※2021/12/5改訂
朝飯を食うと、キリコはお清めへ。今日もせっせと鱗を育てるわけだ。
相変わらず俺は軟禁。大師様が来てから、俺の監視は一層厳しくなった。大師様の滞在中に不手際があっては一大事ってことなんだろう。俺の存在は不祥事か。なんだかんだキリコがいると監視は緩むんだよなあ。猿芝居と羞恥プレイはキくのな。
ふてくされつつミカンを剥いていると、小さな駆け足と襖を開ける音が響いた。耕太だ。
部屋に入るなり、耕太は涙をいっぱいにためて俺にしがみついて来る。どうした。何があった。
「見て!これ…っ」
白い着物の襟の下、鳩尾のあたりに小さな虹色が光っていた。
「六枚目…」
鱗が増えれば大人たちは喜ぶが、耕太にそんな道理は通らない。
「どうしよう!お母さんに会えなくなっちゃう!ねえ、早く取って!」
俺の袖を引いて耕太は泣きじゃくる。この子どもにとって鱗の意味は理解の外だ。
「落ち着いて、涙を拭きな。騒ぐと皆にバレるぞ」
「でも、でもっ…もうすぐお清めの時間だから、もう、バレちゃうよぅ…」
しゃくりあげる耕太の背中をさする。鱗が増えたこと自体は母親に影響を与えないだろうが、耕太の精神状態を大きく損ねる。今のように生えかけの小さい鱗のうちに切り取ってしまえば、傷も小さくて済むし、うまくいくかも知れない。ただどうしても跡は残るだろう。その跡を見つけた法被どもが騒いで、教団にとっての慶事を損ねた犯人探しになっては面白くない。
「六枚目なんていらないいい!」
ついに耕太は大声で泣きだした。バカ。正直に喚く奴があるか。耕太の口を塞ごうとしてバタバタしていると、呼んでもないのに客が来た。
「耕太、六枚目が生えたのかい?」
グレーの髪の優男。
「〈六枚〉の兄さま…」
大師様と一緒に山を下りてきたコーダのひとりが、俺達を見下ろしていた。年の頃は20代半ばほど。コーダに共通する白い肌を持ち、どこかのアイドルだと紹介されても信じてしまうような容姿をしている。しかしまあ華奢だな。
「見せなさい」
〈六枚〉は微笑んで耕太に手を差し伸べた。
俺の勘が警報を鳴らす。コイツはダメな奴だ!こんな胡散臭い笑顔をいくつ見てきたと思ってんだ。おまけにこの声色。服従させることに長けた人間の、有無を言わさぬ言葉遣いに酷似している。反射的に耕太を背中に庇った。
「お前は、ああ。毛色の変わった野良猫君だね。〈八枚〉様がいないからお留守番か」
白い着流しに松葉色の羽織を着崩して、お奇麗なお顔で優雅に笑う。瞳には仄暗いものが灯っているけど、お生憎様だ。相手してるのが誰だかわかってねえもんな。長年裏街道歩いてきた身としちゃ、そんなツラが吐く言葉なんか吹けば飛ぶような薄っぺらさよん。
「六枚目かどうか、まだ確定はしてねえ。これから後藤に見せに行く。お前さんも来るかい」
不安そうな耕太の肩を抱く。
「もし本物なら、アンタの地位はどうなっちまうのかね。成長しきったアンタの体と、まだまだ育つ耕太の体じゃ、どっちに軍配が上がるのか想像がつきそうだ」
ひくりと微笑が揺れる。
「これから先大事にされるのはどっちなのか、風向き読むのも手のうちだろうが。てめえの身がかわいいなら、ガキいじめてる間にさっさとお清めとやらに行きやがれ!」
啖呵を切ると、表情のなくなった〈六枚〉の後ろから金髪が現れた。〈四枚〉か。
「あんた、バカァ?」
おお、伝説的名台詞。違う違う。
「部外者が偉そうなこと言うなっつーの。虹蛇にとって鱗の枚数は命にかかわる大事なんだから」
〈四枚〉は平坦な胸の前で腕を組んで仁王立ち。
「…部屋に戻るよ。耳障りな声を聞いて頭が痛い」
虚弱な〈六枚〉は退場。こいつら仲良くないのかな。
落雁、栗鹿の子羊羹、最中はもう定番。後はしぶーいお茶。
東の角部屋に呼ばれた法被の女は、人数分の茶と菓子を揃えて出ていった。
俺の右にはすました顔で茶を飲む〈四枚〉左には泣きべそのまま最中を食う耕太。
どうしてこうなった?
