出されるから」

「はあっ、はあっ、はあっ…」

今夜初めての快感に浸ってたけど、枕を噛んでると酸素が得られなくて正直苦しい。

思い出してみれば、声を出しちゃいけない状況でセックスするのは、ほとんどなかったかもしれない。

むしろ声を出せと言われ続けて来たので、今ではストレス発散のように大声上げてセックスするのも悪くないと思うくらいになってしまっている。前は喘ぎ声ひとつ出すのも嫌だったくせになあ。

ふうふう俺の呼吸が整う頃、キリコの息がうなじにかかる。背中に感じるあいつの体温が上がっている。じわりと体の中心が震えた。

「BJ…できるか?」

聞くなよ。答えなんかわかってるくせに。

あいつの首に腕を回してキスに没頭。唾液がこぼれるのもお構いなし。頭がどんどんぼやけていく。

尻にジェルの感覚がして驚いた。自分の始末をしたら頭からすっぱり抜けていたが、普通のホテルにいつものジェルなんかあるはずがない。キリコを見上げると、実に気まずそうな顔。

「…いつも持ち歩いてるわけじゃないからな。今日は新しく買ったから鞄に入ってただけ。普段はネット通販なんだけど、売り切れてたから再入荷するまでの繫ぎにと思ってさ。初めてドン〇に行ったよ」

「ドン〇にあるんだ…」

「俺も知らなかった。だけど二度と御免だ。無性に恥ずかしかった」

レジで恥ずかしさを堪えてジェルを購入するキリコを思い浮かべると、俺までむず痒い気分になった。シュールだとか、悪夢に出そうだとかを通り越して、繫ぎでも俺と寝るのを想定してるってわかったから。会うたび盛るような関係じゃないのに。

俺が一方的に欲求不満な時はあるけど、キリコ自身は決して性欲が強い訳じゃない。それでも準備してくれたのは、俺のためだってうぬぼれてもいいのだろうか。

普段だってそうだ。通販してることなんて今の今まで俺は知らなかった。ベッドに入ってからのアレコレをこいつは切らしたことがない。少しは俺も準備したほうがいいんだろうけど、こんなことする相手は残念ながらキリコしかいないし、お互い医療に関わるから衛生観念を共有できる部分があるから任せきり。生なんて恐ろしくてできない。だからアレコレは自分の体を守るため。そして相手を守るため。

そんな思考を言葉にできない俺はキリコに抱きつくしかなかった。キリコは俺の頭を撫でながら、頑なな心と逆さまの素直すぎる体を開いていく。

ほどけてしまう体はキリコの指だけで繋がれている。いつもなら思う存分喘ぐところだけど、ひたすら耐えるしかない。いるかどうかもわからない隣の部屋の人間に声を聴かれるのが嫌なくせに、苦しいのに、恥ずかしいのに、敏感になっていく神経。

汗がにじんだ大きな手でペニスを握られ、性急な吐精感を覚える。今擦られるとまずい。さっき射精したし、俺ばかりになってしまうのは嫌だ。

腕の中からするりと抜けて、まだ柔らかいキリコの肉を頬張ると「もうしてくれるの」だって。するさ。早く欲しいもの。酔っぱらってるせいか、思考がいつもよりストレート。自分の都合しか考えられない。

俺にも悪魔的発想が閃いた。手探りで枕元のチョコレートの箱を探り、星型のホワイトチョコレートを摘んだ。やおらキリコのペニスから口を離して、あいつに見えるようにチョコを口にする。俺がどうしてチョコを食べだしたのか、全く分からない様子のキリコが面白い。口の中のチョコレートが俺の体温になり、星の角が丸くなった時、俺はまたキリコに噛みついた。

「お前…ソレはさっきナシだって言っただろ」

言ってた。でもちょっと違うだろ。アレンジだ。アレンジ。実際異物を口の中に残したまましゃぶるなんてしたことないから、これでいいのか俺自身試行錯誤ではあるけれど、口の中が甘ったるくて溶けたチョコレートでどろどろになっているのはわかる。時折チョコがあいつに当たって刺激になってるのも。小さく呻く声でわかるんだ。

「参ったな。悪くない。だけど食べ物で遊んでる気分で、すごく複雑だ」

そう言って俺の頭を撫でるキリコの声が少し上ずる。もっとしたくて、でも口の中は唾液とチョコレートでいっぱい。咥えたまま少しずつチョコレートを飲み込んだ。甘い中にキリコの味が混ざってる。

