『プワゾン』(3)※甘口※

10.

ドライヤーなんて気の利いたものは俺の家にはない。

キリコはタオルでしっかり拭くから大丈夫とは言ったが、髪から滴る雫は冷たくて、俺は彼女がまた凍えてしまうのではないかと心配になった。

「風邪引くぞ。きちんと乾かそう。」

「自然乾燥だと2,3時間はかかるよ。」

そんなに待てない。さっきの関取が頭を掠めて不快になった。

秋が深まったとはいえ、まだ暖房が必要なわけでもなかったから、暖炉のメンテナンスもまだで。そうなると俺の家に暖房器具は、せいぜい湯たんぽくらいしかなかった。

困り果てた俺の横で、キリコはそうだ、と何か思いついた様子で、バスタオル一枚の姿のまま小走りに居間を通り抜けた。追いかけると、初めにいた患者用の病室にいた。俺は床に散らばったロープを見るのも嫌だったけど、そんなものに目もくれず、キリコは自分が脱いだスラックスのポケットを探っている。

「あった。」

彼女が取り出したのは小さな黒いわっかだった。

「たまに必要になるから、いつもポケットに入れるようにしているんだ。」

彼女はそれを見つけて何か解決したような表情になっているけれど、俺は早くここから出たくて仕方がなかった。しばらくこの部屋がトラウマになりそう。

「探し物が見つかったなら、おいで。この部屋は寒い。」

早口に言って、キリコの手を引いた。

「本当に私がこの部屋に入っていいのか?」

俺の寝室に入ろうとしたとき、キリコは真剣な声で訊いて来た。

「どうして。俺のベッドは困るか?」

「…よくわからないんだけど、私が入っちゃいけない部屋のような気がして。」

キリコの戸惑いの原因ははっきりしないけど、そういえば今日は俺の家のあちこちに初上陸させていることに思い当たった。それで妙な感覚になっているのかな。

「何も遠慮は要らない。勝手に上がりこんでいるわけでなし、家主の俺が許すんだから問題ない。」

そこまで言うと「お邪魔します」と大真面目に言って、寝室のドアをくぐったので噴出してしまった。

こいつの寝室ほどじゃあないけど、俺の寝室も至ってシンプルだ。

木製のシングルベッドにサイドテーブルが一つ。テーブルの上には読みかけの医学書が数冊と、白熱灯のランプ。灰皿とタバコの箱。東向きの大きな窓にカーテン。小ぢんまりとしたプライベートゾーンの一番核心部。

そこに初めてキリコを迎え入れた。

なるほど、彼女の緊張も分かる気がする。俺自身、秘密基地を明かすような気分だった。

ぱちりとランプの紐を引けば、闇が白熱灯のあたたかな光にとかされる。

「きれいにしてあるんだね。」

キリコはぐるりと見渡して、感心したように言う。

「俺の城だぜ。それなりにしか手入れはしてねえ。」

男の掃除がどんなものか、大体見当がつくだろう。

「おいで。」

まだ戸口に立ち尽くしているキリコをベッドサイドへ呼んだ。そろそろと足を踏み出して、俺のそばまで来た。表情が固い。

「何をそんなに緊張してるんだよ。」

冷やかす口調で額をつついた。

「だって初めて入るんだよ。BJの寝室。ちょっとはドキドキするよ。」

「おっそろしいオモチャでも準備されてるかもって?」

バカと笑ってくれたので、そっと肩を抱き寄せた。バスタオル一枚隔てた感触が悩ましい。キリコを体温の高い俺の手のひらであたためていく。彼女は俺の胸板に頬をすり寄せ、そっとささやいた。