…キリコが戻ってくるまで待とう。うん。そしてあいつにぶん投げよう。状況判断してミカンの続きを食おうと手を伸ばすと、タン!と音を立てて湯のみが置かれる。
「礼のひとつも言ったらどうなの」
礼?
「あたし、あんたたちを守ってやったんだけど」
守る?
「その『なんかやっちゃいました?』って顔、やめて」
「えーと?実は俺、コーダとかよく知らなくてな」
フンっと勝気に鼻を鳴らす〈四枚〉。黙ってりゃ美人って言うけど、態度も大事だな。キッと吊り上がった眼が彼女の性格を表しているようだ。よく見りゃ〈六枚〉より若いな。下手すりゃ高校生だぞ。彼女はいつから教団にいるのだろう。
不躾な俺の視線に気付いた〈四枚〉は、舌打ちをひとつして立ち上がった。
「あったりまえでしょ。部外者なんだから知ってるわけないし。一応掟で虹蛇は枚数が上の方には失礼な態度が取れないから、あんたに言っておく」
ビシッと耕太を指さして俺に向かう。
「鱗の枚数が増えると優遇されるようになるけど、同じくらい恨まれるって覚えといて。もう鱗が増えなくなったら、虹蛇には居場所がないの。だから鱗の数一枚が大きな差になる。生えて嫌だって泣くなら、生えなくなった奴はどうすればいい?そこんとこちゃんと考えろっての」
法被どもはコーダを名前で呼ばない。コーダの中での格差。嫌な構図だ。〈四枚〉は耕太に見せつけるように袖をまくった。
引き攣れたような小豆色の傷跡が二つ。
「本当なら、あたしが〈六枚〉だった」
〈四枚〉の口元が歪む。悔しいとか妬ましいとか、言い切れないほどの感情を溢れさせている。耕太は最中を取り落として傷跡に見入る。眉間にしわが寄るのを止められない。
「うかつなことさせるんじゃないよ。むしり取られるからね」
金の髪を揺らして〈四枚〉は出ていった。
ため息をつきたかったが、耕太の手前、気を引き締めた。〈四枚〉から頂戴した金言を、耕太にわかりやすく伝えなくてはならない。教団の掟とかはわからんが、身を守る手段は教えられる。
俺の言葉を耕太は黙って聞き、新たに生えた鱗への見方を変えたらしい。「鱗を増やして、偉くなって、お母さんに会う」という方向へシフトしたのは耕太なりの判断だ。襲われたときの対処も教えた。ともかく身を守ろうという意識が持てれば、第一段階はクリアと言っていい。
あとは大人サイドの庇護が必要なのだが、俺からの言葉では難しい。
キリコが戻ってくる頃、耕太は熟睡していた。俺が今さっき起きたことを簡潔に話すと、キリコは黙りこくってしまった。そして「夜に話す」とだけ言って、耕太を起こして出て行った。
時は少し遡る。
お清めが済んで俺が廊下に出ると、やはり昨日の饅頭頭が騒いでいる。
今度は暴力沙汰になりそうな雰囲気だったので、半ば強引に饅頭頭を庭へ連れて行く。雨が降り出しそうな曇り空の下、彼は興奮気味に唾を飛ばして熱弁した。
「ですからっ!私はこの身を神様に捧げるべく、修行に」
「わかったよ。それで、どうしてここの神様なの。温泉に入って体が治ったこと以外にも理由があるのかな」
すっかりボルテージの上がった饅頭頭は鼻高々といった具合に語りだした。よしよし。
「この土地は実に興味深いっ!温泉街には日本各地の伝承に基づく風習が混在している!中には都市伝説レベルのものもあるようですがなっ。ここの神社もそうです!山岳信仰がいつの間にか白蛇信仰に変わっているんです!実に興味深いッ」
やはり彼は知識がある。饅頭頭は本田と名乗った
「白蛇信仰とは『白い蛇』を御神体に、火難・水難・災難避けを願うもの。最近は金運・商売繁盛にも繋がるようですが、元々は田畑の豊穣を願う水神なのですよ!」
放っておいてもよく喋る。
「これは私の推論ですがっ、三十年前この地域に大規模な水害がありました。多くの犠牲者が出たと聞きます。その時に信仰に何らかの転機が訪れたのかも知れませんな!」
わかった、わかった。だんだん論点がずれてきている上に、無限に話しそうだったので、こちらから聞いてみる。