「あ、いい。今日はどうしたのさ。喉の使い方上手じゃないか」

いつもはドヘタクソみたいな言い方すんな。でもやり方わかったぞ。すっかり溶けたチョコレートといっしょにキリコの凶器を喉の奥へゆっくりと差し込む。こくこくと喉を動かすたびキリコは熱い息を漏らす。顎が外れそう。だけどあいつが感じてくれるなら。

「もういいよ。このまま出ちゃう」

おじさんは砲身冷却時間が長いんだとかなんとか言いながら、キリコは俺を引き剥がした。口の中のチョコレートをどうしたもんかと迷っていたら、キリコと視線が合った。思わずごくりと飲み干してしまう。あいつの喉も動いたように見えた。

まだホワイトチョコレートの膜がついたペニスをキレイに舐めとる選択肢もあったんだけど、それだとマセガキと一緒になってしまう気がして、備え付けのウェットティッシュを手にした。キリコはウェットティッシュを俺から奪って、雑に拭いてる。そそり立つ凶器は何度見ても凶悪。

「そんなに見つめられると、困るんだけど」

「隠せないものを隠そうとするなよ」

「違うよ。サック着けるところを見られるのが気まずいだけ」

「ふうん。そういうもんなのか」

「今日は数持ってないから、失敗できないんだよね…」

無駄口を叩きながら、キリコはサックのパッケージを開け、するすると手慣れた様子で装着する。あんなとこ摘む意味ってあるのかな。覚束ない様子なんてないのに失敗することあるのかな。

そんなことを思いながらまじまじと見つめていたら、バスローブを脱がされて、ぼすんとマットレスに沈められた。

「あのねえ、盛り上がった雰囲気を素面に戻すんじゃないよ。自分がどんな顔してるか鏡で見せてやりたいぜ。期待した目しやがって」

そんなもんわかるかと口にしかけたけれど、それは言葉にはならなかった。慌てて枕を噛む。

みちみちと入り口をこじ開けて俺の中に入ってくる熱い質量。

全身の血液が繋がっているところに集まった気がしてくらりとくる。少しずつ慣れてきている気はするんだけど、毎度この瞬間だけはキツイ。だって相手してんの化け物(ビースト)クラスなんだぜ。枕を噛んでる場合じゃなくなって、必死で酸素を吸う。なのにあいつは俺の口を大きな手のひらで覆う。

「もうちょっとだから、我慢して」

俺の口を塞ぐようにキスをして、キリコはやっと、やっと俺の中に納まった。それでも全部じゃないのが恐ろしいところ。しかもこいつはいずれは全部入れたいと思っているフシがある。殺す気かな。

落ち着くために現実逃避しているのがバレたのか、キリコは俺を深く突き刺した。

「あ……ゔッ」

もうキリコに口を塞がれたくはなかったので、自分の手の甲を押し付けた。

「小さい声なら大丈夫だよ」

キリコはそう言って俺を揺さぶるけど、自分でも加減が効かない場合があるんだ。少しだけ手を外して訊いてみる。

「ち、いさく、って…ア……ん、このくらい…?」

「ああ、そのくらいなら大丈夫。黙ったままじゃ味気ないもんね。特にお前の場合は」

なんだか悪態をつくのが前提だと言われた気がする。

「ふ、ゔ…囁き声で文句言ったって、ん…ァ……カッコつきゃしねえ…っ」

結局丁度いい音量を見つけられなくて、俺はくうくう喉を反らせる羽目になった。

もういいだろ。ここからは俺の好きにする。キリコに乗っかって自分のいいトコにあいつの長物を当てる。じわじわ脳が痺れる感覚を味わいながら、つないだ手を支えにして、筋肉質の筋張った体の上で跳ねた。

解放しきれない陶酔感は呼吸の中に隠せばいいと気付いてから、ますます感度が上がった気がする。

だからキリコにペニスを握られて、あっという間。

「んんッ、ん~~~~~~~~~ッッ」

奥歯ギリギリ言わせて声を殺せば、絶頂のしるしがキリコの腹筋に滴る。

「…っ、はあ、はあ…もっと…声、出したい……」

いつもみたいに叫んで果てられたらもっと気持ちいいはずなんだ。ダメなのは分かってるけど、顔を合わせることもないだろう隣人に気を遣うのが阿保らしい。今だけなんだから、次なんかあるかどうかわからないんだから、思いっきりやらせろよ。