「本当はこうしたかったんだ。」

さっきまで縛られていた細い腕にできる限りの力を込めて、抱きついてくる。そんな様子がとてもいじらしくて、彼女の体をかき抱いた。

媚薬に狂った自分では、抱きつくだけで済まないことを予測していたんだな。そしてその後の事も。俺がお前さんと同じ立場だったなら、きっともっと酷いことになったと思う。

キリコの自由になった腕の感触が、縄の戒めのない背中のなめらかさが、ただうれしい。

「俺も。俺もだよ。」

そのまましばらく立ち尽くしたまま、抱き合っていた。

ただ俺たちはガキじゃないから、こんなもんじゃ足りない。

くいっとキリコの顎を上げさせると、彼女のしっとりしたくちびるに己のものを重ねた。

キスを深めながら、彼女の肌を求める。とたんにテントを張り始めたバスタオルの下の正直さには、我ながら苦笑するけど。こぼれた唾液を追いかけて、キリコの首筋に舌を這わせようとした俺をキリコは止めた。

「ちょっと待ってて。」

なんだろう。キリコはベッドの端に腰掛けて、腕からさっきの黒いわっかを抜いた。何かと思えばヘアゴムだったのか。ヘアゴムを使って彼女は器用にまだ湿った銀の髪をまとめていく。俺に背を向けて、両の手で髪を結ぶキリコのほっそりとした二の腕と、肩から背へのなめらかなラインは、ため息が出るくらいきれいだった。

「結べた。これで雫も少しは…」

キリコが言い終わらないうちに、後ろから抱きしめた。彼女の髪の中から現れた細いうなじにくちづけて。髪を結ぶ仕草に、こんなにそそられるとは思ってもみなかった。

バスタオルを放り投げ、キリコをベッドに押し倒した。

「もう待たなくていいよな。」

声がうわずる俺に、キリコはいたずらに笑う。

「どうしよう。ベッドの具合を、確かめる時間が欲しいかも。」

「そんなもん、今から確かめられるだろ。」

身動ぎするとシングルベッドが軋んだ。

「ほら、途中で壊れちゃったらどうする?」

「壊れても、やめる気はないぞ。」

「…お前ならやりかねないね。」

あきれた、と言って、キリコは俺の昂ぶりを握る。

「ああー…」

熱いため息をついた俺の耳元で、意地悪くささやく。

「このまま手でしてあげようか?」

ゆるゆるとしごきだすのを制しながら訴える。

「やだよ。お前の中がいい。」

小悪魔のような瞳を取り戻したキリコの顔に、まだ黒い眼帯が付いている。

「なあ、これ取っていいか?」

キリコを覆うなにもかもを取り去って、素っ裸にしたかった。それは眼帯も例外じゃない。爪でかりかりと眼帯をひっかく。

「どうしようかなあ。」

キリコのすらりとした指が、すっかり硬くなった陰茎をくすぐる。

「なあ、俺もうギリギリ。」

切羽詰って、何度も滾った勃起を動物的にキリコの茂みになじってしまう。

「えー…?」

困ったなあなんて表情を作りながら、キリコは片足を上げた。途端に湿った感触が俺に絡みつく。熱くとろけたぬかるみが俺を待っている。

餌を食べる許可を待つ犬のように、尻尾を振ってキリコにせがんだ。

「これの下が見たい。取っていいか?」

舌なめずりをするかのように赤く開いたくちびるが、俺の待ち望んだ言葉を紡ぐ。

「いいよ。」

聞くや否や眼帯を引っぱると、マグネット式の結合部はぷつんと切れた。

彼女の潰れた目を見つめながら、滾りきった勃起を熱いぬかるみに沈めた。

ああ、やっぱり俺、こっちのほうが好きだ。

緊縛プレイは向いてない。

柔らかい布団の上で、思う存分気持ちよくなるほうがいい。

闇医者というアウトローな職業とは反対に、意外と保守的な自分の嗜好を確認してしまった。でもそうなんだから仕方がない。

キリコはどうかな。縛られるほうが好きなんて言われたらどうしよう。媚薬のせいとはいえ、ガンガンにイキまくってたのは事実だし。もしソッチ系なら何とかがんばってみるけれど、たまには俺にも合わせて欲しいなあ。