「コーダってものを知っているか?」
本田はもちろんと胸を張り、水を得た魚の如く生き生きと目を輝かせた。
「虹の蛇と書いて『こうだ』と呼ばれる蛇の神ですな!」
わりとメジャーな神様ですぞ!と知識をひけらかすように喋りまくる。
彼が言うには、虹と蛇を結びつけた神話は世界各地に存在する。特に顕著なのはアボリジニの神話で、更に北アメリカやアフリカ、中国に沖縄まで虹と蛇を関連づける信仰があり、蛇の長い体が空にかかる虹を連想させるからだという研究者が多い。
共通するのは、一様に水に関する神々であること。地域によって洪水を起こしたり、逆に旱魃を起こしたりする。日本の竜神信仰の元にもなっているそうだ。
本来は『こうだ』ではなく『にじへび』と呼称されるらしいが、本田はそこには興味がないようだった。
「私はね、聞いたことがあるのですよ!この御山にはそれはそれは美しく虹色に輝く神様がおられると!ああ、どんなに神々しいお姿でしょうか。お会いしたい!」
「初耳だ。それがカガシロ様なのかな」
思い切って聞いてみた。世界各地の伝承をも網羅する男なら分かるかと一縷の希望をかける。
「カガシロ様はカガシロ様で御座いましょう!」
どう言う意味だ?カガシロ様云々は独自の信仰対象という意味か?カルトにはよくある事だが、本田のエキセントリックな語調のせいで話が進まない。その上喚くように話すので、庭のはじにいても教団の連中に聞かれないかヒヤヒヤする。
「大きな声はマズイ。教団の人間でさえ、滅多にカガシロ様の名前を出さないのに、みだりに唱えるのは貴方の身のためにならない。貴方は入信に来たのに、それを知らないのか?」
『知らない』の一言で本田に火が付いた。鼻息荒くまくし立て、唾が飛ぶ飛ぶ。
「知っておりますとも!如何に秘匿されようとも、そのお名前はまさに自己紹介をするが如くのものでありますので!畏れ多くも、つい!口にしてしまうのですよ!なんせ『カガ』とは実にメジャーな言葉でしてな!古来より蛇をさす言葉なのですっ。古事記にあるように、ヤマカガミ、カガミグサなど蔦の植物の名はまさにそれ!地を這う長いものっ。それに『シロ』が付くと、まさしく白蛇信仰そのもので間違いないでしょう!さらに」
「貴方が博識なのはよくわかったよ。素晴らしい。しかし美しく輝く虹色の神の話は、聞いたことがない」
わんこそば状態のトークにちょっとおなか一杯だ。とたんに本田はしおしおと肩を落とした。
「そうですか…お社の中の方がご存知ないとは、ただの噂なのでしょうかなあ…」
あまりに本田が落胆するので、湯治場へ行けば何か新しいことがわかるかもしれないと水を向けた。実際に耕太の鱗は湯治場で生えた。宗教の知識が豊富な本田が見れば、まじないめいたものに気付くだろう。
「ああ、もうそこには行きました。日帰りにしては高い料金!しかしいい温泉でしたぞ!肌がツルツルです!若いころに買ったガイドブックには、賀名代温泉は神経痛に良いと書いてありましたが、情報が古いのはいけませんなあ!美肌の効果があるとは!」
オッサンのお肌の事情は知らなくていいかな。他になにか気になることはないかと問う。
「そうですなあ…山岳信仰の残る湯治場ではお札が一般的ですが、こちらは湯治の方が住むバラックに白い紙が貼られておりました。一枚だったり二枚だったり。何もないバラックもありましたぞ。まあそっちのほうが断然多かったですな!」
「へえ、俺は一般客の方には行ったことがないんだ。知らなかったよ」
もう時間切れかな。後藤が見ている。ぱらぱらと降り始めた雨の中、立ち上がって本田の方に体を向け、そっと着物の襟を開いて鎖骨の下に生え始めた鱗を見せた。
本田は表情を崩さなかった。
「もうここには来ないほうがいい」
少し俯いた後、彼は勢いよく顔を上げてにっこりと笑った。
「残念ですがそうします。雨も降ってきたことですし、お社を遠くより拝んで、神様に私の思いを届ける事にいたしましょう!」