「駄目。声を我慢するお前も悪くない」

「自分は違うからって…!」

睨みつけたけど、どこ吹く風だ。キリコは俺の上にのしかかる。この姿勢で俺がどんなふうになるか知っててやってる。くそ。

あいつから与えられる刺激に翻弄されながらも、欲張りなので、自分のペニスに手を伸ばしてぎょっとした。萎えてる?どうして?俺はヤってる間は基本勃起してる。最中なのにやわらかいままの自分のモノをくにくにと触っていると、キリコの声が頭の上から降ってきた。

「ははあ、アルコールの影響が出たか」

「ん、あ、アルコール…?」

「アルコールが血流を悪くするから、勃起不全が起こりやすいんだよ。どう?気持ちいいの減った?」

キリコは俺の前立腺を圧迫するように腰を使う。

「うッ…減って、ない……」

「それは良かった。続けるね」

この時のキリコの目に何の光も映っていなかったのを、俺は用心すべきだったのだ。

「あ゛…ッ、キリコ、キリコッ」

「もっと声落として。聞こえちゃうよ」

枕に顔の半分を押し付けて俺はもがく。

「出したいっ!もう、イきたい…っ」

「そうは言っても、お前の萎えちゃってるしなあ」

ぷるぷると下生えの中で揺れるペニスを感じているからこそ、無意味な要求だと分かっている。だけど、もうどうにも我慢ができなかった。充足されない快楽の渦から解放されたい。気持ちいいけど達せない。射精感は募るのに、出せないもどかしさ。

「じゃあ、後ろだけでイってみようか」

キリコを見上げると、穏やかな口調で笑顔さえ見せているのに、冷たいひとつだけのまなざしが俺を捕らえた。

それも一瞬。俺が瞠目するや否や、キリコの表情はいつもの何考えてるか分からない飄々としたものに変わった。

「なんだかんだお前、最後はペニスで達してるしね。後ろなのかどっちなのか分からない時もあるけどさ。いい機会だから試してみようよ。新境地開拓」

変な汗が俺の背中を流れていく。

「ああ、そうだ。いつだったか後ろだけでイけた事あったような?でもあれっきりないよな。ちゃんと意識してやってみようよ」

あいつは俺の腕を強く捕まえたまま、冷たいジェルを追加する。

「そりゃあ体のコンディションとかはあるだろうけど、できたら儲けものじゃないか」

退路を残すようで、絶対に逃がさないという圧を感じる。言葉より体が動いた。ベッドを抜け出そうとする俺をキリコは掴んで俯せに組み敷く。間髪入れず、あいつは俺を突き刺した。

「~~~~~~~~~~~!!!!!!!」

マットレスの中に拡散させた悲鳴。

「そうそう。しばらくそのままがいいかもね。お前の顔が見られないのは残念だけど」

ばちん、ばちんと派手な音を立てて、皮膚と皮膚がぶつかる。衝撃ががくがくと脳を揺さぶる。まだ体に残った欲求が渦を巻いて飛び出しそう。いいや、飛び出せればいい。でもできないんだ。狂いそうな恍惚状態が延々と続く。

「もう、やめろ…やめろってば…!」

「静かに。やっぱり無理そう?お前ならできそうだって思ったんだけど」

わざとらしく残念そうな声を出すのがムカつく。どんな理由でできるって思ったんだ。足をばたつかせて喚く。本当に不本意なんだが小声で。

「中途半端が、ずっと続いて、…アッ……おかしくなりそうなんだよ…っ!お前だってそうだろ?こんなの、ふゔ……もう、止めよう、ぜ……」

必死に絞り出した声さえ、あいつはさらりと流す。

「集中力足りないんじゃない?俺は割と平気。疲れたら止めるけど」

いろいろ爆発しそうだった。

俺をこんな目に遭わせておいて「割と平気」?やめろって俺が言ってるのに、お前が「疲れる」まで続ける気なのか?

