【BLOG】ロックスターと青春

さても中二なタイトルでご容赦を。内容も私的なぐだぐだなので…

本日B′zの無観客ライブ最終日。5週連続の配信、その内の4回を視聴。初日のは足踏みしているうちに見逃してしまい、翌日セトリを見て臍を嚙み、次こそはと気合を入れてそのまま。

コロナウィルスが世界を脅かす中、バンドマンだって飯食うし観客だって一人でもシャウトしたい。音楽を届ける新しい形のライブビューイングは、経験も技術も資本もある日本屈指のアーティストB’zが示した5週間にあるんじゃないかと言っちゃいたくなるほど凄かった。

思い出すのは彼らが輝いたCD全盛期、みんながオリコンチャートを見て大騒ぎして、ビッグドームツアー成功させて、どっかんどっかん金も物も人も動いていたあの時代。

当時の私はまだ幼くてお小遣いもなくて、テレビに映るその世界がとても華々しくて、いつかきっと自分もそこに行って楽しい時間を過ごすんだと、わくわくしていたっけなあ。

アルバム出るたびに聞き込んで、昔に出たものは中古CD屋で探して(安くはない)、友達の兄さんから状態のいいアルバムを割高に売りつけられたこともあったなあ(笑)。

とにかく当たり曲とハズレ曲の区別もつかず、妄信的に若い脳細胞に刷り込んでいた。今思うと、その間に漢字の一つでも覚えろと言いたいのだけど、そのフレーズが流れた瞬間に当時のきらきらした感情が湧いてくるから、青春って怖い。

とか言いつつ、私はいつの間にかB’zから離れ、気がつけば10年以上の歳月が経ち、なんやかんやでまた出会った。

正直今回のライブビューイング、全然知らん曲、知ってるけど思い入れがなくて盛り上がれなかった曲も多かった。これはもう仕方がない。ブランクがあってエピソード記憶になってないから、付け焼刃で事前に予習したくらいじゃどうにもならん。ただ今回記憶を上書きできた曲があったから、それらはもっと好きになれた。

もっと好きになったもの。それはB’zの二人、松本さんと稲葉さん。彼らのことが今までより、もっともっと好きになったよ。

今の配信の形式だから見られた二人の姿や、馴染みのバンドサポートメンバーとのやりとり。ずっと見たくて、きっとそうなんじゃないかななんて妄想してた姿が見られて、卒倒するかと思うくらい嬉しかった。

長く、良い関係を築き、続ける。すっごくすっごく難しい。不可能。でもそれに近しいものを作ることは、きっとできる。必要なものは、思いやり、プライド、交渉力、ふさわしいものを選ぶ力…うへえ、一人じゃ無理。だけど一人から始めないとできない。

それを続けて今の彼らがあるとして、ふと現在の自分に目が行っちゃったりなんかして。

何かになりたくて、何にもなれないまま。青春はあっという間なんて、高を括る言葉に耳を傾けず。実をつける木になりたかったけど、それもどうなのかなあ。芝生になろうか。冬になって枯れ果てても、あたたかくなったら何となくまたそこに青くなってる奴。運動靴で踏みしめられても頑丈なんだ。

このように懊悩するのもまた青春と呼ぶ人もいるそうで、そうなると私は万年青春か。いいね。

まだまだ覚悟はまるで足りないけれど、開き直って恥をかき続けようと思えるくらいには、やっとなれたかも。かも。いやなってないな。なってない。でもなろうとは思うようになった。

なによりこんなにカッコイイ50overアーティストが活躍するんだ。そのきらめきをちょっと分けてもらって、幸せな気分になれたんだ。またB’zと出会えたのは意味があるんだよ。必要だったからだと思う。彼らの苦悩を想像して、それに自分を投影する歪んだ寄り添い方かも知れないけれど、彼らが真に輝いていた時代を知っているから幻を得るのかも。「兵、走る」で再びでっかい花火を打ち上げたB’zにあこがれと希望の光を見る。純粋に彼らの音楽に救われる。そんな形に今至る。

ありがとう、B’z。素敵な週末を過ごさせてくれて。本当に楽しかった。毎回セブンのアメリカンドッグパクつきながら見てたんだ。それにコカ・コーラ。ソファにどっかり座って、どちゃくそ良いスピーカーのど真ん前。ハイクオリティの音楽のお供にジャンクフード。最高だった。(次は年末恒例「第九」のオーケストラをポップコーン片手に聞こうとか思いついた)生のライブが至高なのは百も承知さ。ライブ配信は違う味付けで最高なんだ。

一個だけ言わせてほしいのは、今日絶対「いつかのメリークリスマス」やるに違いないと勝手に思い込んで、昼間に自宅のクリスマスツリー慌てて飾ったので、本当にやって欲しかったです。(知ったこっちゃねえ)

ライブビューイングまたやってね!ありがとう!