本田のリュックサックを見送りながら、柄にもなく彼の身の安全が気にかかった。
本田が諦めたことを伝えると、後藤は深々と頭を下げ「さすがは〈八枚〉様、お見事でございます」とかなんとか言ったが、適当にあしらって仕事に戻らせた。後藤も結局ヤクザ側の人間なのだ。気を許してはならない。
部屋に戻ってみれば、こちらも一悶着あったらしく、BJが言う〈四枚〉の話を、やはり彼に詳しく伝える必要があるのだろうと諦めにも似た気持ちになった。
耕太を後藤に引き合わせると、鱗が増えたこと自体に後藤は喜んだが、まだ正式な〈六枚〉にはなれないと耕太に伝えた。この段階ではちょっとした接触などで鱗が剥がれてしまうのだ。鱗が皮膚に定着した段階で、正式に〈六枚〉へと認定される。
そして俺は現在の〈六枚〉のことにはふれず、耕太の警護を厳重にするよう提案をした。これから先、もっと鱗が生える可能性が耕太には十分にある。俺の話を聞き、教団にとって耕太は金の卵になると後藤は理解したらしい。身の安全の確保を約束した。
ついでに俺の生えかけた鱗も報告しておく。鉄面皮の後藤が、腰を抜かしそうになっているのを見て、少しスッキリした。
夕飯を終え、布団が敷かれると早速BJの腕が伸びてきた。ホント現金なやつだよ、お前は。
キリコがはだけた着物の襟から、小さな桜貝のような鱗が見える。貝よりもうんと薄い。そっとふれればぴらぴらと動くくらいだ。
「それくらいのサイズのやつは、擦れたりするとすぐに取れてしまうんだ」
俺の首筋に口付けながらキリコは言う。じゃあ今夜取れちまうかもな。それもいいかと笑い合う。
本田と名乗る男の話をしながらキリコは俺の着物を脱がせていく。その手つきがいつになくもたつくので、ふと見上げると、キリコの顔が暗いのがわかった。
「どうした」
「お前に話すべきか、やっぱり迷ってる」
「何が。そこまで言ったら、話すってのと同じだぜ」
「それもそうか」
キリコが語ったのは、鱗を生やした人間を選別する方法だった。
湯治場に来た人間や、日常的に温泉を使う地元の人間に鱗が現れることは、以前から稀にあったそうだ。耕太は特例で一度に五枚も生えたが、普通は一枚目の初期の段階で見つかる。
一枚目が生えた人間のうち、鱗が増えそうにない条件の者は、かなしろ診療所で鱗を切除する。小林の前任の老医師はその役目だった。よくあるできものですよとか適当に誤魔化して帰すそうだ。
しかし鱗が増える条件が揃ったものは問答無用で教団に拐われる。
その条件は『肌がとびきり白い』こと。
当てはまった者は教団の管理下に置かれ、一日中温泉の湯につかることを要求される。ここで鱗が増えれば次のステージに進む。
〈二枚〉になった者は『お清め』が始まり、非常に好待遇を受けるそうだ。順調に〈三枚〉になれば社に入れる。しかしその数は極めて少ない。
初めは唯一の〈二枚〉だったとしても、しばらくすれば新しい〈二枚〉が現れる。焦っても鱗は増えない。そこでもし新しい〈二枚〉に三枚目の鱗が生えてきたと聞けばどうなる。泣き寝入りしては競争に負ける。ならば寝込みを襲うか、他の仲間がいれば結託して拘束するか。鱗の剝がしあいが始まるのだ。
教団はこの一部始終を把握して放置している。自分の鱗を死守して〈三枚〉になるのなら他より抜きんでた才覚があると判断できるし、鱗を剥がれても次の鱗が生えて〈三枚〉になるのなら更に鱗を生やす可能性があると見込めるからだ。
そんな中を勝ち上がってきたのが〈六枚〉と〈四枚〉だ。
社に上がっても鱗の数を巡る競争は続く。
「もう鱗が増えなくなったら、虹蛇には居場所がないの」
どの地点で教団が見切りをつけるか分からないが、鱗が増えないと判断された虹蛇は社から去る。
教団の秘事を知った虹蛇が社会に戻れるだろうか。
当然、否である。
一番初めに教団に連れ去られ〈二枚〉になれなかった者は、無事に家に帰れただろうか。