一番腹が立ったのは、20時間オペする集中力を持った俺を過小評価したことだ。ふざけんな。現状の把握ぐらいできる理性はある。

βエンドルフィンのせいで、ぼんやりと曇った体の感覚を呼び覚ます。何もかもまともに動いちゃくれなかったけど、唯一激しい刺激を受けている部分だけは覚醒していた。

あいつと繋がっているところ。弾けそうになった粘膜が悲鳴を上げているところ。疼いて仕方がない奥の感覚。

そこまで認識して、バチっと火花が散った気がした。

「あ゛…っ?!」

何が起こった?

わからないままの俺を置いて、あいつの長物が俺の中を突き刺していく。入り口付近の鈍い粘膜をえぐって、太い部分まで一気に広げられて、前立腺を圧迫して。届いちゃいけない先の先まで貫こうとしている。ずっと甘い快感の電流を纏ったまま。

「はアッ…!う、あ……」

知覚した体内からピリピリした電流がどんどん巡っていく。

「あっ、あ゛っ…、ああ……っ」

意識した途端溜まり出す、焼き付くような淫楽の帯電。頭の芯が何度も何度もフラッシュする。

熱い。熱い。体の奥から何もかも熱い。

気持ちいい。気持ちいい。それしか感じられない!

射精してないのに、ばっちり極まったと気がついたのは、仰向けで乗っかられた時だった。

何度も襲ってくる恍惚の波と、波が寄せ切らない焦れた漣の中で、小さくなって震えているのを見たときは可哀そうというか悔しいというか、なんだか表現しがたい感情を覚えたけど、そんなの大したことないと再び恍惚の波が押し寄せたので考えるのをやめた。

「やっぱりお前の顔が見えた方が良いな」

俺は声を殺すので精一杯。どんな顔をしているというのだろう。眦から新しい涙が零れる。

「それに声が聞きたい」

お前が勝手にこのホテルをとったくせに、後から文句を言うのは間違ってる。

「……ばか」

キリコは汗の雫を散らして笑う。

「そうだね。大馬鹿だ。結局最後にはお前に降参する羽目になるのに」

「…おれは、ア、んんっ…降参にゃんか…ちが……、降参なんか、しな…ぁ…ぅ」

「そうそう。お前はそうでなくちゃ」

どすっと凶器が打ち付けられ、俺はまたナカだけで極まった。

正直ナメていたのだと思う。ペニスに刺激が与えられて射精して、またすぐに連続で出るなんて経験はない。絶頂にインターバルがあるんだ。だけどこれは違う。全然違う。

イきっぱなし。エクスタシーのてっぺんから下りられない。梯子を外されてる。

喚きたい。獣みたいに吠えたい。とてもまともじゃいられない。

がくがく手足を震わせる俺を抱えてキリコは遅すぎる懺悔をする。

「ごめんね。タクシー捕まえて、連れて帰ればよかった」

その通りだ馬鹿野郎。誰のせいで枕に歯型つけてると思ってんだ。

「怒っていいよ。お前が苦しそうなのはわかるけど、止めてあげられない」

怒るだけで済むもんか。もう何度達したかわからない。そのたびに息を止めないと声が出ちゃうから、酸欠が酷い。気持ちよくて苦しくて、やっぱり気持ちいい。

気持ちいい気持ちいい気持ちいい

こんなぐずぐずな状況でも俺は快楽を貪ってる。

涙が喉を塞ぐから、結構な勢いでむせてる。だから絶対隣には聞こえてる。

これ、おまえのウチでしたかった。こんなに我慢しなくてよけりゃ、もっとうまくできたはずだぜ。ああ、そんなこと思ってても波は来ちゃうんだなあ。あ、来る……

「……ん…」

満足そうなため息が聞こえて、キリコが吐精したのがわかった。

ひとでなし。

もう俺は眠くて仕方なかったんだけど、ひとつだけやり残したことがあったから、チョコレートの箱を手に取った。最後のチョコレートはハートの形。なんか文字が書いてあるけど知らん。

「半分食えよ」

チョコレートに噛り付いたまま、キリコの唇に俺のを重ねる。

「甘いから、いらないってば」

舌先でチョコを押し返される。

「半分でいいって言ってんだろ」

溶けたチョコレートは、またキリコの口へ。そのまま俺たちの間を行ったり来たりして、どっちの口に入っているのかわからなくなった。

チョコレートがなくなっても、俺達はしばらくそうしていた。

甘ったるくて、ちょっと苦くて。

全く、バレンタインなんて大迷惑だ。

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