そんな頭の悪いことを考えていたら、つい口から質問が出てしまった。

「キリコ、さっきのと今のと、どっちがいい?」

「さっき、って?」

馬鹿なことを聞きながら、俺の腰は止まらない。

「縛られてしてたとき。」

「…馬鹿。」

かなりマジなトーンで叱られた。

「今がよくなかったら、こんなことしてると思う?」

くるりと体を入れ替えると、キリコは俺の上に跨ってマッハで俺を搾り取った。

ひくひくと痙攣する俺のだらしなく開いた唇を噛んで「気持ちいいね」と主語がない感想を言った。

「…ハイ……」

そう言うしかない俺。いかん。最初の目的を忘れている。

キリコを甘やかしたかったのに、俺がされてどうする。

がばっと起き上がると、俺の腹の上にいるキリコを捕まえて「んーっ」とキスをした。怯んだキリコの腰を抱えて、座位で下から突き上げる。衝撃に耐えるように俺の頭をかき抱くキリコ。お互いの体がぴったりとくっついたまま、彼女をマットレスの上に組み敷いた。

ロープのせいで後背位が嫌いになってしまうのはもったいないので、ベッドの上で記憶の塗り替えを図った。罵声を浴びせながら犯したときと反対に、やさしくやさしく。ちょっと物足りないなんて思ってたら、キリコが耳まで真っ赤にして「もうちょっと激しくしてもいいから」と言ってくれた。

うれしくなって尻尾を振りまくる犬宜しくがんばってしまった。

「もう、もう……」

非難する言葉も出ないくらい、キリコの脚はガクガクと震えていた。あ、甘やかすってどうするんだっけ。

そのままキリコはへちゃりと潰れてしまったので、寝バックの体勢でゆるゆると動いてみた。

ここを突くとキリコは喜ぶんだよなーとか俺もきもちいーんだよなーとか、ぶつぶつ言いながら。気がつくと俺の下でキリコもくなくなと腰を揺らしていた。無意識なのか何なのか。「ここ、いい気持ち」とか呟きながら腰を動かすキリコがあんまりにもいやらしくって、しばらく凝視してしまった。やがて彼女は自慰のように俺を使って果ててしまう。そんな様子がたまらなくて「かわいい」「やらしい」「さいこー」等など、相当IQが低い単語を発しながら彼女を突いた。何度もイって痙攣がとまらない彼女の中に、びゅんびゅん射精した。さいこーだった。

あ、甘やかすってどうするんだっけ。

11.

すうすうと俺の腕の中でキリコは寝息を立てる。

正直まだ物足りなかったけど、甘やかすと決めていたから、彼女のペースにまかせた。

12時間のオペをしても、廊下の椅子で一眠りすれば回復する俺の体力を「スタミナおばけ」なんてキリコは言う。実際セックスしてても際限なく復活する俺の息子に、我ながら嘆息する場面もあるので、あながち外れていないと思う。なんだかんだ言いながらも最後まで付き合ってくれるキリコの体力が心配になる。

これまでの経緯から見ると、心配とか結局口だけと指摘されても仕方がない。そのくらい俺は欲望に忠実なんだ。俺の生き方自体が現れているだけなんだ。

無理やりなこじつけをして天井を見上げる。いつもの代わり映えのしない天井。何も変わらない寝室。ただ隣にキリコがいるだけで、全てが真新しく感じる。

カーテンの隙間から覗く雲ひとつない夜空のせいで、空気がしんしんと冷え込んでいく。

ただベッドの中だけはここちよいぬくもりが溜まっている。

そのぬくもりにつつまれて、俺は穏やかな眠りの中に落ちていった。

翌朝、キリコはベッドにいなかった。

のろのろと半覚醒の頭でサイドテーブルを見ると

『リネンとマットレスは弁償する』

とだけ走り書きされた手帳の切れ端があった。

別にかまわないんだけどな。

だけどこれでまた彼女が俺の家に来る理由ができた。

そのときは何をして楽しもうか。

近いうちに訪れる再会のときを待ち遠しく思いながら、俺はもう一度ベッドに沈んだ。

キリコの香りにつつまれながら。

3