これも、否である。
いずれも大きな滝へ連れていかれ、その後のことは杳として知れない。
「…大きな滝、高いところ…そういうわけか…」
小林の話にあった、大瀧から落ちる少女が思い出される。彼女はきっと虹蛇の競争に敗れたんだ。
そんな人間が何人もいる。ふざけた話だ。
「まさにカルトって具合じゃねえか。誘拐、監禁、洗脳、リンチ…とどめは殺人か」
いつの間にかキリコの愛撫は止み、ニコチンガムを噛んでいる。
「〈四枚〉はもう半年ほど新しい鱗が生えていないそうだ」
「見切りの速いお前さんでも、これは読めないか」
「…そうだな。これだけ鱗を生やしておきながら何だが、法則性が見つからない。体質による、なんて適当な見解しか持てんよ。まともな診察もままならん状況ではな」
うつぶせにキリコの隣に寝転んで、俺もガムを噛む。キリコの言葉に俺まで無力感を覚える。いけねえ、こんなところで凹んでる場合じゃねえや。ガムのうっすいニコチンが効いてきた。
「虹蛇の状況といい、お清めといい、教団は虹色の鱗を生やした蛇の人間版を作りたいみたいだな。もしできたら教団に絶大に崇められる御本尊って扱いになりそうだが、鱗が〈八枚〉のお前さんでもこの厚遇だ。お清めして鱗を増やすって方法は、このあたりが限界なのかもしれないな」
ガムを吐き出してキリコはため息をつく。
「そうかもね。俺の鱗が十枚になったら『奥の院』ってところに連れていかれるんだとよ。何させられるんだか」
「おくのいん?」
「やっぱり知らないか。本田に聞いておけばよかった」
ちょっとカチンときた。
「そもそもお前さんの肌がなまっちろいのがいけねえんだ。髪まで白いから教団の好みにドンピシャなんだよ」
「生まれつきなんだから仕方がない。あと白髪みたいに言うな。俺のは銀髪」
俺の頬を雪見だいふくのようにびよんとのばしながらキリコは呟く。
「アルビノの白い皮膚はとてもデリケートだ。本来なら温泉の泉質に注意が必要なこともある。俺は浸かっても何ともないが、他の連中は刺激が強いんじゃないだろうか」
俺の頬はデリケートじゃねえってか。
「耕太は『シュワーってする』って言ってたぞ。炭酸泉じゃないのか?」
「いいや。そんな感覚はないな。ぬるっとする湯だ」
「うーむ。俺も温泉入ってみてえ。鱗の原因調べるのに一番手っ取り早いし、なによりイチ温泉好きとして入浴してないのが悔しすぎる」
布団の上で足をバタバタ。そうなのだ。俺は各地で温泉に入ったり、古傷のために湯治に行ったり、好んで温泉に行くのである。なのに今の今まで温泉地にいながら温泉に入っていない!残酷!
「じゃあ、一緒に入ろうか」
キリコがにやにやしてる。ど、どーゆー意味…
翌日、キリコのお清めに俺は同席していた。
湯けむりの中、白い薄物の湯帷子を着て、六畳ほどの岩でできた風呂場の隅に膝をついている。同じく白い湯帷子の爺さんが、恭しくキリコの着物を脱がせていく。キリコは自分からは動かない。アレだ。良きに計らえって感じ。あ、眼帯とった…
急に面白くなくなった俺の方を見て、キリコは唇の端で笑った。くそ。今夜覚えとけよ。
爺さんの指示で、湯を手桶に汲む。桶と一緒に、わざと手首まで浸けてみる。色は茶褐色、かなり透明度が低い。発泡している様子はなく、確かに炭酸泉とは違う。桶を受け取って、爺さんがキリコの体にかけ湯をする。
茶褐色の湯がキリコの肌を流れていく。
白く乾いた大地に運河ができていくようだ。
引き締まった筋肉に貼りついた鱗が、虹色にきらきらと光る。
爺さんの声にハッとした。慌てて桶を渡すけど、バレたなあ…今更裸なんか見ても何とも思わないけど、見つめすぎてたか。絶対頬が赤いので顔をあげられない。
キリコが湯船につかる気配。ちらっと観察。
肩まで湯につかって合掌してらあ。こいつは後でネタにできるな。つーか、あの顔、頭の中で全然違うこと考えてるときのキリコだ。もうちょっと隠せよ。後ろでは一生懸命に爺さんがゴニョゴニョ唱えて、榊の葉を振っている。
さて、頃合いかな。
「ブッ潰れて死に晒せゴラアアアアア!!!」
大きく拳を振りかぶって俺は浴槽にダイブした。
そして「神聖な儀式の邪魔をした」とかで、ずぶぬれのまま俺の両腕は後ろで縛られて、お清めの前室に正座させられている。これはちょっと想定外だ。後藤が静かにキレている。キリコのとりなしも聞く耳持たず。ここまで怒るとは、信心の足りない身としては理解できん。
「こんな愚か者を〈八枚〉様のお傍に置くなど、これ以上は許せません」
「すまない、後藤さん。俺がこいつを離したくなかったんだよ。どこに行くか心配でさ」
「留守番もできない猫は縊り殺すのが上策です」
「いつもは利口に留守番してるだろう。まあ、怪我もないし」
「お怪我をなさったときは、即刻コレを切り捨てます」
わお、俺、モノ扱い。おい、キリコ、いい加減〈八枚〉様オーラ出せよ。本当に切られるぞ。
濡髪に浴衣を適当に着けてへらへらしてるキリコを睨んでいると、優男がやってきた。〈六枚〉だ。モデルのようなポーズで柱にもたれかかっている。
「ねえ、後藤。こんな乳繰り合いに真面目に相手しちゃダメだよ。お清めにまで情人を連れ込むの、掟としてどうなの?」
いかにも人のよさそうな顔をして、さらっと毒を吐く。確かに今思えば、この設定は無理があった。温泉の水質調査のついでに定期公演の猿芝居も一緒にやろうと思ったのだ。
「………前例がございます」
眉間をこれでもかと顰めて、後藤は呻いた。ただれてんなあ、この教団。ぼおっとしてたら湯帷子の襟首を掴まれた。〈六枚〉が俺を指さして抜かしてる。
「それじゃ、私が猫の躾をしよう。〈八枚〉様はお清めをやり直しになられるだろうから、その間だけ。なに、掟について言い聞かせるだけですよ。構いませんよね」
人畜無害な笑顔を浮かべて、いけしゃあしゃあと。
「いいよ」
「なっ!?」
キリコは笑って〈六枚〉に「どーぞどーぞ」のジェスチャーをした。冗談じゃねえぞ。顔を向ければキリコが俺を見下ろしている。その目がモノを言ってる気がした。
『やってみろ』
俺を試すか。キリコのくせに。
法被の男たちに半ば担がれて、俺は〈六枚〉の座敷に転がされた。
檜のような匂いの香が鼻孔をくすぐる。室内の調度品は拭き漆で統一され、同じ大きさの書箱と文箱が並んでいるのを見れば、長いことここに住まっているのがわかる。男たちが退出した後、タオルを手に〈六枚〉が近寄る。
「やっぱり、脱がせてから連れてくればよかったなあ。畳が…ああ」
濡れた湯帷子は俺の肌にぴったりと貼りついて、そこからぽたぽたと水たまりが広がっていく。
結局〈六枚〉はバスタオルの上に俺を座らせ、手にしたタオルでわしわしと濡れた髪を拭いている。まさしく犬猫に対する扱い。せめて腕の拘束を解けってんだ。くそ。
「すごい傷だねえ」
褒めるような声音でありながら、俺の顔の縫合痕には決して触れないようにしている。お前も耕太と同じで傷が怖いか。
「あの方は、こういうのが好みなのかな」
ぐいと顎を持ち上げられて、視線が〈六枚〉と重なった。ほとんど青に近い灰色がかった瞳。こうして見ると、こいつは本当にきれいな顔してるな。つい見とれてしまった。だから瞳をふちどる長いまつ毛が近付いてきたのに、対応が遅れた。
薄皮一枚。惜しい。
「本当に猫だね。ちょっと味見しただけだってのに」
俺が噛みついた薄く血のにじんだ唇を舐めると、〈六枚〉は俺を蹴飛ばした。お前とするくらいなら畳とキスした方がましだ。何か言い返したいが、奴の足が鳩尾にきれいに入っちまった。息をするので精一杯。
無様に転がる俺の髪を鷲掴みにして、ぱっと離す。畳と二回目のキス。
「お前は汚いね。顔には大きな傷があるし、体もそう。おまけに髪まで白黒の斑と来た。壊れたフィギュアを余ったパーツで何とか形にした…ってレベルの不格好さがあるよね」
おお青年。プラモにも同じ良さがあるんだぜ!例えるならそっちが良いな!
「どうしてお前なんだろうねえ。あの方は不思議だ。毎晩呼んでいた女をあっさり捨てたかと思えば、不細工な野良猫をかわいがるとは…ふふ、そこがミステリアスでいいのかも」
再び髪を掴まれて、今度は〈六枚〉の目の高さまで上げられた。ブチブチ髪が抜ける。嫌になるくらいにキレイな笑顔が視界一杯に広がった。
「私と代わろうよ。あの方の相手は、私の方がいいと思うんだ」
うっとりした〈六枚〉は続ける。
「だって〈八枚〉だよ?今まで聞いたことがない。体全体が白に近い素晴らしい素質の方…傍にいれば私だって…」
灰青の瞳は俺を通してキリコを見ている。キリコの向こうに自分を見ている。自己中野郎が。
これ以上好き勝手出来ると思うなよ。〈六枚〉の力が緩んだところに、俺は背筋を引きつらせて思い切り頭突きをかます。あいつの悲鳴が小さく上がる中、俺の白黒の髪が舞う。禿げてたらてめえのせいだからな!距離を取ったらぴょいとジャンプして起立成功。鳩尾のダメ回復!
「俺と代わりたいなら、いつでもどーぞ。ただあいつのはデカいからな。よーく慣らしといたほうがいーぜ」
「…夜伽の心得はあるよ。心配はいらない」
畳の上に倒れ込んだ〈六枚〉はよろけながら立ち上がる。腕を縛られたまま仁王立ちになっている俺の頬目がけ、細い腕を振り上げてビンタした。そこはグーパンだろうがよ。睨む俺に、またビンタ。
「ペチペチ痒いな。あの野郎が欲しいなら好きにやれよ。自分で口説け。邪魔なんかしねえ。清々する」
一歩踏み出す。向こうは下がる。
「自信がないなら、今夜俺達がいる座敷へ来いよ。あいつのいいとこ全部教えてやる。その後交代しようじゃねえか。おきれいなあんたなら、きっとすぐに上手くできるぜ」
ちくしょう。こんな売女みたいな台詞吐かせやがって。ああもう、下がるんじゃねえ!
「だけどな、ひとつだけあいつに言っとけ。二度と俺にさわるなってな!」
文机にぶつかって〈六枚〉はへたりこんだ。白い顔が一層白くなってやがる。今お清めに行けば効果覿面だぜ、きっと。その分俺の顔は真っ赤になってんだろうけどな。くそ。
しばらくして法被のちょっと偉そうな男が様子を見に来たけれど、〈六枚〉は何も言わなかった。そのまま俺は東の角部屋に送られたのだが、考えてみて欲しい。俺はまだ濡れた湯帷子を着ている。腕も縛られている。季節は雁が飛ぶ頃。
知らん顔して茶を飲むクソ死神に向かって思いっきりくしゃみをしたって、不自然な点など一つもないのだ。
社の最奥、湯けむりが揺れる。
「なにやら元気の良い者がいるようじゃな」
真白い帳の向こうは何人たりとも目にすることは許されない。
「は、申し訳ございません。〈八枚〉の情人が騒ぐようでして…」
頭を上げることは許されない。平服したまま白い法被の女は大師様の問いに答える。その背後には長い黒髪の喉を潰された女が同じように這い蹲る。
「よい。久しぶりににぎやかしいのも悪くない。そろそろ御山に戻ろう。この湯は十分浴びた」
穏やかな主のようすに女は安堵する。大師様はカガシロ様のお側に戻るのだ。すぐに準備を整えなければ。
湯殿の天井には、あざやかな虹が湯を反射して映っていた。
おかしなことになった。いや、ここに来てから全部おかしいのだが。
お清めで暴れた日の晩、東の角部屋に〈六枚〉がやってきた。うわ、こいつマジで来た。ついに衆人プレイをする日が来たかと固めたくもない腹をさすっていたら、だ。
〈六枚〉は感動したとか何とか言って、昼間のキャットファイトの全部をキリコに話してしまった。もちろん俺のセリフの一言一句、違いなく。
俺はそんなこと全部、隠し通すつもりだったのだ。あんな台詞自分でも寒気がする。言っちまったのは勢いだけだ。演劇さながらの身振りで、まだまだ詩人の如く理解不能な言語を垂れ流す〈六枚〉のドタマをシバきたかったけど、なぜだか今日は後藤が控えてて、俺はピクリともできなかった。今動いたら袈裟懸けにバッサリやられるイメージを受信したのだ。
一方からは意味不明な波長のエモーショナル、もう一方からは隠しきれない殺意の波動。正面からは「ふーん」って荒波に揉まれる俺を観察する眼帯。なんだこのトライアングル。解散!かいさーん!
「それで、温泉に入ってみてどうだった?」
げっそり疲れて布団に入ったら、キリコがのん気に聞いてきた。てめえのせいでなあーっと脛を蹴った。あいつは痛いと言いつつ腰に腕を回してきたが、その前にだな、別に本番しなくてもフリだけして話してればいいんじゃないか?
「バレたか」
鼻ねじり切るぞ。痛む鼻の頭をなでるキリコを無視して、俺の考えを述べた。
「あれは初めて浸かる湯だ。硫黄泉のようでもあり、含鉄泉のようでもある。しょっぱいから塩化物泉の可能性は捨てきれない。肌がぬるつくってことは、アルカリ性の成分も入ってるんだろう。きっと他の成分も湯に含まれている気がする」
耕太の手ぬぐいで調べた通り、ありゃ本気で最強温泉かもしれん。だけど変だ。
「学者じゃないから分からんが、あんなに多くの温泉成分が一緒に湧くことがあるのだろうか」
「どういうことだ?」
「イオンの問題だよ。アルカリ性と酸性の特徴を併せ持つ湯なんて存在するのかな。金属の含有量が多すぎる気もする」
「ふうん…本田が言っていたんだが、かつてはこの温泉は神経痛に効くと言われていたそうだぞ。神経痛に効く湯は皮膚病にも効くのか?」
「確かにそんな湯はあるけれど…昔と今が違うってことは、泉質が変わったのかな」
しばし天井を眺めたが、やっぱり専門外だから判断できない。地下から湧くから温泉には違いなかろうが。
唸っているとキリコが尻を揉んでくる。
「やめろ。フリだけで良いって言っただろ。そもそもお前は枯れてるくせに、ここの連中には性欲の権化みたいに思われてるぞ。少なくても〈六枚〉からは」
「そんなのはどうでもいいよ。ただ、ここで他人の名前出されるの、おもしろくないな」
珍しく冷たい声で呟いて、キリコは俺の上に跨った。ゆっくりと浴衣の帯を解く。
鎖骨の下には完全に定着した鱗。九枚目だ。完全に浴衣を脱ぎ、キリコは内股を指さす。
ここにも鱗があった。完成している。
「気が付かないうちにできてたみたいだ。これで十枚目。晴れて俺は〈十〉になった」
低い声が波紋のように広がる。
「明後日、大師が山に帰る時、俺も同行することになった。奥の院とやらに行く。多分大丈夫だと思うが、お前、一人になったらすぐに逃げろよ」
違うだろ。
「鳥居までのルートは知っているよな。でかい灯籠が途中にあるだろ。アレにセンサーがついてるんだ。それを抜ければ、きっとうまく行く」
違うっつってんだろ!
銀の髪を引っ掴んで、噛みつく勢いでキリコの顔面に迫った。
「何を企んでる。そこまでカルト教に入れ込んでる訳ないよな。山まで行ったら帰って来られる可能性が一層低くなるんだぞ。お前は何がしたいんだ」
キリコは俺の後頭部を抱えて、そっと布団に横たわる。抱えられた腕の中、目の前に九枚目の鱗がある。
「真実を言えば、これには俺の仕事が絡んでる。奥の院に行くのは、仕事を成すために有効なプロセスだと踏んだからだ」
「そんな都合のいい…!」
「じゃあ、お前はどうしてここにいる?」
答えがすぐに出なかった。キリコの鱗に俺の目が映る。虹色の鱗。小林の言葉。耕太と母親。温泉と鱗の関係。カルト教団とヤクザ者との繋がり。どれもみんな中途半端だ。
「明日は歌垣だ。警備が緩む。逃げるなら、その時だ」
それきりキリコは黙ってしまい、あいつの素肌を感じながら眠るしかなかった。